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【豚が狼を喰らうのか?】 #2
「失礼。お名前を」
教会の入り口前で警備をしている騎士がレイチェルにたずねた。
「レイチェル・マクミフォートです。クリストファー・メイウッドと共にお招きいただきました」
「マクミフォート様ですね。先にお入りになられたメイウッド様から伺っております。宴会は裏庭の園で催しておりますが、まずは礼拝堂でお名前をご記帳ください」
騎士が手を上げると、両開きの扉の脇にひかえていた修道士たちが取っ手をつかみ、それを開いた。修道士たちは声をそろえて言った。
「「ようこそ、我らの白狼教会へ」」
「……ありがとうございます」
レイチェルは頭を下げながら中へ入った。
礼拝堂は宴の対応に走る聖職者たちにより慌ただしい空気が漂っていたが、それでも外と比べると静謐な空間であった。
祭壇の奥では、『天狼の勇者に首をたれる白狼』を描いたステンドグラスが陽光を透かして輝いている。双四角錐にカットされた光珠がいくつも壁に設置され、陽光のとどかぬ範囲をあまさず照らしていた。信徒用の長椅子が片付けられていることもあり、影となる場所はほとんどない。
ここは光に満ちた聖なる場所だった。レイチェルは眩しさに目を細めた。
「記帳はこちらでお願いしまーす」
祭壇から少女に呼びかけられ、レイチェルはそちらに進んだ。
ふっくらとした頬を笑顔で飾った修道服の少女にうながされるまま、レイチェルは自分の名前を記帳した。書かれた名前を何とはなしに目で追うと、クリスとバルドの名前も見つかった。
「これでよろしいですか?」
「はい、確認します!」少女は元気いっぱいの様子で答えた。「レイチェル・マクミフォート様ですね! ではどうぞお楽しみください!」
「ありがとう」
レイチェルは礼を告げ、庭園へつながる左側の扉へ向かおうとした。しかしその動きは途中で止まった。視界の端に映ったものに気を取られたのだ。
建物側の扉は開け放しにされており、その傍で二人の男が会話をしている。片方は騎士で、もう片方は緑がかった黒髪の剣士だった。その剣士に見覚えがあった。
会話を終え、騎士はレイチェルとすれ違って庭園へと出ていく。それを目で追っていた剣士の視線が、レイチェルとぶつかった。レイチェルは声をかけた。
「こんにちは。お久しぶりです、ヒースさん」
「あんたか」
ヒースは静かだがよく通る声で応えた。その声質も表情も、他人に不愛想な印象をあたえるものだ。しかしこれが彼の平常である。
彼もレイチェルと同様、リディアを拠点とする冒険者である。何度か一緒に仕事をしたが、数ヶ月前、オークに率いられたゴブリンの群れを討伐する依頼が最後だったはずだ。彼の前で《白狼の祈り》を捧げたのは、あれが初めてだった。
あの仕事は三人で受けた。生き残ったのは二人だけだった。レイチェルはそれを覚えている。
「偶然ですね。こんなところでお会いするなんて」
「ああ。驚いた」ヒースはレイチェルの全身をながめ、平坦な声で言った。「庭園のほうの宴に招かれたのか? あっちは金持ち専用のはずだが」
「そうですよ。お金持ちの友達にくっついてきたのです。このドレスも彼に用意してもらったんですよ」
「そうか。金持ちの友人か。羨ましいな」
「うふふ。相変わらず、ぜんぜん羨ましそうに聞こえませんねぇ」
「本当なんだがな……」
「ヒースさんは、警備のお仕事ですか? その様子だと」
素朴なものではあるが、確かな質を伴った革製の装備でヒースは武装していた。ヒースは頷いた。
「成り行きでな。ここの司教は金払いがいい」
「よかったですね。ヒースさんが守ってくださるなら、私たちも安心です」
「買い被りだ。いざとなったらあんたの方が頼れる。……あの時もあんたのお陰で命拾いした」
「そういえば、あの後からヒースさん、リディアで見かけなくなりましたよね」
「ああ。自分の未熟さを痛感したんでな。師匠のもとで術の修行をやり直してた」
「そうだったのですか」
「あのとき、俺が《風の靴》をもう少しうまく扱えていれば、あいつは死なずに済んだかもしれない」ヒースの平坦な声がわずかに傾いた。「俺の過信が招いた失敗だ。だから初心に帰ってみるべきだと思った。こんなことで、あいつに詫びられるとも思わないが」
「……ご立派だと思います。本当に」
「立派なものか。自分の未熟さに気付いていなかった馬鹿が、今さら気付いただけの話だ」
「それを認めたことが、立派なのです」レイチェルは祈りの手を組んだ。「私もヒースさんに学ばなければなりませんね。『自分の小ささを知ることこそ、偉大な者になる条件』だと、私の神様も仰っています」
「神様?」ヒースの表情がかすかに歪んだ。
「レイチェル」
レイチェルは自分を呼ぶ声に振り返る。庭園側の入り口に、バルドが立っていた。
「来ていたか。会長がお待ちだぞ」
「まあ、ごめんなさい! すぐに行きます」レイチェルはヒースに向き直った。「それじゃヒースさん、お仕事がんばってくださいね。何事もないことを祈ります」
