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【豚が狼を喰らうのか?】 #1


【総合目次】

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 断食節を前にして開かれた豪勢な宴に、ミーティスの民は大いに沸いていた。

「ようあんた! 俺たちのふるさと、ミーティスへようこそ! 旅の修道女様かい?」

「ええ、そんなところです」

 豚の骨付き肉と葡萄酒を手にした赤ら顔の男に、レイチェルは答えた。男は大声で笑った。

「ちょうどいい時期に来たもんだな! ここにある肉や酒はカンディアーニ司教様のお慈悲で供されたもので、誰だろうと好きなだけ喰っていいんだぜ。もちろん旅人のあんたもだ。何かとってきてやろうか?」

「いえ、お構いなく。務めがありますので」

「そうかい? そりゃ残念だな。せっかく俺たちの自慢の村に来てくれたんだし、務めが終わったら楽しんでくれよ」

「ええ、ぜひ」

 男はふたたび大声で笑うと、肉に齧りつきながら去っていった。レイチェルはやや固い笑みでそれを見送った。

 それから彼女は村で一番大きな宿に向かった。

「ごめんくださあい。メイウッド商会からお話があったと思うんですけど」

「はいはい、伺っておりますよ」ふくよかな女将が応対してくれた。「レイチェル様ですね。遠路はるばる、ようこそおいで下さいました。お部屋へご案内します。着替えの方も預かっておりますけど、お手伝いいたしましょうか?」

「いえ、結構です」

 それから一階の空き部屋に案内してもらった。先に到着しているクリスが予約した部屋だ。女将から鞄を受け取り、中へ入る。

 使われた形跡の見当たらない、綺麗な部屋だった。掃除が行き届いているのだろう。窓際に飾られた花がかすかに香る。レイチェルは寝台に鞄を置き、開けて、中のものを取り出した。

「これは……うーん……」

 彼女はそれを広げ、唸った。やや悩んだ末、ドアから首を出し、女将に声をかける。

「すみません。やっぱり、お手伝いいただいても……?」

 女将はにこやかに頷いた。


 ……数分後、宿から出てきたレイチェルは、いつもの修道服ではなく、背中を大きく開いた黒いドレスを身に纏っていた。

「うう……やっぱりちょっと、恥ずかしいですね……」

 周りの人々の視線が集まってくるのを感じる。レイチェルは俯き気味にそそくさと歩きだした。

 季節は秋。このあたりは標高が高く、冬の訪れを待たずして空気は冷たさを孕み、白い霧をよぶ。しかし今現在のミーティスの広場に立ち込めるのは、人々と炎がもたらす熱気と、焼けた肉からのぼる香ばしい煙であった。

 いくつかの屋台に並べられた、腸詰めや塩焼きなどの単純な肉料理の数々。浴びるほどに用意されたエールや葡萄酒。それらの誘惑を、しかし彼女は一顧だにしなかった。

 親に手を引かれて歩く子どもたち。酒を飲み交わす男たち。噂話に花を咲かせながら控え目を装って料理を口にする女たち。行き交う人々の顔はみな喜びに満ちていた。彼らは口々に、宴を催してくれた教会関係者、とりわけカンディアーニ司教への感謝をささげていた。

 霧に濡れて黒ずんだ道をまっすぐ進んだ先に、この村の教会はあった。正面に三角屋根の建物があり、てっぺんに神珠教のシンボルである星十字が掲げられている。これが礼拝堂だろう。その右手側にくっつくようにして、二階建ての建築が延びている。聖職者たちの居住空間だろうか。貴族の館か修道院にも思える大きさだった。そちらの方角から厩舎や薬草園のにおいがした。

 左手側に建物はなく、庭園になっているようだ。そこから人々の気配がした。きっとそこでも宴会が行われているのだろう。

「……立派な教会ですね」

 レイチェルはひとりごちた。彼女の記憶のなかで同じ場所に建っていたものと比較しての感想だった。

 ミーティスの村。それはかつて魔物によって滅ぼされた村の跡地につくられた、新しい集落である。滅ぼされた村の名はイラといった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 それはひと月前の昼下がりのことであった。

「宴の招待状ですか? 私に?」

 再会の日にブランデーを飲み交わした執務室のテーブルで向かい合い、クリスはしかめ面で頷いた。

「光珠派の司教、ミルコ・カンディアーニからね。手紙は僕に宛てられたものだけど、君のことも名指しで指名してきた。君が《ユニコーン騎士団》に所属したことをどこかで知ったんだろう。……カンディアーニ司教、覚えている?」

