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【閲覧録202207-08】(20220716-20220815)

20220716
『宮本常一著作集 5 日本の離島 第2集』(未來社 1970)始。「利尻島見聞」所収。巻頭には宮本撮影の、こないだ周防大島の記念館で見てきた、利尻の写真も掲載。さて、離島振興法の施行は1953年だと。利尻島も対象地域。1958年利尻生れなので、その法制下に生まれ育った。要検討。

20220717
筒井清忠編『昭和史講義3 リーダーを通して見る戦争への道』(ちくま新書 2017)了。渡邉公太「広田弘毅 「協和外交」の破綻から日中戦争へ」・高杉洋平「宇垣一成 「大正デモクラシー」が生んだ軍人」・庄司潤一郎「近衛文麿 アメリカという「幻」に賭けた政治家」・畑野勇「米内光政 天皇の絶対的な信頼を得た海軍軍人」・森山優「松岡洋右 ポピュリストの誤算」・戸辺良一「東条英機 ヴィジョンなき戦争指導者」・波多野澄雄「鈴木貫太郎 選択としての「聖断」」・武田知己「重光葵 対中外交の可能性とその限界」。当方1958年生。2045年を迎えられるかな?100周年に何を思うか知りたくもあり。

20220718
『吉田健一著作集 第四巻 日本に就て 甘酸つぱい味』(集英社 1979)了。「甘酸つぱい味」1957年刊。同年、熊本日々新聞に101回にわたり連載。後、単行本化。一回毎ほぼ字数定量。吉田の最も優れたエッセイかも。自由な精神な流れが堪能でき、その中に独立峰的な名文「古人の月」なども堪能できる。健一は、その十年後戦後初の「国葬」となる父・茂の葬儀の喪主を務め、さらにその十年後死去。茂について書かれたもの、健一について書かれたもの、それぞれ多数あろうが、親子について書かれたものがどれほどあるか。没後60年&70年の2027年、何か出たらうれしいのだが。日本史上の稀有な親子だし。

20220719
番外読書、北海道博物館編『北海道のニシン漁と青山家 旧青山家漁家住宅の魅力 北海道開拓の村 建物紹介①』(北海道博物館 2022)了、勉強になりました。小樽・祝津からの移築復原。青山家の建物は、山形県遊佐町に旧青山本邸、祝津に旧青山別邸が存在。祝津は2月に行ったので、今度は山形行かねば。

『梅棹忠夫著作集 第5巻 比較文明学研究』(中央公論社 1989)始。今、三谷太一郎『日本の近代とは何であったか 問題史的考察』(岩波書店 2017)番外読書中で、ずっと三谷氏は「文明の生態史観」読んだのかどうか気になってる。「東と西のあいだ」など、正しく日本の近代化について書かれているので。

20220720
『岩波講座 世界歴史 06 中華世界の再編とユーラシア東部 四~八世紀』(2022)始。梅棹のなぜ日本がアジアでの中でいち早く近代化されたのかという問いについて考えるには良い読書。古代文明期を持った帝国ではなく、なぜ「後進国」日本が近代化に成功するのか。「東の端の第一地域」と梅棹はいう。

番外読書、野田サトル『ゴールデンカムイ 31』(集英社 2022)了。連載終了、単行本もこうして最終巻が出て、帯にある「大団円」そのもの。第282話から本誌で先読みし、本当に単行本では修正箇所があることにびっくりしたが、31巻は特に念入りに。本誌版は和綴じ製本して保存する予定。色々楽しめる。

20220721
『鶴見俊輔集 4 転向研究』(筑摩書房 1991)。「翼賛運動の設計者 近衛文麿」。先日読んだ『昭和史講義3 リーダーを通して見る戦争への道』所収、庄司潤一郎「近衛文麿 アメリカという「幻」に賭けた政治家」とのギャップに戸惑う。近衛のブレインに尾崎秀実がいたことを初めて知った。勉強せねば。

20220722
『網野善彦著作集 第二巻 中世東寺と東寺領荘園』(岩波書店 2007)了。読み終えたんだけど、何が書いてあったのか説明できないレベルでしかない。p571「あとがき」では大網野も様々な困難を乗り越えてきた様子だし、自分が苦労するのも当たり前か。少しずつ漉し取って、重ねて形にしていくしかない。

20220723
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第三巻』(中央公論社 1995)。ほとんど読み進めず。先日の『鶴見俊輔集 4 転向研究』p210には、近衛文麿が1944年6月13日、高松宮に、共産主義の蔓延について言上したことが書かれてあって、先走りしてその日の日記の巻をみてみたが、その言上には触れられていない様子だ。

