東京が大好きだった
何かを少し書きかけては諦めて、下書きばかりがたまってしまった。日々のことを書こうとしても、これといって書きたいことが浮かんでこないのは、自分の日常に誇りを持ち慈しむことが、うまくできていないからだろう。だから、今日の出来事や思いを文章にしたいという欲求がなかなか湧いてこなくて、辛うじて浮かぶ今日一日の感想は、「まあ、ふつう」という具合。
東京に住んでいた頃は、自分の日常の中にいくらでも書きたいことがあって、日々しゃかりきにブログを書いた。大学時代から10年間、いちばん元気いっぱい自由いっぱいの若い時代を東京で過ごせたことは、私の大きな財産だ。
とにかく、東京が大好きだった。ずっと住み続けるつもりでいた。しかし今は、地元の田舎町で暮らしている。そして、東京を離れて10年以上たった今も、東京のあの空気感に、思いを馳せてばかりいる。
家を出て数分も歩けばにぎわった商店街があり、人がたくさん歩いていて、知り合いの目を気にする必要もなく、電車に乗ればあっという間に知らない街まで行けて、違う空気を味わえる。田舎で生まれ育ち移動手段が親の車と自転車オンリーだった私にとって、それは夢のような解放感で、まさしく翼が生えたようだった。
とはいえ、あちこち飛び回って東京を満喫していたかというと別にそんなことはなく、実際のところ、ただ大学に通いほどほどの就活をして会社に通い、それ以上の特別なことは何もしなかった。結局、東京のほんの表層に触れただけで過ぎ去った10年間だった。
きっと私が本当に好きだったのは、東京そのものではなく、東京に住んで生活している自分の姿だったのだろう。東京に住んでいるだけで、物語の登場人物になれた気がした。東京の街の片隅に、自分の帰る家があるという、ただもうそれだけで人生が面白くて、わくわく幸せだった。
いつだか、新宿に就職活動へ行ったとき、歌舞伎町歓楽街の有名なあの看板?を遠目に発見して、あれが椎名林檎の!!と、感動したのを覚えている。東京の地名が出てくる音楽を聴きながら街を歩くのが好きだった。くるりの『東京』は、聴くたび自分のことのように感じた。
お正月やお盆に帰省して飛行機で東京へ戻り、羽田空港に着陸するとき、建物の密集している大都会へ降り立つ自分が、むやみに誇らしかった。空港から家に向かう電車の窓から、ガラス張りの輝くビル街を眺めて、地元の景色とまるで違う世界に戻ってきた自分が、うれしかった。
つまり結局、東京を去るその日まで、私はおのぼりさんのままだった。キラキラの世界に憧れるばかりで、都会人にはなれなかった。
自分も自分の周りも、あの頃とばずいぶん変わった。今もし東京に住んでも、あの頃のように翼が生えた気持ちにはならないだろう。何の縛りも責任もなかったあの時期だから、最高に楽しかったのだと思う。時がたち歳を重ねるごとに、思い出は美化されていく一方だ。
もう戻らない日々にいつまでも焦がれていたって仕方がないから、今、ここでの暮らしを慈しみ、昔のようにパワー全開で書けるようになりたい。憂鬱なことが続いてもユーモアを忘れず、なるべく穏やかに風通しよく暮らし、あらゆることを心で育てて、書きたいと思える自分になりたい。なりたいのだけれど、今日も今日とて自分の一日について思い浮かぶ言葉は、「まあ、ふつう」。