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古草紙昭和百怪4 令和2年如月「午前2時 私の背後に立った白い影は…」(「女性セブン」昭和43年) / 彌生「幽霊と化物づくり五十年」(「週刊事件実話」 昭和36年)

「午前2時 私の背後に立った白い影は…」(「女性セブン」昭和43年)

 國芳の芝居絵から着想を得た大入道に加へ、白無垢姿の鼠や河童といった装飾を配し、隼町の初芝居に描かれた化物屋敷での祝言は、南北ならではの陰陽混淆と申せませう。

 「オバケ屋敷探検記」と銘打ち、読者の滞在記を掲げたのが、「午前2時 私の背後に立った白い影は…」(「女性セブン」昭和43年8月7日 小学館)。但し、廃墟や荒れ寺ならで、怪事で売った有名旅荘に一泊しただけの他愛無さ。それでも、午前「2時、…、白い影がみえた! …、私は腰が抜けたようになって疊をはいまわるうち、ガーンと頭を叩かれた。…『で、出たわ! 頭までぶたれたわ!』 私は半泣きだった。」ところが、結局は肩透かし。「部屋を見まわしていたS記者がとつぜん笑い出した。…、みると、ポットがころげている。私は急に恥ずかしくなった。」 しかも、件の主人曰く「女には…姿はみえんといういい伝えがあるけんど、やっぱりはっきりみえたんだったか…」 かかる間抜けな記事の宣伝効果は、如何ばかりだったのでせう。
令和2年2月 1日 (土)

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「幽霊と化物づくり五十年」(「週刊事件実話」 昭和36年)

 「一龍斎貞水連続講談の会」、昨年葉月より七席に渡る通し口演が目出度く完結。伊右衛門の最期まで読み卒へるのは、当代随一の怪談師でさへ実は初めてとて、毎回満員。音盤では割愛された傳助殺しに加へ、南瓜畑や妙然の条もたっぷり一席に独立。客を入れての公演ならでは、愛車趣味、談志や貞鳳の回想も織り交ぜての融通無碍、もとより女人の嫋々たる表現、色敵と実悪の対比も鮮やか。拝覧拝聴の心積りで、有難く堪能しました。
 この演目、先代扇雀の山城屋と白石加代子の舞台に関はる逸話の記事は未だ保護期間中ゆゑ、「幽霊と化物づくり五十年」(「週刊事件実話」 昭和36年8月1日 日本文芸社 54~5頁)を。肩に「異色人生」、柱には「夢魔にうなされ物の怪に魅入られ霊界の静寂境にとりくむこの人の執念」と、煽り文句も念入りです。
 「七十三年というこれまでの生涯を彫物ひとすじ」に費やして来た…内田鳳雲さん」が、「中村歌右衛門の化粧を手本に」「木彫りの上に青い色を染めて」面を拵えた所、夫婦共に「得体の知れぬ熱病」に罹患。挙句、「夜ごと、二人の枕元を青い灯がゆらゆらと這い回った。…。…、青い灯は一段と明るさを増し二人の枕元で一旦止まったかにみえたが、次の瞬間、ヒッヒッヒッヒッ……と微かに笑う声が聞こえ、…五体に電気を流されたようなしびれを感じた。」
 更に講釈の、秋山長兵衛か河合三十郎の場面さながらの怪事が。「隣に寝ている奧さんが、いきなり起き上って、ふらふらと…歩き始めた。…制止しようと…這い出したが、しびれはますますひどくなるばかり…。」「と、そのときである。天井から、真っ赤な火の玉が鳳雲さんめがけて落ちてきた。つづいて、二つ三つ……と、子供の頭くらいの火の玉が、際限もなく落ちて来た。」この怪仏師は別の記事にも取り上げられてゐますので、いづれ別の機会に。
令和2年3月 1日 (日)

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