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当たり前、日常、祈り。ひとを想うこと。

イタリア中部地震の犠牲者や被災者のために書かれた曲を書きながら思ったことをつらつらと書く。
2ちゃんねるユーザーに言わせれば、「チラシの裏」と呼べる程度のものだ。
むしろ便所の落書きのほうが適切かもしれない。

なお、この記事は読者の皆さんにイタリアの地震の情報やその他有益な情報を提供するものではない。

「神様なんていない」と叫び泣いていた方は元気だろうか。

あれはラクイラ地震の裁判のときのことだった。
ある日のテレビ(YouTubeにあったものを見たので詳しいことは知らない。もう一度見ようと思ったら、チャンネルのオーナーさんがチャンネル自体を閉じていた)で、ラクイラの裁判について扱っていたものがあった。

そのとき、お年を召した女性の方が、「私はすべてを失った…神様なんていない…」といった趣旨のことを言って泣いていらっしゃった。
コメント欄で、「そう、神様なんていないんだよ…」と誰かが書いていたのも覚えている。

取材は確か2012年のことだったと記憶している。裁判に関しては長くなるのでこちらこちらなどをご覧いただきたい。

彼女は今、どこで何をしているのだろうか。

もしいまもどこかに彼女がいるとしたら…。それは私のエゴに満ちた願いにすぎないが、そう願わずにはいられない。
私の愛する街に住んでいただけなのに、その地で苦しまなければならなかった人たち、そして今なお苦しんでいる人たちのことを思うと私の心は壊れてしまいそうになる。

パガニカでホテルを経営していた方は元気だろうか。

ラクイラから少し行ったところに、パガニカという街がある。その街に小さなホテルがあったと、この本に書いてある。
このホテルのオーナーさんは、あの地震で被災し、旦那さんを心労で亡くしたそうだ。

さて、そのホテルに来年行ってみようと思って調べた。調べたのはいいのだが、メインのホームページが閉鎖してある。さらに、メールを送っても梨の礫で、数日後に「このメールアドレスは無効です」と自動の返事が来た。さらに、Facebookの更新が数年前で止まっている。

なにか悪いことがその人に起こっていないのならよいのだが…。

ネットの時代になっても、思うことは変わらない

奈良時代に防人(さきもり)というものがあり、それがいくつもの家族を引き裂いたことは歴史を習えばわかることだ。
国語の時間に、防人についての和歌を読んだことのある方もいらっしゃるだろう。ネットはおろか手紙すらなかったような時代に、愛する人を思い読まれた歌である。

国国の 防人つどひ 船乗りて 別るを見れば いともすべ無し

全国から集まった防人が(任務のため)船に乗って別れることを見れば、なんともなす術もない。

例えばこんなものがある。私も時間があればぜひ読みたいと思っている。

やがて手紙ができ、電話、新聞、ラジオ、テレビ、そしてインターネットが生まれた。数十年前には文通で何日も待ったものを、いまではLINEが数秒もしないで届けてくれる。地球の反対側にいる人とも、ビデオ通話ができる。

時代は大きく変わったが、思うことは同じ。愛する兄弟達の安全と幸福だ。人間はそれでできている。あのWe are the worldという曲の"We are all a part of Gods great big family/私たちはみな神の一部であり、ひとつの大きな家族なのだから"に見られるようなことが言いたい。

もしかしたら、あの人は私だったかもしれない。

ラクイラの街角で涙を流す女性や、旦那さんを失っても必死に生きるパガニカの女性。彼女たちは、私だったかもしれない。
あの震災で命を落とした人たちは、私だったかもしれない。
あの震災で被災した人たちは、私だったかもしれない。

『明日』はきっと 皆笑えるかな?
小さな声がきっと 僕ら呼んでいるよ
確かな事は この地球(ほし)に生まれ
君と僕は少し『場所』が違うだけ

こんな歌詞の曲がある。この曲は終わらない戦争について歌ったものだが、戦争も震災も、そしてあらゆるものは同じだ。
それに巻き込まれるのは、私だったかもしれない。少しだけ、生まれた場所が違うだけだ。

変わる時代に変わらない想い

それは「愛する」ことだ。

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