お久しぶりです。 ちゃろです。 2021年12月にドイツから帰国しました。 その後は、 2022年1月から本格的に就職活動を始め5月に終わり、バイトや遊び、資格勉強、社会人のサッカーに参加したりと充実した日々を過ごしていました。 そして2022年12月4日から再び留学に来ています。 その国はというと、見出し画像にでもある通りアメリカです🇺🇸 入社が2023年の4月なのでそれまでに留学にもう一度行きたいと思っていました。 そもそも、なぜアメリカに来たのかというと、
日本に帰国して約2週間が経ちました。 ドイツにいた頃は、早く友達や家族に会いてーとか、日本食食べたいなど日本が恋しくなっていましたが、日本に帰国すると、ドイツへ行くことを楽しみにしていた日がつい先日のように思えます。 「あ、もう日本か。」 と、ドイツでの生活が一瞬のように感じました。 それほどドイツでの生活が充実していたんだなと、改めて実感しました。 僕は約1年(正確には10ヶ月半)サッカー留学という形でドイツへ行きました。 ドイツでの生活は、僕の想像を遥かに超えるほど
「世界に通用するサッカー選手になること」 僕が幼稚園の卒園式で、先生や保護者、友達の前で発表した人生で最初の夢。 恐らく、2002年の日韓ワールドカップをきっかけにこの夢を持つようになったと思う。 4歳からサッカーを始め約20年間、幼稚園の頃から夢は変わらずただ直向きに打ち込んできた。 なぜこの夢を20年間もブレずに追い求めてこれたのかはわからない。 たぶん答えはたくさんあると思う。 あの観客の前でプレーがしたい お金持ちになりたい 目立ちたい 誰かの理想になりたい
今回は日本とドイツでのサッカーの違いや感じたことについて思うがままに書いていきます。 まず、なんといっても「気持ち」の面では全然違いますね。 良い意味で負けん気が強すぎて試合前のアップからバチバチしている選手もいますし、怪我を恐れている感じも全くありません。 僕は普段の練習ではとにかく怪我をしたくないので無理な体勢でのプレーや100%のスプリントはしないのですが、そんなこと関係なしにとにかく勝つことだけを考えてプレーしている選手が多いです。 それが原因とは言いませんが、
10月3日、代理人であるハリーから今後について話がしたいと家に呼ばれた。 僕の中ではおそらく、12月に日本へ帰るため、どのようにチームに伝えるのかという話し合いかと思っていた。 しかし違った。 「君はとても良いプレーヤーだ。君の能力は5部じゃなくて、4部以上で通用するプレーヤーだ。だから君には残ってプレーして欲しい。冬に帰るのは勿体ない。ちなみに、1ヶ月後の試合に4部のスカウトが君を見に来る。でも、プレッシャーを感じてほしくない。ただリラックスしてサッカーを楽しんで欲し
今回は僕が現在ケルンで住んでいるシェアハウスについて紹介していきたいと思います。 僕が今住んでいる場所はケルン中央駅から電車で一本20分のところに位置しています。 このシェアハウスには7月から住みはじめて、契約は半年間です。 なぜ半年間の契約なのかは分かりませんが、僕としては12月に日本に帰るのでちょうど良かったです。 僕が住んでいるシェアハウスは4階建てで、1階が大家さんの仕事場、2階が4人部屋、3階が6人部屋、4階が4人部屋になっています。 僕は3街の6人部屋に住んで
ドイツに来て約9ヶ月が経ちました。 ドイツ生活にもある程度慣れてきて、ロックダウンが解除され、ケルンに引っ越しをしてからは出かけることも増えたので現地の人々の雰囲気や生活感もある程度知ることができました。 今回はこれまでのドイツ生活で感じた僕なりの「ドイツ人」について書いていこうと思います。 まず結論から話すと僕がドイツ人に対するイメージは、 人間味がありポジティブ思考 簡単にまとめるとこんな感じです。 なぜそのように感じたのか人間味から取り上げていきます。 僕は
皆さんこんにちは。 ドイツでサッカーをしているちゃろと申します。 今回は、今後、ドイツでサッカーをしようと考えている人に少しでもアドバイスできたらと思い、ブログを書くことにしました。 日本でサッカーをしている人たちは誰でも一度はヨーロッパでサッカーをすることに憧れを抱いたと思います。 僕は中学3年生の頃、高校には行かず真剣にヨーロッパでサッカーをしようと考えていたことがあります。 親には相談せず1人で『ヨーロッパ サッカー 留学』と、調べていました。 行き着く先はもちろ