「私がお会いしたことのある方なのですか?」

「そうだね。僕もイラの村に滞在しているときに、一度だけ会っている」

「んん~……確かに聞き覚えは……あるような」レイチェルは腕を組んで唸ったが、やがて諦めて頭を振った。「だめです、思い出せません」

「教区長だよ。当時のイラを含む地域を管轄していた」

「ああ」

 レイチェルは納得の声をあげて、クリスと同じように顔をしかめた。あまり良くない印象の記憶だったのだ。

 記憶の中のミルコ・カンディアーニは、成人男性としてはやや低めの身長、垂れ下がり気味の肥満体に白い祭服を身にまとった、禿頭の男だった。穏和な表情や声質のためか、それらの身体的特徴は、ほとんどの人にとって愛嬌として捉えられていた。

 彼は年に一度、《月の祝福の儀》を経た聖なる光珠を受け取るため、イラの村にやってきた。それを手渡すのは、レイチェルの義母であり司祭でもあるリアの役目だった。彼は己の部下にあたるリアに対しても、他の人々と同様に振る舞った。少なくともそう見せていた。

 だがレイチェルはその奥に、なにか「よこしま」な臭いを感じることがあった。それは決まって、笑顔によって細めた視線をリアの肢体に向けている時だった。

「思い出した?」

 クリスはすまなそうな笑みを浮かべて言った。どんな感覚を思い出したのか、見透かされているようだ。

「ええ……。ああもう、いけませんね。ろくにお話ししたこともないのに、勝手にこんな風に思っていたら」

「仕方がないよ。僕だってあの人は苦手だ。おじさんだって警戒していただろ」

「そうでしたっけね……。それで、この宴というのは何なのですか? なぜ私にお招きが?」

「光珠派の一部の宗派に、断食節を定めているところがあるだろう?」

「そうなんですか?」

「……うん、あるんだよ。カンディアーニの宗派でも、秋と春の二度、一ヶ月ずつ、食をつつしむ期間が定められているらしい。完全に絶つわけじゃないみたいだけどね」

「それなら宴とは言わないのでは」

「いや、そっちじゃなくて、秋の断食節に入る前に、祭りを催すらしいんだ。長期にわたる節制にそなえて、期間に入らないうちに食べて飲んで騒ごうっていう」

「まあ、楽しそうですね! でも、なんだか光珠派らしくありませんね」

「断食節を知らなかった君が光珠派を語るかい?」

「む! むむむ……!」

「ははは、ごめんごめん、膨れないでよ。君の言うとおりだ。これはカンディアーニ司教が個人的に行っていて、教団公式の行事じゃないらしい。彼は地珠派の教えを光珠派に取り込んだ独自の教義を持っているようだ」

「たくさん飲んで、食べようっていう教えですか?」

「まあざっくり言えばそう。地珠派にも色々あるけど、『腹を満たすことこそ最上の幸福』と考えている宗派は多い。カンディアーニはその考えを取り入れて、積極的に食べ物を仕入れ、信徒たちに提供しているそうだ。自腹でね」

「まあ。それは何とも、その……」

「『見た目通り太っ腹だ』……って?」クリスは口の端を吊り上げて言った。「貯め込んでいるんだろうね、たっぷりと」

 実際その通りだが、冗談というより揶揄するようなクリスの様子が気になった。どこか悪意の臭いがする。

「まあそういうわけで、カンディアーニは光珠派と地珠派の相反する教えを使い分けて、主に庶民からの支持を得ている。この祭りもその一環だ。楽しい行事を餌にして、節制を是とする光珠派の入り口まで誘導するつもりなんだろう」

「なるほど。その餌で、クリスのことも釣ろうと?」

「いや、釣ろうとしているのは、たぶん君だ」彼はそこで少し間を置いた。「君はミーティスの名を知っているか」

「……はい。もちろんです」

 レイチェルは神妙に頷いた。それは二人にとって、複雑な意味をもつ名前であった。

 イラは元々、白き森に住まう神を崇める神官の一族、マクミフォートの血筋を中心として成立した集落である。その土地の権利はマクミフォート一族に属していた。村が滅亡し、相続人であるレイチェルも行方をくらませたため、それは神珠教団のもとに落ち着くことになったのだ。

 教団が滅びた土地の権利をもとめたのは、白き森が良質な光珠の産出地だったからである。《月の祝福の儀》によって祝福された聖光珠は、光珠派の祭典や祭具の製造のために奉納される。その見返りとして、村は一年を過ごせるだけの十分な資金をうけとる。教団の規模からすれば端金だろうが、それだけの出費を毎年おこなうだけの価値が、あの森にはあったということだ。

 その管理のために新しく教会が建てられ、そこに勤める者たちや教団に要請された職人たちの家族などが移住し、そこは集落となった。さらに司教の人徳を頼った人々も集まり、わずか十年足らずでイラの人口を追い越した。

