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レティシア書房店長日誌

黒川創「きれいな風貌」
 
 
京都在住の小説家黒川創の作品は、割とよく読みます。彼が書いた、今のところ唯一の評伝「きれいな風貌 西村伊作伝」(新潮社/古書2600円)をようやく読んだところです。(350ページ)
 この本を読むまで、西村伊作って誰?という認識でした。明治から昭和にかけて教育、芸術に人生を捧げた男です。

 1891年(明治24年)濃尾地震でクリスチャンの両親を亡くし、7歳で熊野川上流の広大な山林を相続した伊作。兄のように慕い、尊敬してきた叔父大石誠之助から様々なことを学び、育っていきます。しかし、叔父は大逆事件で処刑されてしまいます。その時、伊作は毛皮のコートに拳銃を忍ばせ、まだ珍しかったバイクで叔父の死体を引き取りに東京へと向かいます。
 1921年(大正10年)、自由を重んずる全く新しいスタイルの教育機関「文化学院」を東京に設立します。教師には、与謝野鉄幹・晶子、山田耕筰、政治家であり女性解放運動家でもあった河崎なつ、日本画家の有島生馬、俳人の高浜虚子らが並んでいました。抜群のセンスで、豊かな資産を使い、数多くの文化人や作家を教師として雇い入れ、多くの学生を育てました。
 文化学院は、国家が干渉しない自由で独創的な教育を掲げ、個性豊かな若者を育てることを目標にして、日本初の男女平等教育を実施、共学を実践します。創立当時から学校の制服はなく、和服よりも洋服を推奨していました。しかし、戦時中は官憲に目をつけられ、伊作は不敬罪で逮捕されて学校も弾圧を受け、閉鎖を余儀なくされます。それでも戦後1946年に再開にこぎつけます。
 「世の順風が吹きはじめたかのように、院長室の伊作のもとにも、さまざま人たちが訪ねてくるようになった。彼らは、たいがい、お上手のようなことを言っていく。伊作は、話がそういう調子に及ぶと、『わしはね、これからはマッカーサーに叱られるようなことをするんだ。』などと言いだし、相手を鼻白ませた。」

 そのあたりまでを、著者は膨大な資料や関係者への聞き取りを重ねて、まるで大河小説のような趣きでこの時代を自由に生きた男を描き出します。歴史で名前ぐらいは知っている人など、多くの人々が登場します。それらの人々が小説家ならではの執筆力で、生き生きと描かれています。
 波乱万丈の人生を生きた伊作は、1962年2月11日ガンのため78歳の生涯を閉じます。
「『死骸を拝んだり、葬式をしたりするな』と常づね言っていた伊作に従い、家族たちは、彼の好んでいた讃美歌をうたい、一人ひとりが、それぞれに短い話をした。あとは棺に納め、火葬に送った。」
 学園は、多くの芸術家、作家、役者を輩出しますが、経営状態が悪化し、2018年に閉校しました。

⭐️レティシア書房ギャラリーご案内 
10/4(水)〜10/15(日)月火定休
   油田さやか絵画展「もやと風の中で」

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