20220724
『開高健全集 第5巻』(新潮社 1992)了。「青い月曜日」。読み進むうちに、これは自伝的作品なのかと気付く(遅い)。終戦時に何歳だったかで、その後の人生は大きく変わるんだろうな。平坦に文明化された平成の世にはそんな傾向は少ないかも。「森葉子」こと牧羊子さんの描写が凄まじい。やられた。

番外読書、三谷太一郎『日本の近代とは何であったか 問題史的考察』(岩波新書 2017)了。院ゼミの課題図書。近年で最も印象深い読書になった。ラッキー。面白くためになる。p207「ヨーロッパというモデルはあったものの、ヨーロッパ化のモデルはなかった」という辺りがキラーセンテンスの一つでして。

20220725
橋本治『革命的半ズボン主義宣言』(河出文庫 1991、原版 冬樹社 1984)了。前ツイの三谷センテンスがそのまま、p121の橋本キラーセンテンス「近代の日本というものは、近代化されなければいけないというところからスタートした」にリンク。多読濫読の醍醐味。この本では日本の近代化には深入りせず。

20220726
ファインマン, レイトン, サンズ・宮島龍興訳『ファインマン物理学 Ⅲ 電磁気学』(岩波書店 1969)。第17章 誘導法則。理解できないものをなぜ読むのか。言い訳すると、何が書いてあるかを理解するよりも何が書かれていたかを把握するための読書、自前のリファレンスの構築作業ではないかと思われ。第18章 マクスウェル方程式。p238「マクスウェルは物理学の大統合の一つをなしとげた.彼以前には光があり,電気,磁気があった.あとの二つはファラデー,エルステッド,アンペールの仕事で統合された.そこへ突然,光は”別のもの”ではなく,新らしい形態の電磁気——一片の電場と磁場が自分で空間を伝播するもの――にすぎないものとなった.」、p241「それはすでに登った山の反対側にある.これからは山の別の側にこえて行く用意ができている.物事は別の様相を呈し,新しい美しい展望を得るだろう.」。自分には山越えをする能力はないが、物事の別の様相や美しい展望なら想像することができる。

番外読書、三谷太一郎『日本の近代とは何であったか 問題史的考察』(岩波新書 2017)を課題図書とする院ゼミ。自分の読解の浅薄さが判明し、「徒然草」第53段「これも仁和寺の法師」中の「酒宴ことさめて」状態に陥いる。ゼミに出ることの意義再確認。醍醐味でもあるな。文字通り、勉強になりました。

20220727
『村上春樹全作品 1990~2000 7 約束された場所で 村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(講談社 2003)了。再読。p277「日本における個人を追求していくと、歴史に行くしかないんじゃないか」、これは村上の同世代人橋本治と根底で共通する認識なのでは。日本に限らず、万国共通の話だろうとも思うが。990年代には河合本をよく読んだ。今はもう必要ないかな。でもやはり、村上氏分ともども、これは金言だなあという箇所が何個も。p304「(河合)ほんとうに「おもろい」ことで苦しみを伴わないものはない」、p311「精神と肉体の間にあるものがセックス」、p331「(村上)小説の本当の意味とメリットは、むしろその対応性の遅さと、情報量の少なさと、手工業的しんどさ(あるいはつたない個人的営為)にある」、p362「実際の暴力ではなく、暴力性というものを、やっぱりどこかで上手に使っていかないと、おもしろくないんじゃないですかね。」。身体性は暴力性を常に内包する、とは自分も思います。

東京行20220728-30
29日金)の明治古典会特選市@東京古書会館への参加が目的。コロナの感染状況と高気温をみて、入札終了後はホテルに引きこもり。大西克智『『エセー』読解入門 モンテーニュと西洋の精神史』(講談社学術文庫 2022)読書。と言いつつ30日は展覧会のはしご。同夜、札幌に無事帰着。

東京行20220728-30
30日(土)。東京ステーションギャラリーで「東北へのまなざし 1930-1945」。フライヤに挙げられている名前の主たちは、ブルーノ・タウト、柳宗悦、シャルロット・ぺリアン、今和次郎で、それだけでどんな切り口かわかろうというもの。和次郎・純三兄弟の手業に感動。図録も充実。

東京行20220728-30
30日続き、地下鉄移動で東京ー溜池山王、大倉集古館で「芭蕉布 人間国宝・平良敏子と喜如嘉の手仕事」展。地下鉄で渋谷、井の頭線で駒場東大前、日本民藝館「復帰50年記念 沖縄の美」展。その間、港区の桜坂でミンミンゼミを捕まえたのが今回の旅行のハイライト(え、そうなの?)

