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【その灯りを恐れなかったのは誰か?】 #2


【総合目次】

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 《つぐみの枝亭》は冒険者ギルドに併設された酒場であり、当然ながらその日も多くの冒険者たちで賑わっていた。

 広い空間をみたす音は様々だ。食器の重なる音はもちろん、冒険の成功を祝う声、祈る声。あるいは失敗を呪う声、憂う声。賭け事に興じる者たちの骰子や札がテーブルを叩く音。隻腕の吟遊詩人が奏でる竪琴なきバラッド。それらの隙間をぬうようにして、給仕たちが忙しく動きまわる。

 ずっと前から繰り返されてきたであろう光景のなか、レイチェルと、緑髪の女騎士アルティナは円形の卓で向かい合っていた。

「あの、アルティナさん。本当によろしいのですか?」

「気にするな。罪人の確保に協力してくれた者に報いるのは当然のことだ」

 アルティナはメニューに目を走らせながら答えた。今夜の楽しみを自ら砕いてしまったレイチェルを哀れみ、夕食を奢ると宣言してくれたのだ。

「私は赤ワインと仔羊肉の料理にするぞう。貴女はどうする? 遠慮するほどの高級品があるわけでもないのだから、好きに選ぶといい」

「え、あ、それじゃあ……」レイチェルは躊躇いがちにメニューをとる。「川魚のソテーと……うーん……ウィスキーにします」

「ベルモットもあるみたいだぞ? いいのか?」

「こっちの気分になっちゃいました」

 注文した品が届くと、ふたりはぎこちなく乾杯した。一人酒を常とするレイチェルは僅かに緊張していたのだが、琥珀色の水が幸福とともに喉を下っていくのを感じ、安堵のため息をついた。

「ああ、幸せですねぇ。生きていることに感謝ですねぇ」

「ふふ。よっぽど好きなのだな」レイチェルの顔を見て、アルティナも口元を綻ばせる。「あんなに大泣きするくらいだものな?」

「わ、忘れてください。恥ずかしいです」

「その格好からすると、貴女は光珠派だろう? 誘っておいてなんだが、飲酒は強く戒められているのではなかったか?」

 光珠派とは、神珠教の教派のひとつである。その名の通り、光に象徴される神々や精霊を崇め、正なるもの、律法、慈しみ、導きなどを司る一派だ。

 霊素の性質は一様ではない。光に親しみやすいもの、水に親しみやすいもの、炎、風、地、闇……。周囲の環境などに左右され、様々にその姿を変える。そうしたものを理解するための便宜上、人類は属性という概念でそれらを分類してきた。当然、霊素から成る魂や霊珠、神々も例外ではないのだ。

「過度な飲酒を禁じているだけです。飲酒そのものを戒めるほど厳しいわけではありませんよ」レイチェルは空になったグラスに二杯目をそそぎながら答えた。「まあ私、ちゃんとした修道院で教義を学んだわけではないので、本当のところはよく分かりませんが」

「そうなのか? ではどこで学んだのだ」

「故郷の小さな教会です。親代わりだった人が運営していまして、そこで育てられたんです。ありきたりでしょう?」

「確かに、よく聞く話ではあるな」アルティナは仔羊肉を上品に切り分けながら言った。「故郷はどこか、聞いてもいいかな?」

「イラという村です」

 ナイフが止まる。アルティナは表情を消してレイチェルを見た。レイチェルは笑みを絶やさなかった。

「《白き森のイラ》か?」

「ご存知でしたのね」

「知っている。……そうか」彼女は食器から手をはなし、まっすぐに頭を下げた。「すまない。無神経なことを聞いたな」

「そんな、謝らないでください。嫌なら答えてませんから」レイチェルは笑い、話題を変えた。「アルティナさんも神珠教徒ですか?」

「ああ。私は炎珠派の特任騎士だ。本日付けでこのリディアを拠点とするよう拝命した」

「まあ、特任騎士さま! 立派な方でしたのね」

 霊術と武術をまなび、教団によって叙勲された騎士を聖騎士と呼ぶ。彼らの多くは教団や主君などに付き従うことが使命であるが、特任騎士は活動のほとんどを己の裁量で決定できる存在だ。

