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【オンラインショップ更新】特集 グリム童話

こんにちは!
今日は古本とがらくた paquet.のオンラインショップ最初の更新日です。

商品はすでにショップに掲載されていますが、購入可能になるのは今夜21時です。張り切ってnoteを書きましたので、これを読んで気になるものを見つけていただけたら嬉しいです。

今回はグリム童話をモチーフにした絵本を6冊えらんでお届けします。

多くの人が子どもの頃に出会うおとぎ話には、19世紀のドイツで成立した「グリム童話集」に収録されているものが多数あります。
かつて世界には古くから人々の口頭によってのみ伝承されている物語が数え切れないほどありました。
それを収集・編纂して世に出したのがかの有名なグリム兄弟、兄さんのヤーコプと弟のヴィルヘルム。童話集の第2版からは銅版画家であった末弟のルートヴィヒも挿絵として加わり、各国語に翻訳されて世界中に広まりました。

「ねむりひめ」
フェリクス・ホフマン 絵
瀬田 貞二 訳
1963年10月1日 福音館書店 発行

最初にご紹介するのはスイスの絵本作家、フェリクス・ホフマンによる「ねむりひめ」
シックなグリーンの表紙がすてきな絵本です。

みんなに祝福されて生まれた「ねむりひめ」は、彼女の誕生パーティーに呼ばれなかった十三人目の「うらないおんな」に呪いをかけられ、百年のねむりについてしまいます。
王様も、お妃様も、庭の犬も、料理番も、お城にいたものはみんな深くねむり、お城はいつしか伸びたいばらのいけがきに隠れて見えなくなってしまいました。
ほうぼうの国の王子たちがねむりひめの噂を聞きつけてやってきますが、いばらのいけがきにからめとられて、だれもお城に近づけません。
そうして百年が経ちました。
ある王子がねむりひめのもとへ向かいます。

中世のお城を舞台に、呪いにかけられたお姫さまが王子さまのキスで目を覚ます典型的なハッピー・エンドのストーリーですが、わたしはこの絵本をひらくたび、みんなねむってしまったお城のことを考えます。
ホフマン特有の繊細な筆によるいばらに覆われたお城はとてもうつくしく、その遠景では夜空に三日月がひかっています。
この絵本のなかでのみ息づく、百年という閉じられた時間。

本作をはじめグリム童話を題材とした絵本を多く手がけたフェリクス・ホフマンさんは、美術学校を出たあと本の挿絵を描いたり、中学校で美術を教えたり、教会のステンドグラスを製作したりと美術の分野で幅広く活動されていたそうですが、絵本を描きはじめたのは自分の子どもたちのため。なかでも「ねむりひめ」は次女クリスティーナちゃんへの贈り物として製作されたもので、全編を通してねむりひめに寄り添う猫と物語がおしまいになったあとのページにおおきく描かれたケーキは彼女が大好きだったものなんだそうです。

わたしはこのケーキの絵が大好き。おおきなケーキを持っているのは、作中に登場する、せりふはひとつもないけれどとても印象的なキャラクターです。インターネット上ではお見せすることができないので、ぜひお手にとっていただければと思います。

「おおかみと七ひきのこやぎ」
フェリクス・ホフマン 絵
瀬田 貞二 訳
1967年4月1日 福音館書店 発行

ホフマンさんの作品を続けてご紹介します。
三女スザンスのために製作されたといわれる「おおかみと七ひきのこやぎ」
こちらも有名なグリム童話のひとつです。

ある日、やぎのおかあさんは七ひきのこやぎたちに「おおかみに気をつけるように」と言い残して森へでかけます。
もしおおかみが来ても“しわがれごえ”と“あしのくろいの”に気をつければすぐにわかるよ、と。
緑のドアの小さな家で、こやぎたちの留守番がはじまります。

とんとん。おおかみがやってきて、呼びかけました。
「おかあさんだよ」
こやぎたちはあけません。しわがれごえだったからです。

この絵本の個人的な見どころは、ドアを開けてもらえなかったおおかみが悪知恵をはたらかせて街の雑貨屋や粉屋へ行き、買い物をするシーンです。
ホフマンさんが描くヨーロッパの個人商店のようすも、またすてき。

こやぎたちのいる家に戻ったおおかみは、見事彼らをだまして家に入り、逃げまどうこやぎを次々に丸呑みにしてしまいます。
けれどいちばんすえのこやぎだけは、柱時計のなかに隠れておおかみに見つかりませんでした。
しばらくして家に帰ってきたおかあさんは悲しみに暮れますが、助かったすえのこやぎを抱いて外に出ていき、のはらでいびきをたてているおおかみを見つけます
おおきくふくれたおおかみのお腹のなかでは、こやぎたちが生きていました。
おかあさんははさみを手に、おおかみのお腹を切りひらきます。

