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あやしうこそものぐるほしけれ

梅雨の気だるさで、どうにもこうにも。栄養ドリンクを飲んだら、その冷たさで、胃腸がぐるぐる。ますます、どうにもこうにも。

これから夏は、役割を果たさなければならない行事が目白押しなので、それを考えると、一時的に人間じゃない生き物になりたくなります。1学期の終わりには、母として子どもたちの個人懇談があり、そのあとには実家で新盆の集まりがあって長女としてがっつり参加せねばならず、それが終わったら今度は夫の実家に帰省してお嫁さん。どの局面においても結局、私はへらへらするしか能がなく、へらへらしているうちに時は過ぎていくのだけれど、外でへらへらすればするほどメンタルがヘロヘロになるので、人生におけるへらへらタイムは、最小限に抑えたいところです。
生きているうちに、いつの間にかあれこれと、役割を抱えていたなあ。私が役割を果たすとき、対峙する相手の中に、悪人は一人もおらず、みんなそれぞれに善良な人たちだからこそ、できるだけ失敗したくなくて、今日もへらへらが止まりません。

そして、その合間を縫って飛んでくる仕事。どんどん来るとしんどいし、ぱたんと来ないと不安でたまらない、駄目出しをされると、もうやめてやらあ!と腹を立て、褒められると、もっとがんばろう!と気分高揚し、そうやって一人、パソコンの前で日々浮き沈みを繰り返しながら、長年この仕事にしがみついているけれど、これから先、どうなるのか、不安しかありません。もっと能力が欲しいなあ。このご時世、とにもかくにも、仕事を失わないよう、頑張らなければ。

小学5年生の次女が古典を習っていて、『竹取物語』や『平家物語』や『徒然草』などの暗記を、ここのところ宿題で頑張っているので、一緒になって暗唱しながら、ああ、古文いいなあ・・・と、幸せな気持ちになっています。中高時代から古典の授業が好きで、すべての教科の中で、成績が一番良かったのが古文漢文だったのでした。
そんな私なので、『光る君へ』も楽しくて、われながらミーハーだなと思いつつ、図書館で『あさきゆめみし』を借りて、つい先日全巻読み終わり、「源氏物語って超面白い! 紫式部って天才!」と感動したところです。人の果てない欲望と命の儚さとが、絡まり合って激しくスパークしているような物語が、美しく可憐な絵柄で描かれ、源氏の君がどこまでも艶かしくて、こんなロマンチックに人間の本質を描いた物語が、千年前に書かれていたなんて、すごい。私が当時の平安貴族だったとしても、夢中で読みふけっていたに違いありません。

そういえば来週は、都知事選で大河ドラマの放送がないのでした。東京都の選挙となると、地方のそれとは規模が違って、いろいろすごいなあと思いながら報道を見ています。東京はこれから、どうなっていくのだろう。私の愛した20年前の東京とは、もう雰囲気も、だいぶ違っているのでしょうか。
結局のところ、私は田舎と都会の暮らし、どちらのほうが好きなのか、よく分かりません。東京は大好きですが、それは若かったからこそのキラキラ思い出補正も多分に含まれています。今は地元の田舎に住んでいて、まあこんなもんだよねと、可も不可もなく。
一つはっきり言えるのは、ナチュラルに田舎を見下す都会人は大嫌い。若いころ自分自身が、そういう人種になりかけたことがあるからこそ、冗談でもそういう態度を取る都会人の姿にメディアで出くわすと、虫酸が走ります。都会に住んでいるというだけで、謎のステータスを感じていた、あの頃の自分をなぐりたい。「田舎から一度も出たことのない人は、やっぱり視野が狭いよね、つまんないよね」と心のどこかで見下し、そして、都会生活を体験した自分は視野が広がり人生の厚みを増した面白みのある人間だと思っていた、厚顔無恥で薄っぺらなあの頃の自分が、ああ、大嫌い。わが子には絶対そうなってほしくないから、都会と田舎それぞれの長所短所を、できる限り偏見なく伝えたいです。

いろいろなことを書きました。さあ頑張ろう。