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だから川田が嫌いなんだ

「興味を持ってもらえてありがたく思います。喜んでもらえるだろうなと思って提案したので」

なんと、今春から始まったジョッキーカメラは川田の提案だったそうです。報道によれば

「18年夏に遠征先の英国でカメラを着用して面白さを実感。JRAへ導入を打診したという。しばらく保留されていた計画は、昨夏から一気に動き出した。同じく着用経験のあった武豊騎手らの意見も踏まえ、テストを重ねた上でスタートした。」

とのことです。また、海外ではレースだけで終わるのがほとんどですが、

「レースを終えたジョッキーたちの自然な会話であったり、スタッフが喜んでいるところであったり、盛り上がってくれるお客さんの姿であったり…。そこまでお届けしたかった」

という川田の希望もあって、ゴール後から検量室前へ引き上げるまでが公開されているそうです。

「競馬の新しい見え方をこれからも楽しんでもらえたら」

川田はそう言いますが、私はこういうのが心底嫌いなんですよね。いやっ川田が嫌いだからという理由もあるにせよ、彼がしてることって筋が通らんと思うのですよ。


■これは筋が通ってない

川田は、自分がジョッキーカメラの提案をしたと自慢するかのように話していますが、そもそもこういうJRAに対する要望って個人ですることではなく、騎手会を通じてするのが筋じゃないでしょうか。

自分だけがジョッキーカメラを使用して動画を公開したいって話なら、自分でJRAに交渉して、許可を貰って、公開するのも筋が通ります。しかし、どの騎手でも着用する可能性があるジョッキーカメラの導入について、川田が勝手に提案して、それをJRAが導入したら、それを望まない騎手からすれば何勝手なことしてんの?となるのは当然ではないでしょうか。

例えそれが日本競馬にとって有益なことであったとしても、独断で動くのではなく、組織として動くのが組織に属する社会人の筋ってもんです。そうしなければ自分の利益のために動く、つまり公平性もへったくればもない独善的な行動と言われますし、それで何か問題が起こったらどうします?カメラのズレや落下等によって騎手が落馬、競走馬が転倒、それによる死亡事故なんてことになったら、JRAに主な責任があるのものの、死亡した騎手の遺族やファンから、川田がそんな提案しなければ・・言われませんかね。こうやって導入を主張した川田個人にも責任の一旦が及ぶ話になりますが、そうした責任は取るつもりはあるのでしょうか?あるなら、その辺もコメントするでしょうが・・・ねぇ?


■癒着や忖度、八百長を生むのでは?

それにジョッキーカメラはJRAが主導して、JRAが管理して、JRAが公開しています。本当に川田が提案してJRAが動いたのであれば、JRAは一騎手の要望を受け、動く組織だということになります。それって癒着や忖度、八百長に繋がると思いませんか。仮に野中君とか、勝浦とか、フルキチとかが個人で提案したらJRAは受けると思います?鼻で笑って一蹴されるのがオチだと思いますよ。

仮に、武豊がそれをしたならまだ理解できます。なぜなら彼は騎手会の会長ですから。もちろん騎手会を通した方が良いですが、彼の発言が武豊個人の提案というより騎手会からの提案と受け取るのが自然な流れに見えるので、JRAと騎手会という組織同士の話という至極真っ当な話になります。しかし、川田は騎手会の会長どころか副会長ですらありませんし、関西支部長でも関西副支部長でもなく、その下の関西支部の理事です。その川田の提案を騎手会からの提案と取るのはどう考えても無理でしょう。

そのためジョッキーカメラを導入したいのであれば、騎手会の総会で全騎手のコンセンサスを得た上で、騎手会からJRAに具申するべきでした。そうすれば筋も通せて、責任も騎手会が負い、癒着や忖度、八百長を疑われることもなく、丸く収まったでしょう。

にも関わらず、川田は自分が提案したとコメントしてしまったので、私は『川田とJRAは癒着してるのか』と思ってしまうのです。提案するのは結構ですが、個人で提案するのと、騎手会という組織から提案するのでは意味合いも重みも違うのですよ。それを川田は理解しているのでしょうかね。


■JRAの問題

また、JRAもJRAです。スマホ6の時は『八百長を疑われることすら許さない』という強い姿勢でしたが、この一件では一騎手との癒着が疑われることなり、姿勢がブレて見えます。

