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レティシア書房店長日誌

井戸川射子「この世の喜びよ」

 著者の略歴を見ると関西学院大学社会学部となっています。私と同じ大学学部の出身だ!というだけでこの本を手に取った次第。あの、牧歌的なキャンパスライフの大学から、しかも文学部ではなく、社会学部からどんな文学が登場したんだろう、という興味からページをめくりました。「芥川賞受賞」という看板はどうでも良かったのです。

 本作は中編「この世の喜びよ」と短編2作品が収録されています。「この世の喜びよ」は、ショッピングセンターの喪服売り場にパートで働く中年女性、穂賀の日常を丹念に追いかけた物語ですが、話の起伏はほとんどありません。二人の娘達との会話、同僚の加納、隣のゲーセンで働く青年多田、フードコートで知り合った女子中学生との交流だけで進行していきます。
 「あなたは積まれた山の中から、片手に握っているものとちょうど同じようなものを探した。」という文章で物語は始まります。この「あなた」とは主人公の穂賀のことです。主人公を「あなた」と呼ぶ人物は全く登場しません。彼女の分身のような存在が彼女の行動や思考を見つめてゆきます。
 「あなたはここでなら目を閉じていても歩ける」といった、主人公から少し距離を置いたふわっと包み込むような視点によって、読者は「あなた」と呼ばれる穂賀の心の中へ誘われていきます。
 かつては娘たちとよく来ていたショッピングセンターの、喪服売場で仕事をする穂賀。その売り場の前にあるゲームセンターで働く、朗らかな青年多田との緩やかな交流や、ゲームセンターに通う少女のいらだちなどが、穂賀の日常に流れ込み、彼女の過去のなにかを思い出させます。
 過去の続きに現在があり、そこで私たちは生きている。その当たり前の事実のなかに生まれる喜びを、そっと描いていきます。この物語は、著者の見事な文章構築力がないと、皆目面白くない小説になっていたはずです。俯瞰的で独特の浮遊感が特徴です。間もなく子育てが一段落するだろう娘二人との回想を交えながら、日常を淡々と描くだけですが詩的な表現に強く惹かれました。
 著者は、最初は詩人としてデビューしていました。なるほど。
 
 さて今年の営業は本日までとなります。1月の「ガラス展」から始まって、2023年も多くの方にギャラリーで展覧会をしていただきました。新しい出会いもありました。久しぶりにお会いした方もありました。ご来店いただいたお客様、イベントに参加してくださった方々、本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。(店長&女房)


●レティシア書房ギャラリー案内
12/26(火)〜 1/7(日)「平山奈美作品展」(木版画)12/29〜1/4休み
1/10(水)〜1/21(日) 「100年生きられた家」(絵本)
1/24(水)〜2/4(日) 「地下街への招待パネル展」
2/7(水)〜2/18(日) 「まるぞう工房」(陶芸)

●年始年末営業案内
本年も大変お世話になりました。年始は1月5日(金)より通常営業いたします。来年もよろしくお願いいたします。


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