里佳

朝からビールが飲みたいピアノ弾き語りシンガーソングライター。5人兄妹と暮らすシングルマ…

里佳

朝からビールが飲みたいピアノ弾き語りシンガーソングライター。5人兄妹と暮らすシングルマザー4年目。美容と服になけなしのお金を溶かし、ダイエットは一生やってるアラフォーです。

マガジン

  • 自分史

    トラウマだらけの幼少期から音楽との出会いまで、あれもこれも棚卸し。

  • 母と子と、家族のこと

    正解は知らない。 多分、正解はない。

  • 『36』

    2020.10.10 release 2nd mini album 「36」 収録曲にまつわる、こぼれ話

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はじめまして、里佳です

はじめまして、里佳(りか)です 1984.5.5 こどもの日 神戸生まれの神戸育ち シンガーソングライター シングルマザー、5児の母。 パラレルワークのフリーランス。何足も草鞋を履いて、毎日をパッチワークのように繋いで暮らしています。 生きるのほんとに下手で、いくつになっても上手にならないので、上手に生きるのは諦めました。笑 自分になるべく嘘をつかず、ひたすら生きるわたしの日常の記録と、生きてきたこれまでの棚卸しをこのnoteで。 そんなこんなで、気長にお付き合

    • 家族のかたち

      いわゆる《普通の家族》を知らずに育ったので、「家族」にすごく憧れて、家族が欲しくて欲しくて仕方なかった。 結婚して、やっと手に入れた!と思った。 でも、何か違った。 何か違うと思いながらも必死に守ろうとした。 中身が空っぽのハリボテなら、形があっても幸せじゃないと気づいたときには、 自分がボロボロだった。 相手が違えば違ったのかなー?とか考えないでもないけど、わたしは誰と結婚してもわたしなので、他の人と結婚してても結局、うまくいったとは限らないし、多分いかなかったよ

      • 「理想の母親像」が温かい毛布のフリをして、冷たい重い鎖でわたしをじわじわ締め付けてくる。

        女子は子どもを産んだ途端、今までどんな生き方をしていても、みんなが同じ【母親】っていう箱の中に、いきなり放り込まれる。 そして母性愛とか理想の母親像とか、さも温かく柔らかく包みこむ毛布のフリをした、冷たくて固くて重い鎖にジワジワ縛られていく。 苦しいって声をあげられないでいる母親はたくさんいるし、麻痺しすぎて、自分が苦しいんだってことにも気づかないまま、すり減らしながら、死んだように生きてる人はもっと多いのかもしれない。 ついこないだまで、わたしもそうだった。 産んだ

        • 「お母さん」じゃないわたし、行方不明

          「お母さんだから」仕方ない、と諦める。"◯◯ちゃんのママ" 以外の自分が、どんなだったか、忘れてしまった。 数年前まで‬SNSのタイムラインは、よその家の子育て報告と‬、よその子の写真が9割。たまに出てくる‬同級生や先輩後輩のライブ写真が‬羨ましくて‬たまらず、自分だけ取り残された気がして、見るのがつらくて画面を閉じた。 自分がどこにもいなくなって、お母さんっていう生き物にすり替えられてしまった日々。 あれもこれも、小さな事も大きな事も一つずつ、色んなこと、色んなものを

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        • 「理想の母親像」が温かい毛布のフリをして、冷たい重い鎖でわたしをじわじわ締め付けてくる。

        • 「お母さん」じゃないわたし、行方不明

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        • 自分史
          10本
        • 母と子と、家族のこと
          10本
        • 『36』
          2本

        記事

          ママのママのこと、どう思う?

          ある日、姪が置いてったお人形をめぐって 突然はじまった話。 【次女小1】これ誰にもらったんやろ? サンタかな? 【長女小3】ちゃうで〇〇(姪)のばあばやで 〇〇のママはうちのママの妹やろ? 〇〇のばあばはママのママやろ? だからうちらのばあばでもあるねんで 【次女】それって、ママが赤ちゃんのとき ママのこと捨てた人やろ? ばあば(子たちの曽祖母)が言ってたで そんなん最低やんなー! そんな人ばあばちゃうわ!嫌やわ! 【次男小4】でもな、俺は ママのママは最低とかじゃな

          ママのママのこと、どう思う?

