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ユメのつくりかた

ユメって、誰しもが見るものだと思います。
ユメの中身って、考えてみるとかなり奇天烈なものだと思いますが、みなさんはどうでしょうか。
自分は普段こんな感じでユメができあがってきますよ、という話をします。


そもそもユメとは

あらかじめ断っておくと、今回話すユメとは、寝るときに見る方の夢です。
叶える方と勘違いされたらいけないので、ここではユメと表記します。

そもそもユメとはどういうものなのでしょうか。

ユメについては研究段階でよくわかっていないことが多いですが、説の1つとして、記憶の整理をしていることが挙げられます。
人間は、睡眠の中でその日に起きたことや記憶を整理し、脳に蓄積します。
その過程が、人にとってユメとして現れるわけです。

また、精神学者のフロイトは、ユメとは睡眠中に意識に混入してくる無意識の表象の一部としています。
抑圧された願望が、ユメとして睡眠中の我々の前に現れるわけです。

ユメとは自分との対話である

……とまあ、ユメについての分析はこんな感じで行われていますが、今回の話はそういうことをしたいのではありません。

人がユメを見るときに、ユメの中での物語はどのように語られていくのか、ということについて、考えたいと思います。

こればっかりは人によって異なる上、研究方法もそもそもないように思われます。
そこで、せめてもの体験例の蓄積を目的として、私は普段どのようにしてユメを物語っているのかを話します。

私にとってユメとは、自分との対話です。

前提として、私が見ているユメの中では、私は客観的な第三者の視点に立つことが多いです。
しかし、ただ単なる第三者と違うのは、私は第三者であると共に、物語の主人公ないしは登場人物でもあるのです。

そのため、私はユメの中では、常にユメを物語り、話を進める誰か(要するに自分)に対して、常に問いかけます。

「ここであの子が倒れたけど、どうして倒れたの?」
「そこの子と私とは、どういう関係なの?」

……こんな感じで。

ユメの語り方の実践例 : どこかの演劇オーディションの話

それでは、私がどのように物語を物語るのか、その例を書こうと思います。
ここでは、物語を見る「私」の問いかけや反応を太字として、物語の進行やストーリーは、平の文章で書きます。
また、物語において私の問いかけに対応する部分については、問いかけと同じ数字を振ります。

=====

目を開いたら、そこはどこかの劇場の中だった。
円形の大きな劇場の中、その前方の席に私は座っている。
視線の先には、大きなステージと、そこで歌い舞う4人の若い女性たち。
話の展開や歌の様子を見るに、劇はもうすぐ終わりのようだ。

舞台で舞う女性の中で、一人だけ様子がおかしい女性がいる。
それはどんな女性?
①彼女は姿こそ美しい。身長は高く、真珠のように白い。
しかし、彼女の歌声は苦しそうで、マイクに息がかかりがちになっている。
舞も少しずつふらついてきた。
彼女はまるで、今にも折れてしまいそうな小枝のよう。

その時、彼女はその場で倒れ込んだ。
私は走り寄ってその女性の様子を見る。
女性は息を荒くして、目線もまばら。全身をガクガク言わせている。
②この女性はどうして倒れたのか
③この女性に対してどのような行動を取るのか
④そもそも私は誰なのか

③気がついたら、私は彼女をおぶり、舞台裏を走り回っていた。
彼女の楽屋で、彼女を休ませるために。
④このとき、視聴者としての「私」の画角が、主人公に変わる。年齢と比べて幼い。中学生くらい? 少なくとも「私」ではない
走り回るうちに、彼女の楽屋に到着する。
楽屋のベッドに彼女を休ませると、楽屋を共有する、彼女の友人であろう役者が入ってきた。
その役者から、事情を聞く。
②彼女は、身体に大きな病気を抱えており、発作によって息があがったり動けなくなったりすることがあるらしい。
話を聞いた後、私は楽屋を出る。

気がついたら、広い会議室にいた。
私は誰からもらったかわからないドーナツをほうばっている。
前では偉そうな小太りの大人が、オーディションの結果を伝えている。
どうやら、先程見ていた劇は、劇のオーディションだったようだ。
どうして部外者の私がここにいるのか?
結果を待つのは、たくさんの女性役者(というか、女性役者しかいない)。
⑤その中に、私の妹もいる。
街なかで突然スカウトされ、今回のオーディションに参加した。
あのやんちゃでガサツな妹に何ができるのだろうか……

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……とまあ、こんな感じで話が進むのですが、これ以上書いてもしょうがない(本来の意図から外れる)ので、このくらいで……

ここまでを見ると、私はユメを物語る際には、自分で物語に対し疑問を投げかけたりケチをつけたりしていることがわかります。
そして、その影響を受けて物語が進行しています。
私には、ユメの中にベースとなる物語がすでにあるようで、その物語に対して私が疑問やケチを入れることで、物語が進んでいるようです。

人はどうユメを物語るか

今回は人はどのようにユメを作っていくのか、ということについて話をしました。
需要があるのかないのかわからないようなテーマでしたね

私は、ユメの中にある物語に対して、疑問やケチを入れることで物語を物語っていました。
これは、物語を通じて、物語る自分とケチを入れる自分とで自問自答というプロセスを踏んでいる、とも考えることができるように思えます。

ただ、人が皆このようにユメを物語っているわけではありません。
しかし、誰しもユメには物語があり、それを皆が形作っていることは共通しているように思えます。

ユメにおける物語の物語り方は、実際の創作活動のアイデア出しにおいても有効な方法の1つになりえるように思えます。
ユメで無意識的に行われる物語り方なのですから、それが自分の身体にあっていることは言うまでもありません。

あなたは、どのようにユメを物語っていますか?


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