1027 それぞれの倫理とか

最近『手の倫理』という本を読んだ。

この本は美学者の伊藤亜紗さんが「さわる」「ふれる」の言葉の使い分けに疑問を持ったところから、他者の体や心にさわる時とふれる時の違いを色々な確度から検証していく超面白い本。ろうあ者にインタビューを繰り返し行ってきた伊藤さんが今度は“手”について本を書く、その時点で超面白い本になるだろうと思ってたんだけど、心に残ったのはこの本の第一章だった。

第一章「倫理」では、「道徳」と「倫理」は異なるものでは、という提案からはじまる。ほぼ同じような意味で使われ、辞書によっては同じ意味とされてるこの2つの言葉。それでも、この時代において「道徳」と「倫理」は分けて語ったほうがいいものなんじゃないか、という。

ざっっくりまとめると、「道徳」は正しさ、破ると非難を伴う普遍的なもので、「倫理」は生き方、そこに答えはなく必ずしも非難とは結びつかない個別のもの。前者はあるべき姿を描くもので、後者はどうあるかを描くもの、とも言い換えられる。例えば、「人に優しくしましょう」「人のものは盗んではいけない」が道徳だとすれば「人に優しくしなくてもいい(場合によっては)」「人のものを盗んでもいい(場合によっては)」となるのが倫理、つまり、そこをどう置くかにその人のいわゆる“倫理観”があらわれる。この文章だけでスッと楽になれる部分があるというか、そもそもそこはカスタマイズしていいんだった!みたいな発見がある。

これでいうとうちの母親は超道徳的な人で「赤信号が赤なら渡らない」「誰であれ贈り物を貰ったらお返しをする」ような聖人君子みたいな、まじな性格。とはいえ周りの人はそんなに真っ直ぐな人ばっかじゃないから、その一種の“優しさ”みたいなものに自分で苦しめられてるのを見て育った。
一方、自分は「赤信号は車が来てなければ渡っていいし、危険じゃなさそうであれば車が来てても渡ってもいい」「贈り物を貰ったとしても、必ずしも返さないといけないとは限らない」みたいなグレーゾーンに利き足を置いた性格に育ったのかもしれない。どっちがいい、とかそういう話ではなくて、「道徳」はほぼ誰から見ても正しい姿だからそれさえ守っていれば自分への信頼・安心感は揺るがないし、揺らいだとしたら、それは他人の「倫理」に揺さぶられる時くらい。かたや「倫理」を大事にして生きつづけても、なにが正しいのか分からなくなるというか、いわゆる“世間≒道徳”とのギャップに揺さぶられることになる。

こうして「道徳」と「倫理」を分けて語るだけで、それ以上に人生まるっと、どこまで正しくどう生きるのか、どう倫理をカスタマイズして生きるのか、明確に切り分けて考えやすくなる。
                 
以下は本の中にある、
倫理学者アンソニー・ウエストン『ここからはじまる倫理』の引用の引用。

この場合はこうしなさいと道徳的に説いたり指図することは、一般的に言って、倫理の目的ではない。その真の目的は、考えるための道具を与え、考え方の可能性を広げることにある。世の中にはそんなに単純で明確なことなどめったにないということを認め―これは倫理の根本であるー、それを踏まえて、困難な問題を考えていく、そのために倫理はさまざまな可能性を示すのである。だから、進むべき未知を求めて格闘し、不確かなままに進んでいく、それなしには倫理はありえない。


この間渋谷駅で乗り換える時、壁一面にNetflixの広告が掲出されていた、すごく短絡的な広告で、Netflixオリジナルの代表作を挙げながらそれと一緒に安っぽいコピーで“多様性”をうたうような内容だった。ここ数年、異性愛を前提にしない映画とかドラマ、LGBTQを取り扱った作品とかが一気に増えてるというか、学園ドラマなら誰かしらが同性愛者とかでないと怒られそうな雰囲気がある。ある程度の企業なら”ダイバーシティ”にまつわる研修とか盛んだし、日々そうした何かしらのトピックがSNSで血気盛んに議論されてるのが本当に疲れる。こうしたことにまつわる違和感の正体も「道徳」と「倫理」の混同にあるのかもしれない、と思った。

例えば夫婦。よく話題にあがる「夫婦なんだから家事は分担。男性のほうが稼いでいたとしても協力的にすべき!」みたいな意見はあくまでも道徳的な話で、もちろんその方がいいとしても現実はそうはいかない。女性が家事をして男性が稼ぐスタイルを”やりたくて“やってる人も無数にいて、本当に多様性を認めようとするなら、それを選んでる人たちへの配慮も必要なんじゃないか。
とはいえ、ここには男性優位の複雑な歴史もあって、ある意味過渡期としていったん排除すべき!みたいな論調が出てくるのは分かるんだけど、ちょっと道徳的な声が強すぎるような気がする。(っていう言葉さえ、自分がもし有名人なら「男性として生まれてきたからそんな悠長なことがいえるんだ!」って怒られそうだけど)夫婦に限らずどの関係性もイーブンな方がいいとはいえ、現実はそうじゃないからこそ、二人の間でうまく折り合いをつけながらやっていくために会話を続ける必要がある気がしてる。

倫理は個別にカスタマイズできるからこそその分衝突も起きやすいんだろうけど、そこをうまくお互いで言葉にしながら、すり合わせを行っていくことだけがどう生きるのか、に繋がってくるんじゃないのかなと思う。道徳的なのは、正しいけどつまんないもんな。

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