僕はこれまでのサッカー人生で、試合中に泣きそうになったことが何度かある。 それは、負けている時の悔し涙ではなく、勝っている時の嬉し涙でもなく、怒られた時の涙でも褒められた時の涙でもなければ、ゴールした時の喜びでも失点した時の悔しさでもない。 「あの感覚」はうまく言語化できない状況の時に陥っていた。 僕の友人が大学での最後のブログを書いた際、今回僕が取り上げている「あの感覚」について書いていた。 一部を紹介しようと思う。 「あの感覚」ってゾーンじゃね?感動じゃね?って
僕がまだ所属先が決まる前、いくつかチームに練習参加をしていた4月の頃、 当時同じ家に住んでいた日本人の子(彼はドイツ6年目)に、 「ドイツ人って日本人に比べて繊細さも足元の技術もないんですけど、サッカーは上手いんですよね。」 という話をしていた。 その話を車内で聞いた時、なんとなくわかる気がしたが、それが何故なのかわからないままでいた。 そんなドイツ人のサッカーのうまさを考えながら練習参加し、所属先が決まった。 それから約5ヶ月が経った。 自分の中では答えが出た。
今までの人生を振り返って、居心地の良かった瞬間はたくさんあると思う。 ・テストで100点をとり先生からも親からも褒められた時 ・仲の良い友達と遊んでいる時 ・趣味に没頭している時 主にこれらの状況は、 「自分自身にプラス要素しかない状況」 であると思う。 テストで100点をとって怒られることはまずないし、仲の良い友達と遊んでいる時、趣味に没頭している時に居心地の悪さを感じることはまずないと思う。 日本にいた頃の居心地の良さはこの様なイメージだった。 しかし僕は
ケルンにはこんなライフスタイルがあります。 「Es kommt wie es kommt」 (エス コムト ヴィー エス コムト) 意味は、 「来るものは来る」 初めてこの言葉を聞いた時、僕がこっちの現地の人に対して思っていたことを完璧にまとめてくれました。 なぜ僕がそう思ったのか、実体験が2つあります。 まず一つ目がハリー。 僕は2月頃にドイツに来て、約5ヶ月間ハリーと一緒に生活していました。 この5ヶ月間というのは、コロナの影響でシーズンがなくなり、外出制
7月11日に、やっとドイツで試合をすることができました。 最後に試合をしたのが昨年の12月なので半年以上試合をしていませんでした。 僕は今のチームでは左サイドバックをしています。 左サイドバックは高校3年の夏に5ヶ月ほどしただけなので、左サイドバックは約5年ぶり。 久々の試合と慣れないポジションでプレーだったので、めちゃくちゃ緊張するのかなと思っていましたが、それ以上に試合ができる嬉しさで楽しみの方が大きかったです。 そして初試合の対戦相手が、僕の大好きな先輩がいるチ
実は、先日(ドイツ生活残りちょうど半分の日)に引っ越しました。 また新しい家については別でブログに書こうと思います。 今回は今までお世話になったハリー家のみんなについて書いていこうと思います。 多分誰も読まないと思うけど。。 まずははるき! はるきは俺とほぼ同じタイミングでドイツに来たな〜 18歳で、しかもこのコロナ禍のタイミングでドイツに来る決断は本間に勇気がいるし凄いと思う。 ドイツ語もサッカーも欠かさずに努力してて、みんなでサッカーした後、昼飯食べて、また1人
やっと、チームが決まりました!! とりあえず一安心ですね。 僕の学生最後のチームということもあり、かなり悩みましたし、ハリーウテにも相談しました。 この2人の意見も聞きながらも、自分の決断に後悔がないように、先の自分を想像しながら考えました。 結論から言うと6つ目に練習参加したHeに決まりました。 僕は合計6つのチームに練習参加し、最終的に話をもらったのが、1つ目のPo、4つ目のDe、6つ目のHeでした。 ドイツに来る前の僕のイメージでは、 新シーズンのチームでは、
4つ目はDeというチームです。このチームは毎年5部で残留争いをしているようなチームでした。 レベルは僕が行った中で1番低く、6部のPoよりもレベルが低かったです。 そのため、練習参加した時は技術の違いを見せつけることができ、練習後にすぐオファーをいただきました。 僕としては、選択肢をとにかく増やしたかったので、断りはせずに、考えますと返事をしました。 この時期はまだロックダウン中だったため、2人組での練習しかすることができませんでした。僕のペアの人は基礎練ですら、しっか