          黙って若い男とセックスでもしてろ

          わたしは1歳になる前に、産みの母に捨てられた。 母親の育児放棄から、父方の祖父母に引き取ってもらって18までそこで育った。 妹たちは、再婚した母のもとで生まれて、いわゆる"普通の家庭"で育った。 結婚するときに母を探して、22で初めて母に会って 、その時妹がいる事も知ったから、お馴染みの妹の子どもの頃は知らないし、一緒に育ったことはない。 妹がもうすぐ3人目の出産というとき。生物学上の父親になる人は恋人やけど、結婚しないし、一緒に暮らさないと決めていて、そこに母が噛み

          黙って若い男とセックスでもしてろ

          無条件の愛

          子どもの頃のわたしは、"良い子でいなければ愛してもらえない" と思っていた。 始まりは祖父母、特に祖母にとっての良い子、思春期には彼氏にとっての良い子、から今度は「都合の良い子」になった。 どんなに良い子を頑張っても、満たされた気持ちになったり、愛されてるんだなーなんて実感できたことは1つもなくて、結局ずーっと寂しかった。 家族や、大切な人から愛されることに、ほんとは条件なんて何にもいらないんだなって、自分が親になって初めて知った。 いい加減でも、機嫌が悪くても、どん

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          「良い子でないと愛されない」祖母の信仰とトラウマ

          祖母はネット上ではJWと表記されるあの新興宗教の熱心な信者で、その教えが祖母の全てだった。 わたしがまだ幼稚園にも行っていないぐらい小さいとき、家に度々訪ねてくる女性がいて、玄関先で話をしていたのがいつの間にか、家に上がってくるようになり、そのうちその人と、祖母と一緒に、たくさん人が集まる場所に連れて行かれるようになった。しばらくすると今度は、外回りにも連れ出され、といったかんじで、わたしが物心ついた頃にはもう、祖母はどっぷりJWにのめり込んでいた。 祖母の口グセは、「あ

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          "いらない子"だったわたしが考える、子どもが子どもらしく生きられる大切さ

          わたしが産まれた時、母はまだ10代で、わたしはいわゆる"間違いでできた子" だった。 父母は一度は結婚して、一緒に暮らしたことはあるとかないとか。遊び人の父に痺れを切らした母が、生まれて間もないわたしを連れて実家に帰ったけれど、そのうち母もわたしを置いて出たまま帰らなくなり、母方の祖父母は体が悪かったらしく赤ちゃんの世話はとても無理だったそう。 結局、育てられなくなり、施設に預けようと思っていると聞きつけた父方の祖父母がわたしを引き取り、1歳になる前から高校卒業まで育てて

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          毎日音楽だけしてたら音楽が出来なくなった話

          三年通った音楽学校を出てすぐ、楽器店と専門学校系列のボーカルスクールでボーカル講師として働きました。 学校に入る時には、音楽の世界でプロになりたい!そのために学校に行く!と強い決意で入学したけれど、"音楽の世界のプロ" がどういうものなのかも、学校に入ったからって、なれるようなもんじゃないことも、その時には何もわかってませんでした。 学校にいるうちに見つけた、音楽の世界のプロとしての働き方は、プレイヤーか講師。(実際にはそれ以外にも、ありとあらゆる働き方があるけど、当時の

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          「こどもの軽音楽部」原体験

          中学生のとき、椎名林檎さんの ”無罪モラトリアム” というアルバムに出会いました。それはそれはもう衝撃的で、「わたしもこんな音楽がやりたい!!」と火がついて、そこからはどうやったらバンドができるのか、そればっかり考える日々が始まりました。 育ての祖母は、「バンドなんか不良がやること」と大反対。某バンド雑誌の後ろのページについている”メン募"コーナーにこっそり応募してみたものの、当時家電(いえでん)しかなかったので、かかってきた電話に祖母が出て、あえなく撃沈。みたいなことを何

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          子どもの遊びが結局仕事になった話

          初めて曲を作ったのは8歳の時。通っていた音楽教室の作曲コンクールがきっかけで、作詞は10歳の時から始めました。 この頃から、音楽教室の宿題よりも、テレビから流れてくる曲を勝手にあれこれ耳コピして弾いたり歌ったり、自分で歌を作ることの方が楽しくなって、レッスンはほぼ毎回初見でした。 そのおかげで(?)鍛えられた初見スキルと、感覚のみで、中学生までは、ピアノコンクールに出れば何か賞を頂いたり、高校生の頃はベートーベンの悲愴ソナタや、ショパンの幻想即興曲や、革命や、難しめの曲も

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          歌声のルーツと、はじめての成功体験

          わたしの祖父は若い頃歌手志望で、戦争に行くことになって泣く泣く夢を諦めたといつも話していて、とても歌が上手でした。 家ではいつもレコードやカセットが流れていて、祖父の歌う民謡や演歌が子守唄替わり。十八番は村木賢吉さんのおやじの海で、うみはよーー♫と、わたしも一緒に歌っていたのをよく覚えています。 ↑わたしの歌声のルーツは、きっとじいちゃん。 演歌と共に育ち、3歳になった頃 ”おかあさんといっしょ” を観て歌い踊り狂うわたしを見た祖母が、この子は音楽が好きなんだろう、と

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