本当は怖いグリム童話、と揶揄されることも多いように、グリム童話にはたしかに残酷な描写が含まれた物語が存在します。
グリム童話は人々の伝承からなる童話集ですが、グリム兄弟が生きていた時代から読み手(当時書物は高価だったため、購買層の多くは都市に住む富裕層だったそうです)の道徳観にあわせて版を重ねるごとに物語の改変がおこなわれてきました。彼らの死後も物語は読み継がれ、また世界中に広まるにつれてその時代その国の読者に向けたさまざまな著作物が出版されるなかで物語が変わっていくことは自然な流れだったのだと思います。

現代の日本で流通しているグリム童話を扱った作品には、残酷だったり性的だったりする描写をできるかぎり削除したり、ぼやかしたりしているものもあります。特に絵本、児童書というメディアに載せるうえで所謂「教育上良くない」というのは問題だし、見せないように排除することも一案です。
そこで、この絵本はどうかというと──大人の目にも残酷な描写が多くなされていると思います。
お腹を切りひらかれたおおかみが、その後どういう目に遭ったか。
おおかみが死に、七ひきのこやぎたちが井戸のまわりで喜びのダンスを踊るシーンなどは狂気的ですらありますし、瀬田貞二さんの訳も原作に忠実だと思います。そのシーンには、ストレートで読者をひとり残らず物語の世界に引き込んでしまうような、すばらしい訳がついています。

「留守番中にだれか来てもぜったいにドアを開けないように」
いつかのヨーロッパで最初にこの物語を子どもに語ったおかあさんがいて、無数の人たちがそれを伝承し、グリム兄弟が世界中に広めて、優れた作家や訳者の手によってかたちとなった絵本を受け取り、この文章を通して次のだれかに伝えられるということのふしぎ。
並んで眠るこやぎたちの絵を眺めながら、物語をたべておおきくなったしあわせを思いました。

「ロバのおうじ」
M・ジーン・クレイグ 再話
バーバラ・クーニー 絵
もき かずこ 訳
1979年6月15日 ほるぷ出版 発行

ギターのような楽器を背負ったロバがお城を目指す牧歌的でかわいらしい表紙の絵本ですが、わたしはこれを読んで泣き、ハッピー・エンドであることが救いのようだと感じました。真実の愛が呪いをとくというのは童話によくある構図ですが、なかでも「ロバのおうじ」は詩的で、ラブストーリーとして強く胸に迫るものがあります。

ある平和な国の王さまとお妃さまは財産やきれいなお召しものをたくさん持っていて、しあわせでしたが子どもがありませんでした。二人はある日、お城にやってきた旅人から森に住む魔法使いの話をききます。その魔法使いは恐るべき力を持っていて、どんな望みも叶えてくれるというのです。王さまとお妃さまはさっそく森へ行き、魔法使いのほらあなをたずねました。魔法使いは、二人に子どもをさずける呪文を知っているとこたえ、対価として金貨を33ふくろ要求します。王さまはそれを支払うと約束しますが、かねぐらで金貨を用意するさいに、ふくろのなかに鉛でできた偽物の金貨をまぜてしまいます。偉大な魔法使いにそれがわからないわけはありませんでした。
春になり、王さまとお妃さまのあいだには待望の子どもが生まれますが、その子は灰色の毛におおわれたロバの姿をしていました。王さまとお妃さまは魔法使いをだまそうとした報いを受けたのだと理解して、彼を王子として育てることを決めますが、どうしても愛することができません。
ロバの王子は服を着て、上等の教育を受け、王子さまらしく振る舞いますが、だれも相手にしてくれません。何年もひとりぼっちで、寂しく暮らします。

そんなある日、旅のリュートひきがお城にやってきました。彼の演奏をきいたあとで、ロバの王子は自分にもリュートのひきかたを教えてくれるように頼みます。リュートひきはいいました。「そのあしで あなたに リュートが ひけますかな」
ロバの王子は努力しました。最初は苦戦しますが、だんだんじょうずになって、最後にはリュートひきよりもじょうずになりました。リュートひきはロバの王子にうたのひきかただけでなく、あたらしいうたのつくりかたをも教えてくれました。ロバの王子はあたらしいうたをつくって、王さまとお妃さまにひいてきかせます。けれど、二人はちらともロバの王子を見てくれません。ロバの王子はついに洋服を脱ぎすて、リュートを首にぶらさげてうまれた国を去りました。

