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レティシア書房店長日誌

コルム・バレード「コット、はじまりの夏」

 アイルランドからやってきた素敵な素敵な映画に出会いました。1981年夏、アイルランドの田舎町で、家族を顧みない父親と生きることに疲れているような母親、関係性の薄い姉妹の中で育った9歳の少女コット。家庭でも、学校でもあまり口をきかない孤独な少女でした。夏休み、臨月が近い母親に半ば追い出されるように、親戚のキンセラ夫婦の元に預けられます。
 そこで、彼女は思いもかけない夏休みを過ごすことになります。親切で優しく包容力のあるアイリンと、無骨で口数の少ないショーンの元で、コットは、生きる歓びに目覚め、今まで頑なに閉じ込めていた自分を解放していきます。

 映画は、美しい自然に満ちたアイルランドの自然と、そこで少しづつ少女らしさを取り戻してゆくコットを静かに見つめます。監督のコルム・バレードは、ダブリン生まれのアイルランド人。ドキュメンタリー畑の監督として数々の賞を受賞して、これが長編ドラマ第1作になります。大地を渡る風の音、牛の鳴き声、川のせせらぎを見事に捉えていきます。
 コレットが牧場に来て、変化をしてゆく様子を見ていると、梨木香歩の「西の魔女が死んだ」を思い出しました。登校拒否になった少女が自然に囲まれたおばあちゃんの家で、自分を取り戻してゆく物語に似ているのです。
あの物語では、おばあちゃんは何も尋ねることなく、黙って静かに接していきます。この映画でも、ショーンがコットに向かって言います。「何も言わなくてもいい、沈黙は悪くない」と。
 何事も受け身だったコットは、ショーンに褒めてもらった長い足で、毎日キンセラ家の郵便受け(牧場なので家から郵便受けのあるゲートまで遠い)まで郵便を取りに走り、ショーンと一緒に牛舎を掃除したりと、自ら動くようになり、前を向いていきます。

アイリン&ショーンとコレット

 けれど、当たり前にことながらやがて夏休みは終わり、自宅に帰る日を迎えます。まさか、アイリンの元へ引き取られて幸せな日々を送りました、みたいなハッピーエンドは、嘘みたいで見たくないなぁ〜などと思いながら見ていましたが、かなりシビアな幕切れ。え?コットはどうなるの?また、あの憂鬱な実家の暮らしが始まるの?
 でも、これはこれで希望に満ちたエンディングだと思うのです。去ってゆくショーンに向かって、農場で鍛えた脚力を最大限に使って追いかけ、抱擁を交わします。
 「9歳の少女がその足で行き着く場所なんて、高が知れているのかも知れない。それでも、誰かに受容されたこと.........。このひと夏が彼女にもたらしたものは、きっとどこまでも背中を押し、つまずいたときには手を差し伸べてくれるだろう。物静かな彼女は、大切な人にだけ聞こえる声で、その名をそっとささやく。そこで見出した小さな光が、スクリーンが暗転したそのあとも、心を灯し続けている。」と、作家で俳優の小川紗良がパンフレットに書いています。その通り、彼女は自分の足で歩いて行けるようになったのです。
 「パーフェクトデイズ」「枯葉」「映画の朝ごはん」と、今年はいい映画に巡りあえて感謝です。


●レティシア書房ギャラリー案内
2/7(水)〜2/18(日) 「まるぞう工房」(陶芸)
2/28(水)〜3/10(日) 水口日和個展(植物画)
3/13(水)〜3/24(日)北岡広子銅版画展

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