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ボルボラ日記 vol.10~『まちカドまぞく』『その他』~

 『まちカドまぞく』という日常系微百合4コママンガが、この世界には存在します。ありがたいことですね。ほんに、果報者ですと私しゃあね……。

 いやもうとにかくシャミ子さんがとても良い子なんです。彼女は光の一族によってかけられた呪いによって貧乏生活を余儀なくされていますが、それでも心は貧しくならず、健気で平和的な努力家。Twitterでしばしば口論をして睡眠時間が不足する私のような穢らわしい塵芥とは別次元にいるわけですね。
 光が、眩しい……。設定的には闇の一族だけど……。

 さて。私はあまりアニメは観ないのですが、『まちカドまぞく』はアニメすら気になったので観てみました。現在7話目まで視聴済み。2020年6月現在は、AmazonのPrimeVideoで無料視聴が可能です。結論から申し上げるとこれはデジタルドラッグです。脳から変な化学物質が分泌されるのが分かります。

 またシャミ子以外の登場人物の誰をとっても、心の底から彼女らの幸福な人生を祈らずにはいられません。実際、ちょっと悪者っぽく描写されるシャミ先(シャミ子の先祖であり一族の始祖。本名はリリス)にしても、何だかんだで良い子です。
 たとえば次のシーンでは、リリスが封印されている邪神像の扱いについて、シャミ子とリリスの間で議論が行われています。

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『まちカドまぞく(1)』(伊藤いづも, まんがタイムKRコミックス)

 こっからムダ話なので読み飛ばしてください。

 上記、一応「議論」ではありますが、「議論」としてはズレています。一連の応答はあまり論理的ではありません。
 少し補足しながら整理してみましょう。

リリスの論点=威厳:「偉大なるご先祖の像」の入れ物として、お茶のオマケではしかるべき威厳が与えられない。ゆえに、より適切な入れ物を用意してほしい。
シャミ子の反論=快適性:しかし、お茶のオマケとはいえフカフカで、また私のお気に入りでもある。ゆえに、今の入れ物のままでもいいはずだ。

 議論クラスタ的にいえば、シャミ子の反論は「論点のすり替え」という詭弁の一種となります。実際、私が誰かとTwitterで議論になった時には、ちょくちょく指摘することです。妥当です。簡単にリリスから再反論するなら、返しの一手は、「今その話はしてねーよ。威厳が足りねえって言ってんだ」といったところでしょう。議論クラスタの基本的な返しです。

 しかし、「議論に勝つ・議論に負けない」を目指すなら有効な返しではあるものの、別のことを目指したい場合もあります。

 じつはシャミ子の反論は、反論として評価するなら失敗ですが、説得として評価するならそれなりに有効打なのです。後者の評価軸(説得性)を採用する場合、「論点のすり替え」とネガティブに表現するのではなく、「新しい論点の提示」とポジティブに表現すべきでしょう。

 セールストークそのものです。「この掃除機、お値段が高いわねえ」に対して、「しかし非常に長持ちするんです。ゴミも1パックでたくさん入ります」というのは、「ズレた反論」です。ただ事実ではあるならば、「こういう観点も加えて再評価してやってくれませんか?」になります。それはこれは日常のコミュニケーションで普遍的にみられる「自然な会話」のやりとりです。これはこれで議論以外の観点からすれば、実に「理にかなって」いるのです。

※またあした、この記事に追記する形で続きを書きます。

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