 教団から彼らに与えられる命令はひとつ、『全身全霊を以って治安維持にあたること』。それだけである。だからこそ、身勝手は許されない。強い権限をあたえられる以上、それに値する存在だと万人から評価される必要がある。ゆえに、心技体にすぐれた一部の者だけが、特任騎士となれるのだ。

「そんな目で見ないでくれ。有難い任を賜ってはいるが、それほど立派な存在じゃないんだ、私は」アルティナは額の傷にふれた。「そう思うからこそ、こうして恥を残している」

「そんな、恥だなんて……」

「美醜の問題ではないんだ。術の修練中に、自分の未熟さが原因で負った火傷だから」

「ああ」

 レイチェルは察した。炎珠派の騎士ならば、当然、炎をあやつる霊術をまなぶ。高位の術士ならばいかようにも制御できるだろうが、そこに至るまで失敗を重ねぬ者などいない。

「このような傷が、あと七ヶ所ある」

 アルティナは左の二の腕をさすりながら言った。

「治療して見えなくなった傷を含めれば、もっと。ぜんぶ自分でつけた火傷だ。私は霊素と感応しやすい体質で、そのぶんコントロールするのが抜群に下手だった。怖かった……いや、今でも怖い。自分が傷つくのはいいが、もし無関係な人を巻き込んでしまったら」

「……」

「いまではこんな傷を増やすこともなくなったが、気を緩めればどうなるか分からん。だから戒めとして残しているんだ。私を高慢や油断という悪魔から遠ざけてくれる、苦々しいお守りさ」

 アルティナは苦笑し、左手で覆うように額の火傷に触れ、そのまま髪をかき上げた。レイチェルは何も言えなかった。

 空気を切り替えようとしたのか、アルティナは一気にワインを呷り、誤魔化すように大きな声を出す。

「そんなわけで、私はまだまだ未熟者ではあるのだがな! 特任騎士ともあろう者がそんなだと知れば、民は不安になるだろう。たいていは戦傷だと勘違いしてくれるから問題ないが、あまり実情を大っぴらにはしたくないのだ。不躾な質問のかわり……にもならんだろうが、せめてもの償いとして晒した恥。できれば内緒にしてほしい」

「わかりました。内緒ですね。ふふ」レイチェルは人差し指を唇に当てる。

「そう、内緒だ」

 アルティナもはにかみながらそれを真似した。二人の女性はしばしの間、同じポーズで微笑みあった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「父さん。アイリス送ってくから」

 トビーは壁にぶら下がっていた角灯を手にとり、父に声をかけた。受付カウンターでぼんやりしていた父は、たるんだ顔を慌てて修正する。

「ん、お、ああ、そうか。いや、父さんが送っていこうか?」

「大丈夫でしょ、いつものことだし。ちゃんと仕事しててよ」

「うーん、そうかな」

「どうも、お邪魔しました」アイリスはぺこりと頭を下げた。

「アイリスちゃん、いつもありがとう。お父さんたちにもよろしく言っておいておくれ」

「はい」

 トビーたちは金切り声をあげるドアを開け、外に出た。

 すでに日は沈み、三日月が東から昇ろうとしている。思ったより遅くなってしまった。できれば角灯を使わずにおきたいトビーは、自然と足を早めた。アイリスも歩調を合わせてくれた。

「珍しくお客がいるってのに、あの顔はないよな」トビーは眉をひそめながら言った。もちろん父のことだ。「まさか僕もあんな風になるのかと思うと、いやんなってくるよ」

「……ふふ」

「あ、もしかして、想像したな?」

「してない、してない」

「したろ。ッたく……」

「トビーのお父さん、頑張ってると思うよ。息子さんとふたりでよくやってるって、お母さんたちも言ってた」

「そりゃどーも。伝えとくよ」

 気安い会話をかわしながら、静かな住宅街をあるく。石畳の道に人気はない。トビーの好きな空気だった。隣に友達がいればなおさらだ。

 それでもどこか不安になる。やはり父か、冒険者に同行してもらった方が良かっただろうか。そう思ったが、引き返す気にはなれなかった。根拠のない予感というものをトビーは信じていない。

