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真冬の東京。スケボーでホームレスにホッカイロを配り回っていた話

20代、私は都内の赤坂にあるIT企業で働いていた。

ITバブルも弾け10年近く、当時、IT企業での従業員はIT土方とも呼ばれ、キツい、給料安い、帰れないの3Kが当たり前だった。

朝は遅めの出勤とはいえ仕事が終わるのは大体いつも22時は回る。

終電、徹夜もよくあることだった。

常に座り仕事だし、平日は遊ぶ時間などまったくなく家に帰って寝るだけの毎日。

ストレスと不規則な生活で顔色も悪くなり元々運動好きの私もお腹周りが気になりだした。

そんな中、少しでもストレス解消と運動不足を防ぐため考え10代から趣味にしていたスケボーを会社に持って行くようにした。

そして退勤後、スケボーで帰宅することにしたのだ。

スケボーは移動手段であり遊びにもなり、ストレス解消も運動不足も解消出来るまさに、毎日まったく時間のないその時には最高のツールだった。

当時の社長は若く気さくな人で、IT企業でもあったためそれには寛容だった。

さて、会社の場所と言うのは都心ど真ん中の赤坂、自宅はと言うとなんと県境を越えた埼玉だ笑

この話をすると、全員口を揃えて言う

「頭おかしいね!」

自分でもそう思う。

でもそうでもしないと本当に頭がおかしくなりそうな毎日だったのだ。

赤坂から霞ヶ関、皇居外苑あたりを過ぎてお茶の水、秋葉原へ抜けるのがいつものルート。

秋葉原くらいまで来ると体力的に余裕がなければそこからビールを一杯飲んで電車に乗る日も多い。

と、自宅までフルだと大体3時間くらいかかるこの道のりを楽しみながら帰っていた。

当時ストリートのスケボーはやってる人が少なかったので今ほど世間の目は厳しくはなかったが2ちゃんねるなどネットを中心に叩かれていてやはり人の目は気になる。

なのでルートの中でも人がいない裏通りを常に選んで移動していた

そうやって人目を気にして暗い裏へ裏へ行くと、ある人達によく出会うようになった。

ホームレスの人達だ。

世間から割と冷たい目で見られるストリートスケーターの私と、世間から避けらけて追いやられるホームレスの人達、似たような場所にたどり着きなんとなく共感できるようなものを感じていた。

特に秋葉原、水道橋あたりの高架下ではよく見られた。時代はリーマンショックの煽りで新規にホームレスになった人も多かった。

ある真冬の日、いつもの様にスケボーで帰っていた。

まとまった雪があった時の残雪もチラホラ残る極寒の夜だ。

秋葉原あたりで小雪がチラついてきた。

スケボーは水には弱い。

高架下で私は少し足を止めて様子を見ることにした。

するとすぐ横に薄い半分になった段ボールの中でうずくまりビニール傘で吹き込む風を避けながらガタガタと震えているホームレスのおじさんがいた。
多分新規でホームレスになった人なのだろう服は小綺麗だったし、身なりも割と整っていた。しかし真冬にしては薄着だ。

それを見た私は言葉より先に身体が動きバッグに入っていたホッカイロを取り出し

「おじさん。コレあげるよ。」

と、手渡した。

おじさんは、涙目になり

「ありがとう。ありがとうね!ありがとう、、」

と、声のつまった涙声で勝手に抑揚がついたお礼を何度もしてくれた。

その時、なんとなくしただけの行動だったのに、返ってくるものは、案外大きく心に火が灯る様だった。

その日から寒い夜は、バッグパックにホッカイロをたくさん積めて「ホッカイロコース」と決めたそのコースをホッカイロを配るためにスケボーで滑った。

ホームレスになる人は、頑固な人や人嫌いの人も多く受け取ってもらえないことも多い。

でも受けとる人もいて一緒にお酒を飲んだりした。

元印刷会社の社長だったというおじさんに話を聞いた。
仲間に裏切られて家族を置いてホームレスになったという。
会社が傾いた最初の原因はペーパーレスのIT化だ。
それを聞くIT企業の私は複雑だった。

そのおじさんは二週間後に自ら命を絶った。

あるおじさんはリーマンショックで、新規でホームレスになったと言う。
おじさんが言うにはホームレスの中にもヒエラルキーが出来ていて新規の人間は良い場所で寝れないし炊き出しや、食べ物を得る情報も貰えないのだという。

どん底になってもそんな身分制度みたいなものがあることを知り憤りを感じて無性に頭きて頭きて頭きた。

そして、やむに止まれぬ事情で困ってる人がいるのに全て自己責任にする世の中の理不尽さにもムカつきながらスケボーで夜な夜な滑る。

たまにパトカーに追い回されてスピーカーで怒鳴られる時もあったが、若さと理不尽な世の中への怒りでいっぱいだった私は

「うるせー!!ばーか!」

と中指立てて返した

そんな日々が2ヶ月ほど続いたある日、会社で社長から一枚の紙を受け取った。

解雇通知書。

これは私の素行とか、仕事が出来ないとかではなく自分の会社もリーマンショックの煽りで業績が悪化した結果。共同経営者以外の解雇で、事実上の倒産のようなものだった。
少し前から業績が良くないことを知っていたが、自分も社会の漂流者になったのだ。

同時にスケボーのホッカイロコースは終了した。

幸い解雇通知をした社長が気にかけてくれて、次の仕事を紹介してくれたので完全な漂流者にはならなかったが、明日は我が身と感じたリアルな体験だった。

ホームレスのおっちゃん達がその後どうなったか知らないが、この先もなにか困った人を見たら助けてあげたいなと思う。







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