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谷崎潤一郎『文章読本』感想

先日、上手な文章とはなにかということについて少し触れた。

しかし、文章が上手であるという意味がいまいちよくわからない、というか言語化できていないから、まずは文章読本を読んでみようと思ったのだ。

その手の本はたくさんあるが、まずは古典から始めようと考えたのである。

というわけでこれお買い上げ。

しかし、よく考えると谷崎の本は全く読んだことがない。増村保造による映画化(もちろん若尾文子主演)を何本か観て、読んだ気になっていたのである。だから、どういう文章を書く人なのかよく知らないのだが、買ってしまったので読んでみたのだ。

本書の刊行は1934年で、初版は歴史的仮名遣いだったそうだが、これは現代仮名遣いになおしてあるので問題なく読めた。

基本的に日本語の特徴をベースにして良い文章を考えるという体裁である。

例えば、日本語は英語に比べると同義語が少ないので、細かいニュアンスを単語レベルでは出しにくいのだが、それでも少ない言葉で情景が目に浮かぶように書くことは可能だ、ということを源氏物語などを例に出して示している。。。源氏物語って、、、現代人にはちょっと敷居が高いのではないだろうか。もっと中高時代に古文の勉強しとけばよかったと今更ながら後悔した。

英語に比べたら少ないとはいえ、日本語にも同義語は多数ある。しかし考え抜かれた文章では言葉は一つに定まるはずとのことだ。一つに定まらないとしたら、考えが足りないということらしい。これはわかる気がする。

また明治期以降に造られた言葉はなるべく使用しないほうがいいらしい。例えば、観念とか概念とか思想とか。英語でいえば、ラテン語ではなくゲルマン語由来の言葉を多用するみたいな感じだろうか。これもなかなかハードルが高い。
そもそも私は、明治期に言葉が輸入されたときに、安易にカタカナ語にしなかった当時の知識人をとても尊敬しているのである。今みたいになんでもカタカナにしていたら、日本語は非常にだらしない言語になっていたであろう。
とはいうものの、1934年当時はそのようには感じられなかったというのは大変興味深い。

さらに日本語はパンクチュエーションのルールがあってないに等しい。これを都合よく用いることで、音感を整えることができるという。私はいつもこのルールの無さに悩んでいたのでこれは慧眼と思えた。

文章においては内容だけでなく、音感や字面も大事だと谷崎は強調する。これは同感だ。特に、文章には隙間が大事だということで、ここで引用されるのが候文、、、これまた現代人にはハードルが高い。

というような調子で、要所要所でずっこけるのであるが、TPOに合わせて文体や調子を考えましょうという論調なので、面白く読むことができたのであった。

なお文庫版の付録として、小林秀雄、折口信夫、内田百閒、三島由紀夫らの書評が収録されているので得した気分になれた

というわけで次は三島の文章読本を読んでみようと思うのであった。



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