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歌になるぐらいだからよほどの山でしょう?

スポーツ観戦が好きだ。突きつめていくとどうやら団体競技が好きらしい。

例えば夏の甲子園。
アルプススタンドでメガホンを握りしめながら声を張り上げる下級生たちは自分の分身を見ているようだし、ひりひりした炎天下のグラウンドで土や汗にまみれながら白球を追いかける球児は、いつだって“憧れのセンパイ”だ。

あるいは箱根駅伝。
「好きなスポーツはなにか」と問われたら今のところ好きの頂点である。
往復200km、高低差840mの名勝箱根の山をわざわざ走りながら登り、重力に逆らいながら駆け下りる。人間が走ってタスキをつなぐという行為そのものは単純なのに、走っている最中は個人競技で、全体を通すとチーム戦になるという駅伝のロジックがおもしろい。

いつも注目を集めるのは花の2区や山登り5区であるが、前日に雪が降った日の山下り6区はなかなかにクレイジーさが極まっていて惹きつけられる。
早朝の朝日を浴びてキラキラと反射する道路は間違いなくアイスバーンで、選手たちはその坂道を100m17~16秒もの速さで駆け下りなければならないのだ。ふつうに見ていて狂気の沙汰だとおもう。
「恐くはないのかい?」
といつも懸命に走る選手たちに聞いてみたくなる。周囲からの期待とプレッシャーを背負い、人生の晴れ舞台で「転んではいけない」という見えない呪いを彼らはどうやって拭っているのだろう。

険しくなる表情とは裏腹に加速度を増す選手がいる。その一方で急激に足が動かなくなりブレーキがかかる選手もいる。転倒しても立ち上がり1歩を踏み出し地面を蹴り上げ前へ進む。限界まで追い込まれた人間が、苦しみのなかで絞り出す1秒とはなんと重たいものなのか。

スポーツ観戦時の決まり文句「感動をありがとう」という言葉が嫌いだ。
だって感動は誰かにもらうものではない。心が震えたり涙を流した事実は、全部じぶんだけのものだ。選手の1秒に、わたしだけが向き合える。そんな駅伝が好きだ。

もれなくやっさんのあんぱん代となるでしょう。あとだいすきなオロナミンCも買ってあげたいと思います。