「……ああ」
レイチェルはぺこりとお辞儀をし、小走りに庭園へと向かって行った。
ヒースは訝しげにそれを見送った。否、彼はたしかに訝しく思っていた。
(『自分の小ささを知ることこそ、偉大な者になる条件』……)
ヒースの記憶が確かなら、それはあの快活な霊術師の少年の口癖だった。三人のうち、生き残れなかった一人の。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
秋薔薇の紅にいろどられた庭園に、所狭しと料理が並べられた丸テーブルが整然と配置されている。料理の種類はさまざまだが、やはり肉料理が多いようだった。集まった人々はおしなべて身なりがよく、まるで貴族か王族の社交場のようである。
ヒースが言った通り、庭園ではカンディアーニに招待された富裕層のみの宴会が催されている。ひとえに政治目的ゆえだ。辺鄙な村の一教会にこれだけの数の貴人を集められるのは、カンディアーニのもつ影響力の証といえよう。
「この格好、村を歩いてるときはちょっと恥ずかしいって思いましたけど……」
レイチェルは周りに目を配りながら言った。すれ違う赤いドレスの女性と目が合い、会釈する。女性も会釈をして通り過ぎた。
「クリスに感謝ですね。修道服のままだったら、すごく浮いてしまうところでした。教会なのに」
「……そうか」バルドはぼそりと返事をした。
「あ、よく見たらバルドさんもお洒落してますね」
「よく見ないと分からんのか」
バルドの喋り方はヒースと似ているが、バルドの方が感情が見えやすい。今は不機嫌そうだった。服の変化に気付いてもらえなかったからではなく、動きづらいからだろう。肩口が狭そうな黒い服だ。
彼女たちが進むさき、ゴブレットを手にしたクリスの姿が目に入った。彼は二人の男性と会話をしている。クリスがこちらの存在に気付くと、その二人も視線を追った。
「やあ、来たね」クリスは言った。
「ごめんなさい。遅れてしまいました。仕事はつつがなく終わりましたよ。ジルケさんやアッペルバリさんが張り切ってくれましたから、私の出番はありませんでした」
「何よりだ」彼は頷いた。「村の様子、見てきただろう?」
「ええ。皆さん楽しんでいらっしゃるみたいで、素敵ですよね」
「それだけ?」
「はい?」
「いや、何でもない。気にしないで」彼は二人の男性に向きなおった。「お二方、お待たせいたしました。彼女がレイチェル・マクミフォートです」
「おお……覚えておりますぞ、その美しい金糸雀色の髪。大きくなられましたなあ」
「お久しぶりです。カンディアーニ司教様」
一礼するレイチェルに、カンディアーニは顔をしわくちゃにした。笑顔を浮かべているようだった。
純白のアルバにストラを首にかけた姿は、記憶とおおよそ同じである。肉付きはよりいっそう増しているように見えた。まるで玉のようだ。身長は低いが、体重はレイチェルよりもずっと重いだろう。
「いやあ、それにしても、本当に……驚いております」カンディアーニはゆっくりとレイチェルの全身を眺めた。「風の噂で貴女の生存を聞いたときは、まさかと思いました。こうして見てもまだ半信半疑です。あのお転婆な娘さんが、このような……」
「司教様、昔のことは仰らないでください」レイチェルは慌てた様子を見せる。「恥ずかしいです。見知らぬ方がおられるのに」
「むほほほ! これは失礼、失礼。確かにご紹介するのが先ですな」
カンディアーニは腹を揺すって笑い、手のひらで老人を示した。
「レイチェル殿、この方はヘクター・ハドルストン卿。今は引退しておられますが、《十二人評議会》を七期務めた偉大な商人にして、我々を始めとする多方面への寄付を惜しまない篤志家であらせられます」
「よしてくだされ、司教。儂は金貸しと土地の売り買いなどという下賤な商売で成り上がった身。その贖いをしているに過ぎませぬ」
深緑のテイルコートを纏った老紳士は苦笑交じりにそう言った。
眼光、顔立ち、声、立ち姿、そのすべてから深みを感じさせる老人である。身長は高く、髪も灰に染まっているとはいえ豊かなものだ。背筋も曲がっていない。外部へ溢れ出しそうなほどのエネルギーを、積み重ねた人生の重みで抑え込んでいる、そんな印象をレイチェルは受けた。
《十二人評議会》とは、自治都市の同盟であるグランダースの統一的な意思を決定する国権的機関である。リディアを含む十二の都市参事会から選挙で選ばれたメンバーは、名実ともにグランダース最高の権力者と認められることになる。それほどの人物、というわけか。
ハドルストンはレイチェルに手を差し出した。
「ハドルストンです。貴女のことは司教殿から聞いておりますよ。ここまで美しいお嬢さんだったとは思いませんでしたが」
「ありがとうございます。お会いできて光栄です」
レイチェルはぎこちなく握手に応えた。
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