自分なりのRoad To World Peace夢想その1 -スマホで100日連続noteに挑戦day28-
昨日はタイトル画像にあるイベントに参加させて頂き、いまの自分にとってとてもありがたい出会いと気づきを頂いたので、速攻メモ。
難民支援をそれぞれの当事者の国や地域の文化、音楽、美味しい食べ物で体感しよう、という素敵なイベント。お料理マジ美味しかったです。音楽ライブも楽しかった^_^
世界平和というものがもし実現するとしたら、照れずにガチでそこを検討するとしたら、それはどんなあり方なのか?どんなステップで、どんなRoad To World Peaceのプロセスなのか?
盟友、高橋歩の描くわくわくに乗っかってここ数年進んできてますが、いろんなイベントやお祭りが具体化していく中で、自分はどうしたいのか?をちゃんと自分なりに持つべきタイミングが来たのだ、と気づいたのでした。
昨夜お会いした方からアドバイスいただき、正に!という感じで今朝。こんな夢みがちな中年の夢想の整理に付き合ってくださったLEOさん、 心からの感謝を!助けてくれてありがとう^_^
そんなこんなで、まずは夢想・妄想話から^_^
現実の日々の生活と、世界平和、ということばとの距離や実感
そもそも論。自然災害被害や被害からの復興も含めて、日々、社会課題は尽きないし、戦争や紛争や略奪や差別は、いまも世界で日々起こってる。
生存が脅かされ、平和や安心を感じられず、つらい日々を過ごしている人も国内含めていろんなレベルで、大勢いる。
目の前の人を助けることも大切だし、自分の周辺で困ってる人に親切にすることも、無理なく、いや時には無理して、できる範囲でやればいいけど、、、、
この世界の現実を、どこから、どう見て、どう向き合うのか。。。そういう問いを、この数年周囲の環境から頂いてます。裏表になってる要素として、自分自身の収入・ビジネスや、家族生活との両立やバランスも大切な要素。
現実と理想と良心に引き裂かれながら、誰もが日々を生きてる。
そんな中、これまでの自分の好きな世界や得意なこと、ご縁をいただいた知恵や情報や諸先輩たちの生き様、みたいなものをチャンプルーして浮かんでくるものは何か?
この100日投稿の一つのテーマとして断続的に描いていきたいと感じてます。
なぜ戦争は起こるのか?なぜ戦争のない世界を次世代に引き継ぎたいと思うのか?そしてそれは、本当に可能なのか?
戦争がなぜ起こるか?
素人考察で浮かんでくるのは、、、
・国家存亡の戦略としての戦争→自分たちが食うために相手を殺し奪う
・前提としての相手を殺したいほどの恨み辛み→民族間、国家間では歴史から受け継がれ伝承されることでつづく
・憎悪の根元にある相手への恐怖と不安→差別を生む
・貧富の差→恐怖と不安に、不満や妬み嫉みを付加する作用→差別を加速
・他人事と無関心→差別を具体的な殺害、略奪、蹂躙という行動に至らしめる根元は自他の区別と集団としての「身内じゃないから、」感
戦争の成立や加速、被害拡大を生む周辺要素として
・区別差別のもとになり得るもの→言語の壁、宗教の違い、民族や文化の違いからくる価値観の多様性、国境、法制度の違い、などなど。
・貧富の差、国力の差、外交力の差、などから生じる国際的な不平等や不公正、レスペクトのなさ
・戦争によって進化してきた人類の科学力、技術力、組織力、人間理解力、という結果論
・軍需産業、職業としての戦争プロの存在
・ひょっとして、娯楽として楽しみとして祭りとしての戦争、という要素が人間の中には、あったりもするのかも。。。
わー、たいへん。いろいろあるなあ。。。
きっともっとあるなあ。さて、自分はどこをどう、受け持ちたいのだろう?
でも、書いてて気が遠くなりつつも、要素に分解できるのなら、解決できないはずはないのでは?とも思うアホな自分がいたりして、、、自分の人生でどこを引き受けるか?
動機はシンプルで、自分には息子が2人いるので、彼らの人生に、できるだけ戦争に巻き込まれないで済む人生を歩んでほしい、という祈りがあります。僕らの爺ちゃん世代の皆さんの時代のおかげで、僕らが戦争の当事者でなくて済んでいるように。
それを、人事を尽くして天命を待つために、自分にできることは何か?を探究し始めている、ということ。そしてそれは、彼らの子ども、つまり僕の孫やその先の子孫に対しても同様の感覚で続いていくようなものだといいなあ、と。
そろそろ、国境や、人種差別や、貧富の差や、戦争の時代から、次のフェーズに移ってもよくねえ?人類、ってことなのかもなあ。。。
ね、可能なんでしょうかね?そういう未来。
自分の中にある要素→心の変容、関係性の変容、行動の変容、代替手段のセッティングと場づくり
今後100日連続投稿の中で、シリーズものとして上記の壮大な思考実験のプロセスを始めますが、今日のところは予告編的に以下を提示^_^
人のこころ、マインドの変容は、関係性の変容からも、生み出せる
→組織開発の知恵から学んでいることです。周囲の人や敵対する相手との関係性の変容を生み出せれば、本人の気づきや、ここらのありようの変化によって、結果は変わってきます。これは組織開発や心理学の知恵が実証していること。
関係性の変容は、具体的な活動と体験からも、生み出せる
→直近の例で言うと、ラグビーワールドカップ。スポーツを通じた国家や地域間の交流で、また、バスケコーチを小学生対象にやりながら息子たちのバスケットボールプレーヤーとしての成長を通して感じていること。スポーツは言語や国境を簡単に超えます。
戦争の代替手段としてのスポーツ、競技、遊び
→何も殺しあわなくても、よくね?という^_^
他の手段やルール作りができるはず。
ずらす、という発想。
そこにどんな知恵やインセンティブが産めるのか?
食うために殺すなら、殺さないほうが食えるセッティングがあれば、殺さないのでは?
戦争せざるを得ない当事者たちの、戦争しなくてもいい"精神と時の部屋"は作れないのか?
→当事者が、信頼できる仲裁役とともに、リトリートして対話する場を、どう作るか?
それぞれの思惑と歴史や背景があるなかで、それぞれの痛みや感情をどう自分ごとにして、ともにあることができるのか
そんなセッティングは、どんな要素が揃えば実現できるのか?
ここ、あきらめるほど、人類真剣に探究してるんですかね?科学してきてるんですかね?まずはそこを知りたい。
国連や世銀で足りないなら、何が必要なのか?
足りなくないなら、なぜ戦争は起こり続け、紛争は無くならないのか?
きゃー、書いてて壮大すぎる^_^!
もちろん自分1人じゃ探究できないので、各領域の自分がレスペクトする人たちの力を借りたいと夢想してます(そこも夢想かい!)
シリアスな内容だけど、可能な範囲でPOPに進みたいです^_^
なんだか、こうご期待^_^!
あなたは、どんな未来を、こどもたちお孫さんや、その先の世界に残したいですか?^_^
そして探究はつづく。
長男の落書き。歴史を知る建造物は、人間の営みをどんなふうにみてるんですかねえ。。。
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