酔夢 1 母に抱かれて目覚めた朝
私はまどろみの中にいた。横倒しになった視界いっぱいに、白い瞼をとじて眠る女の顔が映っていた。そして背中から包み込むような圧迫感。ああまただ、と私は思う。
「ちょっと……母さん。母さんってば」
「んー……」
甘い声とともに酒臭い息が鼻腔をかすめ、顔をしかめる。また深酒か。私は身をよじらせて抵抗の意をしめす。
「もう、いい加減に起きてってば。母さん!」
「んんー……」
母はゆっくりと瞼を開け、私の背中にまわしていた手で目をこする。私はその隙に逃げ出した。
「あぁー……私の枕が逃げていくぅ……」母は名残惜しそうに手を伸ばす。
「あのさ、寝てるうちに勝手に私を抱き枕にするのやめてって、何度も言ってるよね」
「だってレイチェルったら、起きてるうちに抱こうとしても、ぜったい逃げるじゃないですか」
「そこじゃなくてさ」
「あったかいんですもの、あなた」母はベッドに横たわったまま笑う。「あなたこそ、ひとりで寝るよりあったかかったでしょう? 最近寒いですし」
「それ以上に鬱陶しい」
「まあ。口のわるい子ですね。言葉遣いはちゃんとしないと、神様に叱られますよ」
「……酔っぱらった挙句、勝手に娘を抱き枕にする母親は、叱られないわけ?」
「う」
「ほどほどにしなよ、お酒」
「はい、そのように致します……」
母はしょぼんとした様子で身を起こした。その目元には疲れの跡が残っている。
母といっても、まだ二十歳そこそこ。姉と呼ぶほうがふさわしい年齢だ。そんな若さで、死んだ親から継いだ祭祀の仕事をひとりでこなしながら、生意気な拾い子と暮らしていれば、それは疲れるものなのだろう。
しかもここ数日は《月の祝福の儀》も続いている。聖なる光の霊珠を採掘するため、森の奥で寒月の光をあびながら、何時間も孤独に祈るという儀式。私だったら三十分も耐えられない。ようやくそこに思い至って、私は少しばつが悪くなった。
私がさっさと着替え終えたころ、母はまだ下着姿のままだった。いつも通り、のんびりしている。そこへドアがノックされる音。ブラッドおじさんだ。
「リア、起きてるか?」
「はーい、起きてますよ」母は応えた。「どうぞ、入ってください」
「……着替え中だな、おまえ」
「あら、バレちゃいました」
母はちろりと舌を出す。この人はブラッドおじさんが無表情に困る姿を見たいらしい。私は肩を竦めた。
「スミス爺さんが傷を痛がってる。朝からすまんが、診てやってくれるか」
「もちろんですけど、スミスさん、お酒呑もうとしてませんか?」
「してるな。痛み止めだとか」
「いけませんよ、私を差し置いて朝呑みなんて。薬の効きも悪くなります。呑むなら私と一緒にねって言ってください」
「ふん。伝えておこう」
足音が遠ざかっていった。私は母さんに向きなおる。
「なんか、手伝おうか」
「あら? 珍しいですね」タイツを穿きながら、母は嬉しそうに微笑んだ。「じゃあ、ユキヨモギの箱を出してもらいましょうか。場所は分かる?」
「うん」
「あなたにはちょっと高い位置にあるから、気を付けてね」
「うん。そうする」
私は頷き、扉を開けた。
出ていくとき、母は見慣れた修道服を身にまとっていた。白光に染まった窓を背にして、彼女は小さく手を振った。絵画みたいだ、とこぼす私の気持ちを、私は扉とともに閉ざした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?