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東アジアの文学2

ウッ。泣く。

 私は、我らF先生の行う楽しい東アジアの文学の授業中に涙腺がぬるり、緩むのを感じた。いけない、中華統一で泣く学生だと思われてしまう!

 私はよく泣く人間である。ちょっと悲しいことがあるとすぐに鼻の頭が熱くなり、めそめそし出す。本当によく泣く。

 こんなことがあった。
何の気なしに見ていたテレビ番組がえらく感動的だった。一般的な家庭の主婦が主人公だった。
彼女は、多忙で不規則な仕事に没頭する夫とコミュニケーションが取れず、その上、すくすくと育った高校生の娘と中学生の息子は揃いも揃って反抗期、彼女に対しての尊敬がほぼなく邪険に扱われて孤独を感じると。そういう内容だった。

この時点でソファーに転がっていた私の体はちょこんと正座の体勢になった。大変だ、彼女は実質一人で子育てをしているわけか・・・。かわいそうだ・・・。

 
彼女は孤独による強いストレスでなかなか眠つけず、そして朝も起きられなかった。
そうすると、家族は朝食を用意しない彼女に対してさらに冷たい態度を取るのである。
まさに負のループ。気持ちはどんどん落ち込み、人生に張り合いがなくなり、なんだったか忘れてしまったが彼女はずっと続けていた趣味にもやる気を失い、ドン底で泣いていた。

この時点で私の目元はプルップルだ。
なんてひどい話なのこれ!夫も忙しいかもしれないけど、こんなに頑張っている奥さんのこと考えられないの!?だいたい子供たちもそう、朝ごはんくらいどうにか出来るでしょうよ。もう、本当にひどい・・・。愛がないってこんなにも辛いのね・・・!といった感じでバッシャバシャ泣く。

 そうして涙で歪んだ目を一生懸命凝らして画面を見つめる。そうすると、彼女を真剣に心配していた友人の一人があるものをオススメするのである。

そう、緑色の液体である。

これを飲んだら気分も明るくなるし元気になるよ!生き生きと話す友人の横顔を見て彼女は決心する。

私も青汁飲もう・・・!と。

それからの彼女はかなり勢いがある。

家族に叱られてばかりで自信を喪失していた設定はどこへやら、まず青汁のスペシャルセットをなんと一ヶ月分注文する。初心者にはなかなか難しい大量発注である。
その上、届いて実際に青汁を目にしたことで凄まじい自信を身につけ、家族に対して半ば強制的に青汁を飲ませるのである。

 そうするとアラ不思議、彼女に対して尊敬もクソもなかった子供たちが青汁をゴクゴク飲み出すのである。しかもまろやかでおいしいとご満悦だ。
さらに最大の問題であった夫も、「オッこれウマいじゃん!」と笑顔になり、彼女への愛を再認識するのである。


 私の目元に広大なるサハラ砂漠を感じた。あんなに濡れていた頬はパリッとしている。パンパースで涙を拭った記憶はない。日本が誇る最新技術、吸水ポリマーなしでもムレずに乾いてしまった。私の涙を返して。

 

青汁のCMでビャービャー泣く私であるから、返してと言ったものの涙はいつでも無限に出るわけでして。だから、東アジアの文学で涙をこらえるのも大したことではない、と言いたいところだが、私の中では大きな涙であった。

 それは授業も残りわずかな一月の、第十一回の中で起きた。

 いつものように教室の前方に置かれたプリントを数種類取り、席に着き、そうして授業が始まる。先生の声は役者のように低く良い声で、そしてよく響く。朗々と読まれる史記とその解説を聞いているうちにうつらうつらし出すのがお決まりだ。(ごめんなさい。)

 眠気に誘われるまでにはやはり少々時間が必要で、夢の中に飛び込むまでの間はしっかりと授業を聞き、プリントを読んでいる。こう書くと眠気が来るのを待っているように読めてしまうが、断じてそんなことない。

 そんな真面目に聞いている中で、私はウッと泣きそうになったのである。ふざけていたわけではない、本当に真面目に聞いていた。本当に。

 そのきっかけであったのは、中華統一が目前と迫った中で太史公が話したとされる言葉、「死を知るは必ずや勇なり。」という一文とその解説である。とても心に残ったので抜粋する。


 「知死必勇」は伝統的には「死を知れば必ず勇なり」と訓じ「死を覚悟すれば必ず勇気が出る」というように読むことが多い。

ここではあえてその解釈を取らず、「死を知るは必ずや勇なり」と訓じた。

「誰でも死を覚悟すれば勇気がわく」「死ぬ気でやればなんでもできる」といったありがちな教訓ではなく、死の重さを知り、いつどんな時に命をかけるべきか悟った上で行動できる事こそが「勇」である。

 

つい昨年のクリスマスイブに三年半もの間付き合っていた彼氏と別れた。そのうち最近の一年なんかは、上手くいっていたと嘘もつけないくらいひどかった。

 たぶん、ものすごく大好きだったのだと思う。たぶんとつけてしまったけれども、それは断言することで泣きたくなるのを避けるためだ。

 提出課題で別れた男の悪口を延々と書くのもなかなか哀れなので、いかにひどかったかは省略するが、それはそれはひどい男だった。けれどもとっても大好きだった。

 私は、彼を好きであるという、その気持ちを尊重するあまり、たくさんの犠牲を払って歯を食いしばって耐えてしまった。長い間、彼の気分とご都合で変わる色々なわがままを飲み込んでは、あまりにもつらくて、グッと喉の奥が締まる感覚を味わった。

