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レティシア書房店長日誌

佐藤究「幽玄F」

 2021年山本周五郎賞と直木賞を同時受賞した「テスカトリポカ」は、以前にブログで紹介しましたが、怪奇性、暴力性で圧倒的な印象を残した作品でした。その佐藤の新作が「幽玄F」(古書/河出書房1300円)です。

 幼い頃から空に憧れた少年易永透(やすながとおる)は、ひたすら戦闘機に乗ることだけを考え、自衛隊に入隊し、夢を叶えます。
「傍若無人な戦闘機に切り裂かれる空  九月の青空は、不可視の重力をもって間断なく戦闘機に襲いかかりながらも、鈍い灰色の小さな侵入者の悪戯な舞いを受け入れ、どこかたのしんでいるように透には見えた。なぜならただ一機の戦闘機こそが、みずからの無限を象徴するからだった。自由と墜落、二つの矛盾する可能性が、一枚の紙よりもはるかに薄い、青く透きとおった光のなかで、完全に表裏一体となっていた。」
 最先端技術を駆使した戦闘機に乗り込み、大空の彼方に舞い上がるのですが、訓練中の事故で、彼はあれほど望んだ自衛隊を辞めます。そして何の目的もないままにバンコクへ向かいます。そこでくすぶりつづていたある日、ジャングルで途轍もない物を発見します。狂気のような情熱に取り憑かれた透が最後に見たものは………。
 「テスカトリポカ」とは違い、一人の飛行機乗りの心の奥の奥へと忍び込んでゆくような物語です。主人公は戦闘機しか興味のない男で、人に対して全く興味がないのか、感情が読めません。ひたすら空と速度に魅入られて、囚われた悲しさ。恐ろしいほどの執着が自我を蝕んでいき、結局は破滅が待ち受けていることは、自明のことだったのでしょう。彼の短い人生を、活劇調にならず、終始静かな文体で押し通したところが印象に残りました。
 著者は三島由紀夫をリスペクトしており、いつの日か彼の文学世界に挑戦できるような本をと考えていました。彼が三島作品で特に好きなのが「エピロオグーF104」という戦闘機搭乗体験記でした。ここから、本作に登場する天才的操縦士易永透を思いついたのではないでしょうか。
 タイトルの「幽玄」は、透がタイのジャングルで偶然に出会った盲目の日本人僧侶が引用した室町時代の歌人、心敬の書いた「心敬僧都庭訓」から来ています。
「心もち肝要にて候。常に飛花落葉を見ても。草木の露をなかめても。此世の夢まほろしの心を思ひとり。ふるまひをやさしく。幽玄を心にとめよ。」
この美しい文が、透の心にどう響き、人生を変えていったのかは本書をじっくりお読みください。


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