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レティシア書房店長日誌

磯崎憲一郎「電車道」
 
 「これ以上の人生の浪費はもはや一日たりとも許されない。男はその夜のうちに家を出た。男には長年連れ添った妻がいたし、愛してやまない二人の娘もいた。義理の母親とその妹まで同じ家に住まわせて養っていたのだが、財布と煙草と一日分の着替えだけを鞄につめて、寝静まっている家族に気づかれぬよう男は玄関の引き戸を開けた。」
 これが、本作の二人いる主人公のうちの一人です。そしてもう一人はこんな男です。
 「一人の男が政治家を志して選挙に立候補した、ところがあっけなく落選してしまった。男は銀行の職も辞してしまっていたし、養わねばならない妻子もいたので、友人の伝手を頼った。」
 この二人の男の数奇な人生を描いた「電車道」(古書/文庫600円)は、ほぼ改行なしで、びっしりと描きこまれた長編小説です。しかも、交互に二人の人生の失敗と成功が語られ、全く関係のない登場人物の物語に逸れていったり、さらには、明治から昭和への鉄道開拓の歴史的事実がそこかしこに配置されたりと変幻自在ですが、とても面白い!時間を忘れて読んでしまいました。
 

 家族を捨て洞窟に棲みついた男が、やがて私立学校を作り大きく成長した一方で、落選した男は、田舎の温泉でぶらぶらしているうちに何故か電鉄会社を興し、それが大きな企業に育ってゆく。とはいえ、これは立身出世の話ではなく、なんかいつの間にか型破りな人生になってしまった男たちの物語。なんともとらえどころのないタッチが、案外心地よい作品です。
 数多くのエピソードがちりばめられています。すべて三人称で少し距離を置いたような描き方なので、TVの歴史探訪の番組を見ているようで退屈しません。表紙は、昭和2年制作の小田急鉄道沿線名所図絵が使用されているので、この小説に出てくる鉄道は小田急のことらしい。その鉄道と関係を持っった二人の男が、震災、敗戦、高度成長と日本社会を襲った大きな波の中で、困惑し、ある時は流され、ある時は拮抗してゆくさまがクールなタッチで描写されています。
 やがて二人はこの世を去り、子供達が引き継いでいきます。彼らには彼らの人生が待っていて、物語は現代へなだれ込みます。始発駅から乗車して終着駅で降りるまで、疾走する電車の窓から刻々と変化する風景を眺めていたような感じのする小説です。著者の芥川賞受賞作「終の住処」も面白い作品でしたが、それ以上でした。

●レティシア書房ギャラリー案内
5/22(水)〜6/2(日)「おすよ おすよ」I push and go
よしだるみ新作絵本出版記念原画展
6/5(水)〜6/16(日)村瀬進「植物から、本から」出版記念原画展
6/19(水)〜6/30(日)書籍「草花の便り」出版記念原画展 西山裕子

⭐️入荷ご案内
きくちゆみこ「だめをだいじょうぶにしてゆく日々だよ」(2090円)
森田真生「センス・オブ・ワンダー」(1980円)
友田とん「パリのガイドブックで東京の町を闊歩する3 先人は遅れてくる」(1870円/著者サイン入り!)
川上幸之介「パンクの系譜学」(2860円)
町田康「くるぶし」(2860円円)
Kai「Kaiのチャクラケアブック」(8800円)
安西水丸「1フランの月」(2530円)
早乙女ぐりこ「速く、ぐりこ!もっと速く!」(1980円)
つげ義春「つげ義春が語る旅と隠遁」(2530円)
山本英子「キミは文学を知らない」(2200円)
たやさないvol.4「恥ずかしげもなく、野心を語る」(1100円)
花田菜々子「モヤ対談」(1870円)
子鹿&紫都香「キッチンドランカーの本」(660円)
夏森かぶと「本と抵抗」(660円)
加藤和彦「あの素晴らしい日々」(3300円)
Troublemakers (3600円)
若林理砂「謎の症状」(1980円)
「たやさないvol.4」(1100円)
「26歳計画」(再入荷2200円)
宇田智子「すこし広くなった」(1980円)
おぼけん「新百姓宣言」(1100円)
仕事文脈vol.24「反戦と仕事」(1100円)

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