 例えば、もう演劇はしないでねだとか、僕の自信がなくなってしまうから仕事(私はちょっと珍しいバイトをしていて仕事にもはや近いのです!)であまり成果を出し過ぎないでほしいだとか。昔は私の書く文章が面白い面白いと言っていたのに、君の文章はつまらないからもう自発的に書くことはやめた方がいいと思う、だとか。

 長い付き合いであったし、彼は不器用ではあるけれども真面目な人間だと思っていたから私は素直に言うことを聞いた。
いや、素直にというのは嘘かもしれない。
納得が行かなかったからこそ、しんどいという気持ちが生まれていたのだと思うから、本当は納得なぞしていなかったから無理に歪めて合わせていたのかもしれない。

 振り返ってみれば本当に本当につらかった。喧嘩をしては何度も私の器が小さいからという結論に落ち着き、その度にどうしたら良いのだろうかと考え、そして出した答えを実践する。彼はご都合主義であったから、「揉めるたびに生まれるルールなんか覚えられないし、守れもしない。その時その時で行こう。」と言った。

あなたのその時その時で苦しむのは私であるのに!という気持ちから顔を背けて、私はそうかもしれないね!と黙って頷いた。

 別れてから、ずっと悩んでいた肩こりがなくなった。整体やカイロプラクティックに通っても治らなかった頭のあたりの重いコリがなくなった。肌荒れも綺麗に治った。爆食もほぼない。寝付けが良くなり、寝起きも良くなった。ご飯は美味しいし、視界は少しだけ高くなった。そんなにつらかったのか!と誰よりも私が思った。青汁スペシャルセット1ヶ月分浴びたってこんな元気にはなるまい。

 でも、あの時好きな気持ち一本でどこまでも戦えるような気がしていたのは確かで、同時に幸せでもあった。だから、もっと早く別れたらよかっただなんて思わない!この結論にたどりつくまでに大事な道のりだったのだから!

 なんてふやけたことを考えていたのだが、「知死必勇」の解釈を読んでハッと気付かされ、そしてウッと涙を堪えたのである。

私、勇がない。

普段私は書き込みやマーカーを好まない。
六法も真っ白だ。
だけど、私は持っているマーカーで一番派手な黄色いマーカーで、ギューっとプリントに線を引いた。

 私、本当はもうとっく限界だったのだと思う。毎日体は重くて、重力に圧に負けて縮こまっているのに、頭の中はいかに自分の器を大きくするかでいっぱい。目指すは菩薩さま、慈愛に満ちた微笑みですべてを許し受け止めねばと常に肩で息をしていた。

つらかったのに、その事実を認めたくないあまり、彼のことについて悩み苦しんでも一滴とて涙を流さなかった。

泣いたらやめようと思っていた。

だから泣けなかったし、泣いたら負けだと思っていた。

だから、別れた後も、悪い噂を聞いた後も、別の女の子の存在を知った後も、ちっとも泣かなかった。

 でもそれは無意味だったのだと、気が付いた。彼が変わってしまってからの私たちに流れていた時間は、そしてその間私が耐えたり苦労していたあれこれは「勇」な行いではなかったのである。頑張りどころが、違う。

 私は自分の大切さがよく分かっていなくて、いつどこで何のために頑張り抜けば良いのかも分からなかったのだと、その時初めて分かったのである。そもそも好きな気持ち一本でどこまでも戦えるとは一体どういうことだ。戦うなよ。

 自分を大事にしようと思った。好きだからって無駄なことしちゃったね、めちゃくちゃバカだったね。そうしてウッと来たのである。絶対に漢文読んで泣くちょっと危ない学生に見られたくなかったので、目を見開いて乾燥を待ちながら安堵した。やっと私、立ち直れます。

 私はよく泣く人間である。ちょっと悲しいことがあるとすぐ鼻の頭が熱くなり、めそめそし出す。本当によく泣く。

 だけど、私は度合いが分からない。青汁感動物語で流す涙と先生に叱られて落ち込んで流す涙と失恋の涙。その悲しさの度合いが分からない。とびきり悲しかったはずの元彼圧政時代なんかは泣いてすらいない。

 しかも、自分の大切さもイマイチピンと来ていない。自分の無力さをあまり実感できていない。私が矢面に立てばどうにかなると思っているし、何度も背中に誰かを置いて色々と守って来た。守れた時にやっと自分の存在価値が追いついてくるし、そういうものだと思って来た。

自分が非力で小さいものだと気付くのは、彼に手を握ってもらった時、相手の手のひらの分厚さに驚く時くらいだった。いつも私は己の小ささを忘れては彼の手を握り、その度にちょっとだけびっくり、安心していた。その時だけ、守られている気がした。

 きっと、これから先も度合いが分からず体を張りすぎてうんと痛い目に遭うのだと思う。私は自分のことを万能の盾だと思っているから、誰にも傷ひとつつけられやしないと思って、たくさんついた傷から目をそらすのだと思う。

 でも、私には手を握って非力さを教えてくれる人はもういないし、痛い目にはやっぱり遭いたくない。

だから私は、「知死必勇」、自分の重さを知って、いつどんな時に何のためにがむしゃらできるかということを一番に、大事に、これから一歩ずつ歩いていきたいと思う。


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青汁が歪んだ家族を美しく塗り替えるように、私もずっともはや修復不可な彼との関係を塗り替える何かを考え探していました。あるわけないと魔法の青汁を笑うくせに、誰よりもあるわけない魔法を信じ求めていたのは他でもない私!青汁を大量買いする母と耐え続ける私は本質として同じでした。

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