それからたった2ページだけの、王子ではなくなったロバの旅の描写がわたしは印象に残っています。だれにも会わず、声もきかず、その旅路はさびしいものとして描かれますが、彼は風のうたを奏でられます。新月のうたをきくこともできます。
そうして月日がすぎ、ある日彼は立派なお城にやってきました。彼はあのときのリュートひきのように、お城に住む王さまとお姫さまの前で見事なリュートをひいてみせます。昼食の途中でしたが、二人はたべるのもわすれてリュートの音色にききいり、すっかり気に入ってしまいました。王さまは彼にしばらくこの城に留まることを勧めます。毎朝お姫さまのためにリュートをひく、夢のようにたのしい暮らしがはじまりました。彼が王子であることはだれもしりませんでしたが、王子として身につけた振る舞いはここで役に立ちました。みんながロバの姿を気に留めず、彼を歓迎してくれたのです。

たのしい日々が続きました。けれどある日、彼はお城を出ることを決めます。お姫さまがべつの国の王子に結婚を申し込まれたのです。彼はお姫さまが大好きでした。お姫さまが結婚すれば、彼は結婚式でリュートをひくことになるでしょう。そんなのはたえられないと思ったのです。

最後の朝、彼はいつもリュートをひいたりおしゃべりをしたりした庭でお姫さまに会いました。
彼は何もしらずに今日の演奏をたのしみにしているお姫さまにあたらしいうたをひいてきかせます。
それがかなしいお別れのうただと、お姫さまにはすぐにわかりました。
お姫さまは彼に演奏をやめさせます。そしていいます。「さびしいのは、あなたがいなくなること」だと。
お姫さまはロバの姿をした彼を心から愛していたのです。
呪いはついにとけました。

文章量の多い絵本です。説明しすぎては絵本を読むたのしみが半減してしまうので、なるべくシンプルにお話の筋を書きましたが、この絵本のいちばんの魅力は、ジーン・クレイグさんの再話によるロバの王子とお姫さまのやりとりだと思っています。
たとえば、ロバの王子がどういううたをうたって、どんなふうにお姫さまを笑わせたか。ただ「うたをうたいました」「お姫さまが笑いました」とは、この絵本のどこにも書いてはありません。もっと詩的に、心ある表現がなされています。
童話集のなかではとりたてて有名なお話ではないようですが、もしわたしがグリム童話でどれが好きかを人にきかれたら、いちばんに挙げる作品です。

「ブレーメンのおんがくたい」
ハンス・フィッシャー 絵
瀬田 貞二 訳
1964年4月15日 福音館書店 発行

ブレーメンの音楽隊といえば、人間に捨てられそうになったり、たべられそうになったりして逃げ出した動物たちが出会い、ドイツの大都市ブレーメンへ行って街の音楽隊に雇ってもらう──つもりが、途中の森で見つけた泥棒の家を襲って自分たちのものにしてしまうという(!)なんだか愉快で、有名なグリム童話です。

ハンス・フィッシャーは絵をつけたこの絵本の初版発行は今から半世紀以上も前。スイスで最も有名なデザイナーの一人である彼は画家パウル・クレーに師事し、美術の分野で幅広い仕事を手がけたそうですが、身体を壊して郊外に引っ越したことをきっかけに自らの子どもたちと向き合うことから絵本の製作をはじめたそうです。「ブレーメンのおんがくたい」は彼の長女ウルスラへの贈り物として製作された最初の一冊。のびやかなペン画にあざやかな色が乗せられたフィッシャーさんの絵はユーモラスな魅力にあふれ、まるで動物たちが紙の上で動いているかのように感じられます。

このお話のなかで、動物たちは一度も楽器をひかないし、音楽隊にも入りません。ブレーメンにも行かないけれど、彼らはその道中ですばらしい住みかを見つけます。とびきり大胆なアイデアで、泥棒たちをやっつけて。読み聞かせにもおすすめのたのしい絵本です。

https://bookspaquet.stores.jp/items/5f757b043ae0f42ba8c2f387

「漁師とおかみさん」
マーゴット・ツェマック 絵
乾 侑美子 訳
1995年2月20日 童話館 発行

今日紹介したグリム童話のなかではいちばん教訓めいた、そして奇妙なお話だと思います。

むかしあるところに、漁師とそのおかみさんがいました。彼らは“海のすぐそばの、きたならしい便所のような小屋”に住んでいます。
ある日漁師は海でヒラメを釣りました。そのヒラメはなんと口をきくことができ、漁師にいいました。わたしは本当はヒラメではなく、魔法をかけられた王子なのだと。どうか生かしておいてほしいと。
優しい漁師はヒラメの言う通りにし、海にヒラメを戻してやります。ところが家に帰ってそのことを話すと、おかみさんは怒りました。助けてやったのに、どうして何も願いごとをしなかったのかというのです。おかみさんは小さな家がほしいといいました。漁師は海に行き、ヒラメを呼んで頼みました。ヒラメは快くその願いを叶えてくれます。