もちろん、いくらJRAでもレース中の騎手に係ることを勝手に決めて、騎手に押し付けるなんてことはしないでしょうし、リスク等を考えたら組織として騎手会のコンセンサスが欲しいと思うのは当然で、おそらくそれはしているかもしれません。しかし、一騎手の要望で動いたことは間違いなく、それは癒着や忖度に繋がりかねない問題であることもまた事実です。

そうした疑惑を持たれないためにも、大切なことが情報公開です。間違っても短期免許制度のように『内規に関わることだから・・・』と言って公表を控えるなんて真似したら、信用どころか疑惑を持たれて当然なんですよ。分かってます?JRAさん?


■観客に対する要請もどうなの?

この問題って、オークスの前に『スタート時は黙ってろ』発言と同じで、川田の独善的な行動なんですよね。

あの時の件は上記の記事で色々書きましたので、お時間ご都合よろしい方はどうぞご覧頂けたらと思います。内容を簡単にまとめると、川田は、

「ファンファーレが鳴って皆さんが盛り上がり、最後の馬がゲート入りするところでまた盛り上がる形に。以前であれば、ゲートが開くまで我慢していただいていたところですので、スタートを切るまではもう少し、あと2秒ほど声援を我慢していただき、ゲートが開いてからは全力で盛り上がっていただければ」

とコメントしていました。簡単に言えば、スタートの邪魔だから静かにしてろって事ですが、個人的には問題点がいくつかあります。


1.公正な競馬にならない可能性がある
まず、それを言い始めたらあらゆる事まで配慮をしなければならなくなりませんか。仮に「スタート前に静かで、スタート直後に歓声が来ると馬が驚くから、歓声を挙げるならゲート入りの時からお願いしたい」と、全く逆の事を要請する騎手が出てきたら主張がぶつかりますよね。そしたら客はどちらの要請を聞けばいいのでしょうか。

オークス時の川田が要請するということは『超強い馬に騎乗する騎手が、自分に有利になるように観客に要請』することであり、強い馬を万全の状態で走らせず、勝ちを手繰り寄せたい馬に騎乗する騎手からすれば冗談じゃないと思うでしょう。ゲートイン前のファンファーレと手拍子、大歓声は全馬が等しく同じ条件であり、彼の馬だけが特別ではありません。

彼の発言が全馬にメリットがあったとしても、強い馬のリスクが減れば弱い馬は勝つ可能性が低くなりますし、また強い馬にメリットがあって弱い馬にメリットが無ければ論外です。強い馬がイレ込んだり、出遅れたり、大歓声でヒヨったり、ストレスを抱えて本来の走りができなくなれば弱い馬が勝てる可能性は上がりますが、彼の発言によりその可能性が少なくなれば、公正な競馬とは言い難いでしょう。

パドックや返し馬、枠の内外、ファンファーレからの拍手、歓声、ゲートの先入れ後入れ、何がどう出走馬に影響するか分からない以上、全馬が与えられた条件で走るのが公正競馬です。そこに強い馬に楽な競馬をさせないように、力を発揮させないように知恵を絞り、必死に作戦を練ってレースに挑むわけで、彼の発言はそれをするなと言うのと同義語です。それを公正競馬と言うのでしょうか。私の感覚では言わないですね。


2.八百長の疑いがある
次に、世界中で行われている競馬の中で、最もギャンブルとしての側面が強いのはおそらく日本競馬です。その日本競馬は法によってギャンブルとしての側面を公的に認められている以上、八百長を疑われることすら避けるべきです。

その観点からすれば、関係者が特定の馬が有利になるよう第3者に依頼をする行為は八百長と言って差し支えないと思うのです。見方を変えれば、川田の発言は、彼の馬のリスクを減らし、メリットを享受したわけですからね。もし、大外に入った有力馬を潰すために、ゲート入り直前から傘で馬を脅して下さい的な話をして、それを実行した輩が居たとしたらどうです?八百長と思われても仕方ないとは思いませんか。直接的に勝敗に影響ような形にしていない分、八百長ではないと言う人もいるかもしれませんが、公正な競馬をさせないという点で八百長を隠す狡猾的な手法とも言えます。