「やがてその集落は、ミーティスの村と呼ばれるようになったと……風の噂程度に聞きました」

 レイチェルはそう結んだ。そしてなぜ彼がその名を出したのか、話の途中でなんとなく察した。

「もしかして、その教会の司教様が……?」

「そう、カンディアーニだ」クリスは頷いた。「教区長の地位を辞して、自分から希望したそうだよ。イラと直接の関係を持っていた人物だし、教団も認めざるをえなかったみたいだね」

「そうだったのですか……」

「さっき言ったように、カンディアーニは食糧を民に無償であたえる度量の持ち主だと評価されている。それを頼った人々が集まってくるのは自然のことだったろうね。飢えに苦しむ人々にとってはまさに救世主だろう」

 レイチェルは心に靄がかかったような感覚をおぼえた。そしてそのことを恥じた。故郷を捨てた自分が、立派に徳を積んでいる聖職者に向けて良い感情ではない。

 彼女が自責の念に陥りそうになったのを察してか、クリスは声量を上げて続けた。

「そういうわけで、彼は現在、ミーティスの統治者といっても過言ではない。ただ万事順調というわけでもなさそうだ」

「それは、どういう……?」

「僕の推測だけどね。まず《月の祝福の儀》だ。教団があの土地を確保したのは聖光珠のためだけど、それを生みだすための正式な作法は、君たちの一族の秘伝とされてきた。それを知りたいんだろう」

「ああ、なるほど」

「あとは、やっぱり土地の所有権かな。相続権を主張しないまま行方不明になっていた君の生存が確認されたとなると、色々とややこしいことになるんだろう。具体的には……」

「私、相続するつもりはありませんよ」レイチェルは難解な話になる気配を察し、先んじて言った。

「本気かい?」

「ええ」

「……実際、教団が手放すとも思えないけど」クリスは眉根をわずかに寄せる。「もし可能なら、あの地は君が継ぐべきだというのが、僕の正直な気持ちだ」

「でも、ミーティスの村はきちんと成立しているのでしょう。私の存在によってその安寧を揺るがすようなことは、本意ではありません」

「白き森の恵みを享受するのは、君たちマクミフォート一族の権利だった。それも不要だと?」

「それも森を守護するという義務を果たしてこそ得られるものです。その義務を果たすには、私はあまりにも未熟です。私が光珠派の教えだけでなく、自分の村の信仰に対してすら不勉強だったことは、あなたも知っているでしょう?」

「そんなことは……」

「儀式の方法を秘伝としてきたのも、『みだりに広めるべき知識ではない』と言い伝えられるだけであって、切実な理由あってのものではありません。義務を果たすべき者が知っていればよいから広げていないだけで、マクミフォートが独占することに意味はないのです」

「……」

「お話を聞くかぎり、カンディアーニ様は聖職者としての務めを立派に果たしていらっしゃいます。私なんかよりずっと多くの人を救っておられる。その事実に比べれば、私たちの個人的な感情など些末なこと。そう思います」

 クリスは沈黙した。彼の表情のこわばりがレイチェルには伝わった。彼は短く息を吐いた。

「君の意思はわかった。僕もそれを尊重したいと思う。ただ……カンディアーニが立派な聖職者であるという意見には、疑義をはさむ余地がある」

「……どういうことですか?」

 クリスはテーブルから立ち上がり、執務用の机に向かう。そこに置いてあった木の箱をとって、レイチェルの目の前に置いた。

 彼は側面のひとつを開け、レイチェルに向けた。

 中には弱々しく光る白い光珠が入っていた。

「霊珠を採掘したり、市場に流通させたりする場合、神珠教団の認可が必要になる」クリスは立ったまま説明した。「理由は色々だけど、その最たるものは『濫獲を防ぐ』ことにある。霊珠は霊素の結晶であり、霊素は世界の根幹を支えるものだ。それを無分別にとり尽くそうとすればどうなるか、誰だって想像できる」

 レイチェルは無言で頷いた。白き森から光珠を採掘するのが年に一度だけに限られていたのも、それが理由だ。とろうと思えば『いくらでも』とれるだろうが、それは『無限に』という意味ではない。

 人が欲をかけば大地に霊は満たされなくなり、森が死に、大地が死に、やがてそこに生きる人をも殺す。レイチェルに司祭の務めを継ぐつもりがなかった頃から、これだけはと叩き込まれた摂理だった。それは肌感覚で身についている禁忌であった。

「だがそんな想像ができない者や、自分さえ良ければいいと考える者は必ずいる。いつでも、どこにでも」

 クリスは手を差し出し、レイチェルを促す。彼女は頷いて、箱の中の光珠に手を伸ばし、触れた。

「この光珠は裏の市場に流れていたうちのひとつで、明らかに教団の祝福を受けていないものだ。どこが原産なのかは秘匿されていたけど……」

「これは白き森の霊珠です」

 レイチェルは静かに抑えた声で言った。触れる前から分かっていたことだった。



【続く】

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