「民族の物語」で分断を生んではいけない

前回のエントリで、たかまつななさんの「投票啓発動画」のことを書きましたが、本当はこっちを書こうと思っていたところだったのです。前回で僕が言ったことと、実は同じような問題なのです。

僕はテレビの「ETV特集」をときどき視聴するのですが、3月に『ソフィヤ 百年の記憶』という番組があり、ウクライナ民族の歴史記憶を伝えていました。いつも「ETV特集」は良い番組が多いと思いますが、今回は非常に憂慮を禁じえない内容でした。

番組では、ロシアの侵攻を受けたウクライナの家族を取り上げ、その家族史を辿ることで、ウクライナ民族がソ連・ロシアに酷いことをされてきた過去を語っています。番組タイトルの「百年の記憶」というのは、よく知られている「ホロドモール」の話で、これは事前に予想していたとおりでした。

ホロドモールというのは、1930年頃にウクライナで起きた悲劇的な飢饉で、ウクライナで生産される農作物を消費や輸出のために必要としたソ連政府が、過酷な収奪を行って数百万のウクライナ農民を餓死に追いやったという事件です。
『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』という映画にも描かれていますが、飢餓に追いやられた農民は人肉食にまで及んだとされ、実に過酷で凄惨なものでした。

こうした歴史は事実なのですが、Wikipediaの記述なども含めて、これが「ソ連による民族ジェノサイド」である、と捉えられることが多く、番組でもそうした文脈で「民族の記憶」という扱いをしています。
しかし、ウクライナ民族を襲った悲劇であっても、それを「民族対立」の文脈に落とし込んでしまうことは、とても危険だと思うのです。

ホロドモールが起きたのは、ソ連の計画経済において、実際の生産力を上回る収穫をウクライナ農民に要求し、たまたま不作であった時期にも、そのことを考慮せず厳しい収奪を続けたことが原因です。
もちろんそれは非常に非人道的なことで、硬直した社会主義の犯した重大な国家犯罪と言うべきだと思いますが、問題視するならそうした社会構造の部分に焦点を当てるべきで、「民族の物語」だけで片付けることは、とても問題のある報道の仕方だと思います。

ウクライナの人にとっては、理由がどうであれ、民族が筆舌に尽くしがたい苦難を強いられたことは、たしかに事実です。なので、ソ連・ロシアに対する歴史的な感情が存在することは当然で、そのことを否定することはできません。
しかし、そうしたことが起きた背景である社会構造の問題に触れずに「民族弾圧」とだけ報じることで、ソ連あるいはロシアを「理由もなくウクライナ民族を差別して苦しめた」悪魔的存在にしてしまいます。

番組では、ロシアがウクライナに侵攻した理由や、それまでの経緯については、ほとんどなにも語られていません。もちろん、それを語った上でもロシアの侵攻には正当性がないと僕は思いますが、少なくとも「ロシアは理由もなく無茶苦茶なことをする」とか「ウクライナ民族を苦しめることが目的だ」という理解では、いたずらに憎悪を扇動することにしかなりません。

実は、この後に見た『ロシア 衝突の源流』(イギリスBBC制作だったと思う)でも、ロシアを「本質的に領土を拡大することで国を守ってきた国であり、その民族性は今でも同じなのだ」という話を、歴史家などにさせているものがありました。
ロシアとウクライナの戦争が長引く中、こうした番組が西側諸国で制作されていることについて、本当に憂慮を深めています。

戦争を止めるにはどうしたらいいか、戦争を起こさないためにはどうしたらいいか。これを考えるには、どこかの国や民族を悪魔視してはいけません。
ロシアであれウクライナであれ、その他の国であれ、人間はみな同じです。
戦争の恐ろしさは、その同じ人間同士が、相手を同じ人間だと見なくなってしまい、狂気の行動に走ることです。
これはロシアを擁護するという話ではなく、同じ人間であるロシアの人たちが、なぜああいう侵略に踏み切ってしまったのかを理解しなければ、それをやめさせることも、防ぐことも出来はしないのだ、というお話です。


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