20220729
大西克智『『エセー』読解入門 モンテーニュと西洋の精神史』(講談社学術文庫 2022)。p77「モンテーニュもまた、同時代のあらゆる人々と同じく、自分が探し求めていたものの正体を見きわめてはおらず、この点では彼も時代の子のひとりです。と同時に、その正体を、そうとはっきり意識しないまま、しかしもっとも厳密な意味でみずから掴もうとした点で、時代にただひとりだけの例外的存在でした。そのために、彼は「自分」の周囲に漂うすべての虚構を破壊する試みに乗り出します。あらゆる虚構を排除して、あるがままの「自分」に到達しようと意図します。その試みは、結果として、さきだつ二百年のあいだ漠然とさまよっていた希求をほかのだれにも委ねることなく充足させ、人間の内なる現実に繋ぎ止めようとする試みになるでしょう。」。試み=essayer なんだよね。p82「人はそれぞれ、自分の眼に不慣れなものを野蛮と呼んでいる。」みたいなことを言ったりする。これなんかは「徒然草」的?

20220731
『内村鑑三全集 3 1894‐1896』(岩波書店 1982)。「世界の気候は炎熱を加へつゝある乎」(1894)、日清戦争の時代の文章、p49「時々父老より聞く所にして亦た全く拠る所なきの言に非らず。」。二酸化炭素排出量に関わらず、温暖化(人為的ではない)が進んでいるんじゃないかとも読めるがどうだろ。

20220801
山室信一『思想課題としてのアジア 基軸・連鎖・投企』(岩波書店 2001)。p507「ある概念がいかに受け容れられていったかは、その社会のあり方を逆照射するものであり、議会や政党、世論や図書館や学会などの事例を採り上げても各々の社会の特徴が浮かび上がってくるであろう。かくして、訳語ひとつのなかにさえ異なった政治社会間の相互交渉から生じた思想的な軋轢と共鳴を伴いながら、テクストとしての思想が交錯・連関し、呼応しあう、まさに多声的な間テクスト性(intertextualite)が現われているはずなのである。」。この「第七章 国民国家形成と思想連鎖のゆくえ」が、この本の肝みたいだ。

20220802
『漱石全集 第五巻』(岩波書店 1994)了。「三四郎」(1908年初出)了。p417「「迷へる子(ストレイ、シープ)——解って?」」とは美彌子の三四郎への一言。『草枕』の那美、『虞美人草』の藤尾、『三四郎』の美彌子、皆「迷へる子」であると自分には思えるのだが、どうなんだろう。次は「それから」。

20220803
『柳田國男全集 第三巻』(筑摩書房 1997)。「郷土誌論」(1922)、p171「早い話が百戸の村に九十を超えた老人の居らぬと云ふ事実は、総住民が略九十年にして一たて入代りとなることを意味します。」「二百年も立たぬうちに既に人の想像の外」、そう、そうして時代は変わる。「祭礼と世間」(1922)p207「祭日の鋭敏なる感覚は、やがて又其記憶を、何時までも愉快ならしむるものである。村の人の拙なる修辞では、単に之を「面白い」と云ふ語で表はそうとする。而して「面白い」は天磐戸以来の古い辞である。神人和融と云ふのは、恐らくは此の如き境涯を意味した語であろう。」で、神輿は荒れると。

20220804
フォースター/吉田健一訳『ハワーズ・エンド 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-07』(河出書房新社 2008)了。一気読み。1910年作品。漱石は修善寺で大吐血し、欧州人はまだWW1を知らない。フォースターも主要作品読まなきゃ。映画も見なきゃ。吉田健一の翻訳ももっと読みたいし。日暮れて道遠し。

20220805
『寺田寅彦全集 第六巻 科学2』(岩波書店 1997)始。「戦争と気象学」1918、p15「日本軍がシベリアへ出世するという場合でも、気象学上の知識は非常に必要である。」。まさしくシベリア出兵の年に世に出た文章。案の定寅彦の見解通り、シベリアで日本軍は「意外の結果を来た」し、苦労したらしい。「ロブ・ノールその他」1932、p41「一日も早く「世界空中写真帳」といったようなものが完成されるといいと思う。それが完成すると吾々の世界観は一変し、それはまた吾々の人生観社会観にもかなりな影響を及ぼすであろう。」。Googleマップじゃん!先見の明。世界観人生観社会観は一変したのかな?「物質群として見た動物群」1933、p65「東京の著名な神社の祭礼に、街上で神輿を担いで廻っている光景である。大勢の押し合う力の合力の自然変異のために神輿が不規則な運動をなして」、柳田国男「祭礼と世間」1922で「神輿荒れ」に触れたばかりで、興味深かった。同現象へのアプローチの違いが。「夕凪と夕風」1934、p72「このごろはしばらく「世界の夕凪」である。いまにどんな風が吹き出すか、神様以外には誰にも分りそうもない。」。翌1935年、寅彦死去。その10年後は当然1945年。今回の「世界の夕凪」期は2014年のクリミア併合辺で終わったのかと漠然と考えてる。何しろ、God only knows。

