見出し画像

双極性障害(躁鬱)になって半年が経過したのでまとめてみる(後編:治療開始から現在まで)

2024年1月~3月:躁と鬱に戦い続ける日々

止まらない動悸、不眠、食欲減衰、そして起き上がれない

1月から、本格的な治療が始まりました。
治療の軸は大きく分けて2つ。
1つが投薬による薬の治療、もう1つが認知行動療法です。

認知行動療法とは、行動の仕方や考え方などを矯正することで、投薬とは別の方向から治療を行うものです。

投薬治療も認知行動療法も、効果が出るまでに数ヶ月もの時間を要します。
そのため、この期間も体調の悪化が続きました。

躁と鬱のラピッドサイクラー

認知行動療法の一環として行っていたことの一つに、自分の症状を詳しく理解することがありました。
そのため、私は自分の気分の浮き沈みを記録に残し、自分の体調を観察することにしました。

その結果分かったこととして、私は躁と鬱が月の半ばで入れ替わることが分かりました。
月の初めは鬱で、月の半ばから終わりは躁になる……といった具合です。

このように、高頻度で躁鬱が入れ替わる症状を、ラピッドサイクラーと呼ぶそうです。

次第に生まれる希死念慮

躁鬱の症状が酷くなる中で、希死念慮が次第に湧いてくるようになりました。

希死念慮が湧いてくると、生きる気力がなくなり、この世から消え入りたいという気持ちが強くなります。
幸い、この時期は家から出る気力もなかったので、電車に飛び込むと行ったことはありませんでした。

とはいえ、希死念慮が本当にひどいときは、食事に肉がでてきただけで、死のうとしている人間が生きようとしていた生物の肉を食べることが申し訳なくなり、涙が止まらなくなることもありました。

2024年4月~5月:薬が徐々に効く、強くなる希死念慮

社会的変化:大学を卒業し、フリーターになる

3月末で大学を卒業し、4月からはフリーターとしての生活が始まりました。

働き始めたのは、家から車で15分ほどのところにある集団塾。
そもそもバイトは、生活習慣を整えるため、社会に少しでも参加するため、そして躁状態での突発的な行動によって始めることになりました。

とはいえ、これは失敗でした。(後悔はしていませんが)

いきなりの集団塾のため、人と関わる時間が大学時代のそれとは比べ物にならないくらい多くなりました。
さらに、関わる人は全員はじめて会う人々。
これは、躁鬱の人間が社会参加のために働く場所としては、ある意味最悪でした。

しかし、人間慣れるもので、数ヶ月経つとそれなりに問題なくバイトに取り組むことができるようになりました。

躁と鬱の落差がゆるやかに、そして強まる希死念慮

さて、躁鬱についてですが、サイクル自体は変わらず、月の半ばで躁鬱が入れ替わることは同じでした。

しかし、躁鬱の落差がこれまでと比べて緩やかになるようになりました。
鬱になると全く動けなくなり、躁になると過剰に動くようになる……というのがこれまでの通例でしたが、まずは躁の時に過剰に動くことが減るようになりました。

これは、躁鬱の治療薬の効果が出始めたことがきっかけでした。
躁鬱の薬は、飲み始めてから効果が出始めるまで、数週間から数ヶ月の時間を要します。
実際、自分は躁鬱の薬を1月ごろから飲み始めましたが、明らかに効果がでるようになったのは4月から5月にかけてでした。
躁鬱の落差がゆるやかになったのは、この薬によるものだと思います。

ちなみに、鬱については相変わらずの状況が続きました。
特に希死念慮については酷くなり、本当に電車に飛び込みそうになったことが何度かありました。
それでもギリギリ生きてこられたのは、友人に声をかけてもらったりそもそも家から出られず死ぬに死ねなかったり……というようなことがあったからです。

2024年6月:周期的な鬱への突破口

鬱の対処が具体的にできるようになる

6月になると、鬱の落差もほんの少しだけ落ち着くようになってきました。
酷いことに変わりはありませんが……

しかし、認知行動療法の甲斐もあり、自分が鬱の時、どういう行動をすれば精神的に安定するかが少しずつ見えてくるようになりました。

それは、

・鬱になったら何もしない
・鬱になったらとにかく寝る
・寝る時間と生活リズムを一定にする

の3つです。
特に大事なのは、最後の「寝る時間と生活リズムを一定にする」ということです。
特に躁の時はなかなか寝付くことができず、睡眠時間が短くなる傾向にあります。
その状態が続くと、鬱の時の沈み込みが更に酷くなります。
それを未然に防止するためにも、寝る時間と生活リズムを一定にすることを意識しています。

これらの甲斐もあり、結果的に鬱のダメージが少しずつ軽減されるようになってきました。

これからの展望

前編に続き、後編は2024年の1月から現在にかけての状況についてまとめました。

躁鬱との戦い……いや、共存の在り方の模索は、これからも続くことになります。
そこで、最後にこれからどのようにして共存していくか、その展望をまとめていきます。

躁鬱の変化するタイミングと事前の対策

なにより大事なのは、躁と鬱が変化するタイミングを理解し、あらかじめ対策をすることです。
たくさん寝る、何もしない、など、具体的な対策をあらかじめ行うことで、躁や鬱の時のダメージをある程度まで減らすことができます。
そのためにも、日頃から自分のことを観察し、躁鬱の変化するタイミングと事前の対策をこれからも講じていくつもりです。

投薬治療と認知行動療法

投薬治療や認知行動療法は、これからも継続していくことになります。
これらの治療は、自分で辞めてしまおうと思えば辞めてしまえるものです。
実際に、躁鬱の患者の中には、治療を継続できずに途中で中断してしまい、さらに症状を酷くしてしまう人もいるそうです。

そうならないためにも、これらの治療はこれからも継続して行っていくつもりです。

積極的に躁鬱のカミングアウトをする

躁鬱の治療を行いはするものの、症状を抑えるのには限界があります。
そのため、社会でうまく生きていくためには、自分で問題を抱えるだけでなく、人にも協力を仰ぐことが大事です。
つまり、他者に積極的に、自分が躁鬱であることをカミングアウトする必要があります。

他者に躁鬱をカミングアウトし、自分の症状を理解してもらうことで、少しでも自分が生きやすい環境を、自分から作っていくことができるようになります。

おわりに

ここまで、躁鬱になってからの自分のあり方、そしてこれからの展望についてまとめました。

自分はこれからも躁鬱の治療を受け続け、少しでも社会に順応できるように努力していくつもりです。

この文章が、躁鬱になった人々の助けに、そして周りに躁鬱を抱えている人がいる方々への参考になればと思います。

強く生きましょう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?