また川田は「3歳牝馬の繊細な女の子たちが~」とか発言していますが、本当に危険だと思うならオークスなどに限定した発言にはならないでしょう。ほんなら牡馬ならセーフなん?古馬ならええの?と思ってしまう人は多いと思いますよ。そういうところが、自分が有利になるための発言なんじゃないかと思ってしまうんですよね。


3.個人の発言で組織を通していない
中日スポーツの記事で川田は、

ゲート内は競馬を行う上で最も危険な場所。そこで大歓声が耳に届けば、興奮して立ち上がったり、くぐり抜けようとしたりする馬が出てくる。大きな事故が起こるかもしれないので、JRAとの話し合いを重ね、その上で日本騎手クラブ会長である武豊に相談を持ちかけ、許可を得て、あの発言に至った。

とのことですが、JRAや騎手会会長の武豊と議論する際に、ゲート内が危険だって話は具体的に数字で表されたのでしょうか。過去にどのような危険があって、それがどれくらいの頻度で発生し、それがどんなレースで行われてきたのか具体的な数字を用いて話をしていないのであれば、それはただの主観による要請ですよね。

しかも、安全で公平なスタートを目指したものの、翌週の日本ダービーでは綺麗なスタートどころかチャカチャカした馬あり、出遅れあり、落馬あり、接触ありのバラバラのスタートでしたよね。歓声を静かにする意味がどれだけありましたか。むしろ静かなところから大歓声が来て、馬が驚いたとは考えられませんか。

普通に考えて静寂の中からスタートした直後に急に大歓声が来たら馬は驚くでしょう。それによって急に斜行したり、落馬に繋がったら大事故に繋がりかねません。馬を興奮させたくない、安全に走らせたいと声高に叫ぶのであれば、レース中に歓声を送るなと言うべきですし、直線でもウイニングランでも一切声を出すなと言うべきです。でなければ大きな事故が起こるかもしれませんし、そうした危険を排除したいからこそ、このような発言をしたのでしょうからね。

というか、それをしたいなら観客に要請するより先に、ゲートボーイの導入やJRAに騎乗者の意に反して発送委員が鞭を打つ行為の禁止を求めることが先ではないかと思いますけどね。順序が違うと思いますよ。


ともかく前述したように、こうした要請は騎手会から発信するべきですし、組織に属している者が組織を通さず発信するのは社会人として筋が通りません。相談をした、許可を得た、と言うものの、それでも個人が発言するのと組織が発言するのでは重みが違うのですよ。その相談だって井戸端会議でしたことなのか、議事録を残した正式な会議、議論でしたものなのか分かりませんし、許可を得たというのも武豊が「まぁええんちゃう?」という程度のものなのか、騎手会に文書として記録に残してあるものなのか分かりませんよね。

だから組織を通して要請しろと言うのですよ。騎手会がJRAに要請する場合、組織同士の話し合いなので議事録なり、文書なりを残すでしょうし、それは信用や検証に繋がります。だいたい、JRAや騎手会の会長と話し合いをして許可を得たのであれば、それはJRAや騎手会からお願いという形で発表することが一番効果的ですし、それが筋でしょうに。なぜ川田個人が発言したの理解に苦しみますよ私は。


■川田が目指す場所は無観客競馬?

かつて武豊が原案を手掛けたダービージョッキーという漫画の中で、プレッシャーに押しつぶされそうな主人公に相談を受けたベテラン騎手がこう答えました。

『(主人公は)ヤジ、罵声を飛ばすお客さん、そうした〝プレッシャー〟などないほうがいいのか?では、その〝プレッシャー〟をなくすためにはお客さんが居なければいいな・・・ところで、想像してみてほしいが、お客さんの居ない競馬というのは、どんなものかな?』

『(1着でゴールしても誰も居ないスタンドを見て)それは・・・あまりにも寂しい。何かが・・・いや、何もかもが欠落しているな・・・』
(第216話より引用)


私は、川田の目指すところは客の居ない競馬だと思ってしまうのです。彼が馬のため、馬のためと言えば言うほど、日本競馬の本質から外れるような気がするのですよ。だったら馬のためにならない点を全て禁止にすればいいのですが、そんな事できませんし、仮にできるならそもそも論として競馬をしなければいいという結論に達するでしょう。つまり、川田が目指すのは競馬だけが行われている世界=無観客競馬なのか?と思ってしまうのですね。