 会話が途切れているあいだ、トビーは宙に指をおどらせて、学んだことを反芻する。その横で、アイリスは僅かにうつむいて黙っていた。それは彼女が言葉を探しているときの角度だ。

 やがて彼女は小さく息を吸いこむと、見つけた言葉を吐きだした。

「トビーは、勉強してて楽しい?」

「そうだね、楽しいよ」トビーは指を止めずに答える。「できることが少しずつ増えていくのは気持ちがいい。アイリスの教え方が上手だからだね」

「トビーの頭がいいからだよ」

「ほら、そうやって褒めて伸ばしてくれるからさ」トビーは笑った。「アイリスはどう? 学校、楽しい?」

「楽しいよ」アイリスはこくんと頷く。「トビーが一緒にいてくれたら……、もっと楽しいと思う」

 少年はうつむく少女の横顔を見た。彼女がなにを言わんとしているのか、おのずと察した。

 トビーが学校へ通っていないのは、自分自身で選んだことである。父は行かせたがっていた。経済的に苦しいのは確かだが、「何とかならないこともない」程度らしかった。助けてくれる人たちがいるのだろう。小さい頃からの仲だという、アイリスの両親のように。

 だが彼は、遠慮なんかしなくていいという大人たちの言葉を振り切って、この道を選んだ。学ぶことの大切さは重々わかっていたし、嫌いなわけでもない。

 だらしない父の顔がどうしてもちらつくだけだ。息子のために、母と同じ冒険者のために、あくせく働く父の顔。たまの休憩時間に、疲れきった様子でよだれを垂らす中年おやじの顔。「世話になった」と笑顔で旅立つ冒険者を、喜ばしそうに見送る《緋色の牝鹿亭》の主人の顔が。

「……僕は《緋色の牝鹿亭》の従業員だ」

 トビーは前を向いて言った。

「あんなボロ宿、僕が働いてあげなきゃすぐ潰れちゃうでしょ。世間は困んないだろうけど、いちおう僕は困る。だから学校には行けないよ」

「……」

 アイリスの視線を頬に感じた。トビーは見つめ返しはしなかった。

 やがて彼女も前を向き、「そっか」とつぶやく。

「じゃあ、しょうがないね」

「うん」

「頑張ってね」

「君も」

 そのとき、家の陰から一匹の猫があらわれ、二人は思わず立ち止まった。

 青い毛並みの猫は、「ねこちゃん」とつぶやくアイリスに一瞥をくれ、しばらく睨む。やがて興味を失ったか、早足で道を横切り、茂みの陰に隠れた。

「かわいいね」

「そうかな」

 そう交わし、歩き出そうとしたふたりだったが、低いうなり声がその足を止めた。

 茂みの中から聞こえてくるその声は、ひときわ大きくなったかと思うと、次の瞬間、なにかが潰れる音とともに「フギャッ!?」と短い悲鳴に変わり、途絶えた。

「え……な、なに?」

 アイリスは怯えて一歩下がる。トビーは心臓が速まるのを感じつつ、アイリスを庇うように立ち、茂みを睨んだ。

「甘し」

 トビーたちは息をのんだ。

 ぬう、と、襤褸のローブを纏った人物が、気配もなく現れた。顔の上半分はフードに隠れて見えないが、その口元は粘ついた愉悦に歪んでいた。

「恐怖に怯える童の御霊。実に甘し。よき贄となろう」

 陰気な男の声でそう言いながら、ローブは近付いてくる。その右手の袖から、夜の闇に溶け込むように、暗い血が滴っていた。

 アイリスが悲鳴をあげようとした。



【続く】

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