漁師とそのおかみさんは小さな家に住むようになりました。小さくても居心地の良い居間と寝室があり、台所と食料置場と庭がついたすてきな家です。けれどおかみさんは満足しません。数週間すると、その家が狭いといいだしたのです。
漁師はおかみさんに説得されて、海に行ってヒラメに頼みます。今度もヒラメは願いを叶えてくれました。二人は小さな家ではなく、石のお城に住むようになります。けれどもおかみさんは次の日には王さまになりたい、またその次の日には皇帝になりたいといいだしました。漁師はおかみさんに逆らうことができません。こんなのはまちがっていると思いながらも、彼女の言うとおりヒラメにお願いにいきました。ヒラメはいつも何もいわずに願いごとを叶えてくれましたが、漁師はヒラメが願いごとを叶えるたびに海の色が変わっていることに気がつきました。前の澄んだ水ではなくなり、緑や黄色へ、むらさきへ、はい色へと、どんどんにごって汚くなっていきます。

とめどない欲望に支配されたおかみさんと気の弱い漁師が、それからどうなったのか。アメリカからヨーロッパに渡り、夫婦ですぐれた絵本を多数生み出したツェマック夫妻の妻、マーゴットさんによるふしぎにあかるい色彩の絵はこの奇妙な昔物語にとてもよく合っていると思います。漁師とおかみさん、ヒラメ以外の登場人物にはほとんどせりふがありませんが、その表情に注目して読んでほしい一冊です。

「ミリー ─天使にであった女の子のお話─」
ヴィルヘルム・グリム 原作
モーリス・センダック 絵
ラルフ・マンハイム 英訳
神宮 輝男 日本語訳
1988年12月25日 ほるぷ出版 発行

最後の一冊は大好きなモーリス・センダックが絵をつけた「ミリー ─天使にであった女の子のお話─」をえらびました。
この物語はグリム童話集に収められたものではなく、1816年にヴィルヘルム・グリムがミリーという少女に宛てた手紙の後に添えられていたごく個人的なものだったそうです。人々から収集された伝承の物語ではなく、ヴィルヘルムさんの創作であるこの作品が世に出たのは、ミリーの家族が物語を売却し、出版社の手に渡った150年以上も後のこと。
「かいじゅうたちのいるところ」や「まよなかのだいどころ」などを手がけ、すでに人気の絵本作家であったセンダックさんは、この物語に心を打たれ、5年もの時間をかけてすばらしい絵を描きました。彼の宗教画を思わせるような繊細なタッチの絵の数々は、母をなくしたミリーのために書かれた戦争とキリスト教における死生観が背景にある幻想的な物語と響き合い、淡くひかっているように感じられます。

ある村のはずれでつつましく暮らす母親は、自分の娘には守護天使がついてくれていると信じていました。娘は朝と晩にはかならずお祈りをする良い子でしたし、彼女のすることは何でもうまくいき、危ない目に遭いそうになってもきまって無事だったからです。
けれどあるとき、国におおきな戦争が起こり、彼女たちの住む村にも戦火が襲いかかります。
母親は娘を森の奥に逃がすことに決めました。娘に日曜日にたべたケーキの残りを持たせ、森で三日じっとしているようにいってきかせます。彼女はたったひとりで森に入っていきました。どんなにこわくても神さまを思って、言われたとおりに歩きつづけました。日が暮れるころ、彼女はいばらの道を抜けて野原にたどりつきます。星がたくさん見えました。星がひとつ落っこちて、彼女が近づいていくと、それは窓から明かりがもれる小さな家でした。彼女はそこでおじいさん──聖ヨセフと自分によく似た女の子に会い、はたらいたり遊んだりして三日間を過ごします。

三日が経ち、彼女が持ってきた日曜日のケーキをみんなでわけあって全部たべてしまうと、聖ヨセフは彼女につぼみのバラを渡して、家に帰るようにいいました。彼女は女の子に道案内をしてもらって母親のもとへ帰ります。森のはずれで女の子と別れて村へ入りますが、戦争で焼かれたはずの村には見覚えのある家にまじって見たことのない家が建ち、草がしげり果物が実り、平和そのものの姿でした。彼女が家に帰ると、戸口には母親ではなく、おばあさんが座っています。彼女が森で過ごした三日は、この村での三十年だったのです。

物語の最後に、読者は彼女がヨセフにもらったつぼみのバラの意味を知ります。
神さまのお導きで再会を果たした母娘の物語。
絵本の冒頭に掲載された手紙によれば、ヴィルヘルムさんはミリーさんに会ったことはないそうです。
偉大な編集者としてしられるヴィルヘルムさんの慈悲深さにふれられる唯一つの物語だと思います。

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