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書くことの覚悟〜文学フリマ37に向けて〜

本を書こうと思っている。テーマはまだない。

なのに行動力ばかりがいつも先走る僕は東京で開催される、11/11の文学フリマ37に勢いで申し込んだ。とんだ阿呆である。

でもなぜか、阿呆な企てをしている時の自分が一番好きだったりする。人から理解されなくても、自分が楽しいと思うことに突き進むのが心地いい。

このnoteを抜粋したものも考えたけど、せっかく書くなら完全書き下ろしがいい。

友人の小林ひかりさんが書いた『水晶体に映る記憶』というめちゃくちゃ素敵な本に影響を受けたのは大きい。自分でもいつか本を書きたいと思っていた気持ちが、あの本を見て「いつかって今さ!」とばかりに動き出してしまった。誰かに頼まれたりするのを待っていたら、僕は一生自分の本に出会えないかもしれない。可能な限り生き急ぐのが自分のスタンスである。

この本、題字、表紙、編集、文章、それぞれ僕の好きな人たちが作り上げたすごい本なのだ。

自分の性格上は、こんなにこだわれないし、徹底して考え抜く繊細さもない。でも、技術職として致命的だと思うような自分の欠点も込みで、今回は一つ何かを作り上げてみたいと思っている。

印刷所さんは心の中で決まっている。ご縁で出会ったところだ。

ただ、原稿だけは、まだ、ない。

でも、書くと決めたのなら、納得がいかなくても、ピンとこなくても、とにかく手を動かすことしかない事だけは知っている。作りながら壊して、壊した欠片からまた次のアイデアが湧き出てくるのだ。

元来文章を書くのは好きだった。小学6年生でショートショートを書き、中学生でブログを始めた。上手い文章ではないが、言葉で心の中を掬い上げる行為でいつも自分を救ってきた。

事あるごとに浮かんだイメージやテーマを書き留める文章のネタ帳のようなものを先日印刷したら、49ページ分にもなっていた。
断片的なワードで、今はもう思い起こすことすらできないようなアイデアたちでも、組み合わせればまた何か浮かぶかもしれない。

忙しいはずなのに、こうした遊びを織り込んだ瞬間、自分の時間が動き出すのだからいつも不思議な気持ちになる。


本を出すと言ってから、いまだに一行も書き始めない僕の大切な恩人に向けて捧げる本を、あと1ヶ月足らずで僕はこの世に産み落とす。


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