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辻邦生『背教者ユリアヌス』読んだ

辻邦生による一大叙事詩、全4巻読み終えた。かなり長かったな。でもローマ帝国の広大さと多様性を描くにはこれくらいの分量は必要だったろうし、それに面白かったし読んでよかった。

コンスタンティヌス大帝の甥であり、数奇な運命により皇帝となったユリアヌスの生涯をもとにした小説である。哲人皇帝であり、最後の非キリスト教皇帝であった。

なにが良かったって、コンスタンティヌス、コンスタンス、コンスタンティウス、コンスタンティアなど似たような名前の人たちの区別がつくようになったことである。これこそがエンタメの力だよね。

ときはコンスタンティヌス大帝の晩年である。つまりキリスト教がローマ帝国内で勢力を拡大し、皇帝の公認を得た時代だ。宮廷に入り込んだキリスト教徒たちは権勢増大に余念がなかった。

コンスタンティヌス没直後、勢力拡大を図りたいキリスト教の一派の陰謀により、主人公ユリアヌスの身内はあらかた殺されてしまうという衝撃のスタートから皇帝に上り詰めるまで、一気に駆け抜ける。
皇帝に推戴されてからの、なにごともうまくいかない感じ、背景でなにか良くないことが進行している感じは、本当に胸が痛くなる。
そして全てが砂漠の砂粒のごとく消えていくラストは感慨深い。

物語の軸は、ユリアヌスらが信奉する古代ギリシャ的な価値観とキリスト教との対立だ。

古代ギリシャ的な価値とは、現世における秩序、悦び、真理を追求することである。ギリシャやローマの神々のような超越的サムシングも崇拝しているが、その焦点はやはり地上にあるのだ。それはローマ帝国の理念ともリンクしている。

それに対してキリスト教はあの世の楽園を志向し、現世にはなにも期待していない。だから学知を軽視するし、今風にいえば反知性主義のようである。
さらにさまざまな民族を包摂していたローマ帝国と異なり、異教徒にたいして極めて排他的であり、またキリスト教宗派どうしの対立も苛烈であった。

地上で歯を食いしばって真善美を追求する古典ギリシャ的な価値観に共感するし、また言葉や論理を正しく用いることに私は良さを感じる。

しかし一個の生活者としては、しんどい現実に目を背けて、神様でもなんでもよいから超越的なものにすがりたいことも多々ある。

自分自身や環境を改善し続けるよりも、イエス・キリストが十字架で罪を贖ってくれたのだから自分はすでに赦されていると思うほうが、どう考えても楽である。

あるいはユリアヌスは、宮廷で醜い権力闘争を繰り広げる司教たちと違って、裸足で貧しい人びとに寄り添う末端の修道士らに共感してもいる。

だからローマ帝国においてキリスト教が支配的な宗教となったのだし、コンスタンティヌス大帝とてその趨勢には逆らえなかったのだ。
ユリアヌスも背教者などと言われるが、ゆうてそんな反キリスト的なことはできてない。犠牲獣毎日100頭奉納とかそんな程度である。

しかし物語の中で魅力的なのは言うまでもなく、ユリアヌスとその仲間たちである。4世紀ころの歴史が面白いのは、そうした魅力的な人びととキリスト教の相克、あるいはヘレニズムがキリスト教に影響していく過程ゆえである。

つまり思想面においても古代から中世へ移行していく時代なのだ。

あの時代の人たちにはいったいなにが見えていたのだろうか。読んでいるうちにそんなことを知りたくなった。そういうわけでラテン語の勉強を再開した。古典ギリシャ語もいずれ学ぶことになるだろう。



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