20220806
永井荷風『荷風全集 第五巻 ふらんす物語』(岩波書店 1992)始。「「フランスより」〔『あめりか物語』附録〕」1908。インテリ放蕩息子、ついに憧れのパリ・おフランスへの巻。おだっているのを隠そうともしない。明治大正期文化人の属性類型分別化を考えている。留学遊学経験の有無も属性の一つね。

20220807
山崎広明他『もういちど読む山川政治経済 新版』(山川出版社 2018)。第2部現代の経済>第1章経済社会の変化・第2章現代経済の仕組み。わかったような顔をして生きてるが、改めて解説いただくと、そうだったんですか!という事項が数多く。ちゃんと常識を知ってから、常識を疑えとか言えというね。p149のグラフ「所得税による所得再分配効果」(2015年,国税庁『民間給与実態統計調査』平成28年度版により作成)によれば、給与1001万円以上層の給与所得者数は全体の4.3%、給与総額は同15.4%、税額は同50.2%。400万以下層は同様に、57.4%、31.2%、10.9%。給料取りも、高低どちらも、大変だ。

20220808
『志賀直哉全集 第十五巻 日記(五)』(岩波書店 2000)始。昭和13(1938)ー昭和26(1951)年、志賀55歳ー68歳。その間、断続的に記述。p49昭和14(1939)年分巻末「今年程いやな年は珍らしい 第一に戦争、欧州にも戦争、自分大病、(中略)来年はいい年でありたい 戦争ももう終るだろう」。否。昭和16(1941)年三月分には、シャルロット・ペリアンが登場する。p93、3月28日「ペリアン家具展」、p311の注によれば「フランスの工芸家シャルロット・ペリアン(1903-99)。ここでは、三月二十八日から四月六日まで、日本橋高島屋で開催された「ペリアン女史日本創作品展覧会ー室内装備・家具・工芸品ー」を指す。ペリアンは、前年秋以来日本に滞在して、創作活動を行なっていた。」。同月30日「午后柳訪問 ペリアン、シカアルゐる 民芸館を見て柳と梅原を訪ねる」。p312注「日本民芸館。民芸運動を起こした柳宗悦が、昭和十一年に目黒区駒場町に設立した博物館。内外の民芸品を」云々。同年6月22日、「独、ソ、開戦をラジオで聞く、高見で見物のロシア終に攻められる」、p318注によれば「独軍三百万」、同月24日「夜近衛、汪兆銘のラジオを聞く 眠むくなる」。同注「「新東亜建設の責任分担」をうたう共同声明」の発表、演説だそうだ。流石の志賀日記にも戦時色が、というところか。

20220809
『谷崎潤一郎全集 第6巻』(中央公論新社 2015)了。1917-1919年にかけての雑文集のパート。p407「梅雨の書斎から」1918に「新聞振仮名廃止論」の話題。100年ほど前までは新聞文面にはルビが振られていたということ。自分は振仮名推進を唱えたい。世界中で日本語学習者が激増すると思うんだがどうか。

20220810
『チェーホフ全集 12 シベリアの旅 サハリン紀行』松下裕訳(ちくま文庫 1994)。「十六」の小見出しは「流刑囚の性別内わけ―女性問題—女徒刑囚と女流刑囚—内縁の夫と内縁の妻—自由身分の女たち」。19世紀末の非文明地での話とはいえ、現在のフェミニズムの観点から見ると驚天動地の話ばかりだろう。「鰊」に反応。p387「そのありさまは、アニーワ湾の鰊の産卵期に、鯨、海豹、海豚の大群が、卵をかかえた鰊をねらって追いかけるのに似ている。」。『ゴールデンカムイ』4・5巻の小樽鰊場周辺の海棲動物譚もまんざら出鱈目ではないということか。サハリンで追いかけられるのは来島の「女性の一団」。

利尻島行20220811-14:生まれ育った利尻島への夏の恒例の帰郷。11日北海道島小平町の道の駅で松浦武四郎の像とツーショット写真。12日利尻島実家の前浜。13日一足先に帰札の長女を送って利尻空港。利尻山・鴛泊ポン山。14日北海道島日本海側オロロンラインを車で帰札。途中の浜益雄冬岬の、白銀の滝。

20220815
『民家採集 今和次郎集 第3巻』(ドメス出版 1971)始。「北海道・東北」了。前月東京で見た「東北へのまなざし 1930-1945」の印象がまだ鮮やかなうちに読み始められてよかった。p47では、1938年の柳宗悦らとの旧南部領調査にも触れられている。「北海道」部分の精査・研究の必要性を強く感じている。

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