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幕間 12 ラズドア街道付近の森にて


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「ちくしょう! 来るな! 来るんじゃねえぇぇ!」

 魔教徒の男が必死の形相で唾をまき散らす。ケネトはフィリップの後ろで剣を構えながら、その往生際の悪さに眉を顰めた。

 枯れかけの木々に囲まれた湖沼。そのほとりに打ち棄てられた古い家屋。そこを根城とし、魔犬の群れを操って近隣の村や街道を襲わせていたのがこの男だ。住処もやることもしみったれているが、もたらされる被害は馬鹿にできない。だからフィリップ隊が出張ることになったのである。

 手駒である魔犬たちはことごとく死体となった。護衛のなくなった魔教徒に向かい、大楯を構えたフィリップがじりじりと近付いていく。ケネトは後詰めだ。

「大人しく投降したまえ! 命まではとらない!」

 フィリップが言った。魔教徒は小刻みに首をふる。

「う、嘘だ。信じねえ。よしんば信じたとして、猊下がそれを許すはずがない。俺は死ぬ。どっちにしろ死んじまう……!」

「ふむ、そうかもしれんな」フィリップは淡々と頷く。「では言い直そう。私の槌矛に頭を割られて死ぬか、猊下とやらの呪いで死ぬか。どっちかマシだと思う方を選びたまえ」

「く……くく……!」

 魔教徒が目を血走らせて震える。フィリップは魔犬の血肉にまみれた鎚矛を掲げた。威嚇だ。フィリップに奴を殺すつもりはない。

 恐慌状態の魔教徒にそれが分かるはずもなく、両手を前に突き出して、最後の抵抗をこころみた。

「喰らいやがれ! 《デッドドッグ・リ……

「無駄だよ、負け犬野郎」

 魔教徒の後ろ、廃屋の屋根にのぼっていたミンミがそう言うと、渦巻いていた魔の霊力が彼女のもとへ吸いこまれていった。魔教徒は目をしばたたかせた。

 フィリップが突進する。大楯を魔教徒に激突させ、そのまま廃屋の壁に押しつけた。

「がっ……はっ……」

 魔教徒は白目を剥き、がくりと項垂れる。フィリップが盾をひくと、魔教徒は前のめりに倒れ、ぬかるんだ土に突っ伏した。

「うまくいった?」屋根の上、ミンミの隣からエメリが顔を出す。

「ああ。確実に失神している」フィリップは魔教徒を仰向けにさせ、言った。「だが《ベルフェゴルの魔宮》がかけた呪いは、本人の意識に関係なく発動する。尋問する前に死なれては困るからな。ミンミ、解呪を頼む」

「うい」

「じゃ、あたしが先に下りる」

 エメリは身軽な動きで飛び降りると、屋根に向けて両手をひろげた。ミンミは躊躇いなく跳んだ。エメリは小柄な少女を抱き留め、くるくると回った。

「ミンミったら、ほんと軽いね」三回転したところで、エメリは笑いながらミンミを下ろす。「お肉とか食べてる? だめだよ、育ち盛りなんだから」

「くるくる、面白い」

 少女たちはそれぞれに手を掲げ、ぱちんと合わせ鳴らした。最近、この二人は仲が良い。屋根にのぼる時もエメリが手伝ったのだろう。

 ミンミはフィリップと共に屈みこんで、魔教徒に何事か術をかけ始めた。

 エメリはしばしそれを後ろから覗き込んでいたが、やがてケネトの方に歩いてきた。

「お前、この頃あいつにべったりだな」

「なに? 嫉妬してんの? うわー、なっさけない」

「馬鹿、そんなんじゃないよ」ケネトは顔をしかめる。「好きにすりゃいいだろ」

「拗ねるな、拗ねるな。あたし、昔っから妹が欲しかったからさ。なんか可愛がっちゃうんだよねー」

 ケネトは肩を竦める。エメリはにやにやと笑いながら、ケネトを通り過ぎていった。

 嫉妬? ミンミに対して抱いているのはそんな感情ではない。単純に苦手なのだ。

 初対面でもずけずけと物を言う無遠慮な性格。それはいい。エメリで慣れている。問題なのは、彼女が魔霊術師であるという点だった。

 冒険者になってから、様々な個性をもつ霊術師と出会ってきた。尊敬できる者、できない者、色々だ。しかしこと魔霊術師にかぎって言えば、すべてが敵であり、後者であった。

 彼らは魔物を従え、人に仇なすために心血をそそぐ。迫害されてきた歴史や現状を思えば、彼等にとって自然な行為なのだろう。だからとて許していい理由にはならない。彼らによって傷つけられた人々を見るたび、その想いは募った。

 ミンミの方を見やる。他者の紡いだ魔霊を吸収し、術行使を妨げることを得意とする少女。いかなる経緯で魔霊術を体得し、《ユニコーン騎士団》に所属しているのか、ケネトは知らない。だが、悪い娘でないことは、短い付き合いの中で分かったつもりだ。だからこそ、落ち着かない。

(要するに、これが迫害ってやつだよな……)

 ケネトは頭を掻いた。

 分かっている。ミンミが厭なのではない。それだけの理由で彼女を苦手だと思おうとする自分が厭なのだ。嫉妬しているのはミンミではなく、彼女と屈託なく付き合えているエメリの方だ。

(分かってるんだったら、改めろって話か)

 そう思う。結局のところ、人見知りしているというだけのことだ。エメリを見習い、こちらから距離を詰めてみるべきかもしれない。

 彼は幼馴染の後ろ姿に目を向けた。彼女は魔犬の死骸を一ヶ所に集めているようだ。弔ってやるためだろう。

 手伝おうかと思って、一歩を踏み出す。

 そのとき、エメリのすぐ後ろで、音もなく魔犬が立ち上がった。

 いや、魔犬ではない。胴体に矢が二本突き立ち、顔の四分の一はケネトの剣で斬り落とした。死骸だ。魔犬の死骸が、ひとりでに動いている。

(ゾンビ化だと?)

 無意識に、魔教徒を振り返る。奴が気絶する間際に放とうとした術だ。吸い切れていなかったのか。ケネトのそこそこに思慮深い脳は、反射的な行動よりも原因の追究を優先し、そう結論付けた。

 のちに彼は、死にたくなるほどにそれを後悔することになる。

 ゾンビ犬が顎をひらく。エメリは気付いていない。胸の中心から穴が拡がるように、嫌な感覚が全身に満ちた。ここに至って、彼はようやく走り出し、叫んだ。

「エメリッ!」

 幼馴染が振り返る。幼い頃から見慣れたその瞳がケネトを映した直後、ゾンビ犬が飛びかかった。




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