競馬において最も重要な歴史・文化・伝統は、長い年月を掛けて積み重ねてきたからこそ備わるものです。なぜ重賞が価値が高いレースなのか、それは長い年月、同じ条件で繰り返し行われてきたからです。条件がコロコロ変わる重賞もありますが、往々にしてそうした重賞はマイナー重賞と化しています。つまり、ファンの歓声の手拍子も当たり前にそこにあって、それを受けて行われてきたのが日本競馬であり、それこそが日本競馬の価値で、歴史・文化・伝統に繋がるのではないでしょうか。

日本の先人たちは競馬場を鉄火場からレジャーに変えるのに、多大な労力を払ってきました。レジャーに変えたことで、ますます競馬を応援する人が増え、そうしたファンが支えられてJRAは成り立っています。ご存じの通りJRAの売上の99.5%が馬券収入ですからね。ファンのおかげで高い賞金、高い給料、快適な環境で仕事ができているのですよ。その支えとなるファンの歓声を、然したる理由もなく制限するのは傲慢だと思いませんか。

私が川田を調子に乗っていると思うのはそういうところなのです。組織を通さない独善的な行動や、場当たり的というか表面的な問題提起で逆に疑惑を生み、自身を支えているファンを蔑ろにするような要請を、馬のための一言で済ますのは明らかに違うでしょう。


■競馬記者の問題

彼のオークス時の発言について、ほとんどの競馬記者は何ら検証せずに、周りに迎合するかのような記事に終始していましたが、これは記者として大きな問題です。競走馬にとってプラスなら何してもいいのでしょうか。オークス後に『GⅠのスタートとしては今までにないほど静かだった』と書いた記者が居ましたが、それで終わりですか。それが良かった悪かったか、改善点があるのかないのか、賛否双方の意見を取材してまとめて記事にしてこそジャーナリストじゃないんですかね。

先の短期免許制度の件でJRAに問い合わせした記者は正しい取材をしました。今までの競馬記者ならお上に突っ込んだ取材なんてしませんでしたし、それをしたらお上から何らかの報復を受けるとばかりに、お上の発表をそのまま記事にするだけのイエスマンばかりだったように思います。そこに疑問があるから確認するという基本に立ち返って取材をしたおかげで、JRAのご都合主義と排他的な本質を確認することができました。そこに情報を提供するべきジャーナリストの価値があるのです。

川田の件でも同じような取材をしてもらえたら、私もここまで書くことは無かったかもしれません。例えば、武豊会長に「川田本人からどういう形で相談を受けたのか。騎手会としてJRAに具申することはなかったのか。なぜ騎手会として要請しなかったのか」などを取材することもできたでしょう。川田本人にも「(ゲート内が危険だからと)ファンに要請する前に、JRAにゲートボーイの導入などを求めなかったのか。一騎手の発言より騎手会として意見を出した方が良かったのでは」という取材をしても良いと思いますよ。そこから見えてくるものはありますからね。

それもできないような競馬記者たちに、私は日本競馬の歴史でもある顕彰馬やJRA賞の投票をしてもらいたくありませんよ。


■まとめ

今回のジョッキーカメラ提案の件と、オークス時の『スタート時は黙ってろ』発言は、様々な問題をはらんでいると思います。それこそ日本競馬の本質的な話にも、一社会人としての話にもなり、川田本人の評価すらガラッと変えるものでした。

彼本人も念願のリーディングジョッキーになり、BCやドバイWCを制した今なら自分の主張を聞いてもらえると思ったのかもしれません。しかし、自分の主張をするならその先も併せて考える必要があります。武豊も様々な問題提起はしてきましたが、ここまで直接的に提案することは無かったように思います。ましてやそれがファンに対するもので、かつJRAも巻き込む話であれば、なおさら慎重に事を進めるべきでした。そうした姿勢が見えないから、これらの言動を独善的と思ってしまうのです。

傲慢な姿勢にならないように、今一度、自分たちを支えているファンと、日本競馬および公正競馬について、理解を深めてほしいですね。



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