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Re i wa

 「平成って何年まででしたっけ?」
職場の同僚に唐突に問われて「ん?」「ん?ん?」とオコジョみたいな顔をしてやり過ごそうとしたけど本格的に思い出せなかった。アーメン。

 あたらしい元号が発表されるという、人生のなかで何度も体験できることではない瞬間は、会社の倉庫でひとり作業中だった。
一応、日本人たるもの、ひとりの成人した大人の振る舞いとして、ここはしかと聞くべきではないかと思い i Phoneを床に置いて正座して待った。

だが、俯瞰から見たその姿がまるで玉音放送を聞いてるみたいで、さすがにその発想は不謹慎すぎるだろうと思ってやめた。
直後、聞こえてきたそれは耳障りのいい、でもやっぱりどんな受け止め方をするのが正解なのかはわからない“音”だった。


 友人が平成最後に赤ん坊を誕生させた。
名前をどうやって決めたのかと問うと“響き”を重視したという。
流れで調べてみたところ、最初のラ行の音には「理屈」「倫理」「ルール」など“すじみちをつける”“けじめをつける”など几帳面なイメージがつくとあった。

もし本当に、そんなイメージを国民に持たせようと検討されたのだとしたら、有識者たちが今の日本は几帳面ではないと言っているようなものではないか。
いや、実際その通りなのだが。
 
 上辺だけのイメージならばいらない。
いつの時代であれ、そこで生きる自分を認めて誇り高くいること、平成が31年で終わったことすらわからなかった自分にも、そのぐらいの気概はある。
 
 元号の存在など「餃子が食べたいな」と同じぐらい、ふと頭をよぎるぐらいでちょうどいい。

もれなくやっさんのあんぱん代となるでしょう。あとだいすきなオロナミンCも買ってあげたいと思います。