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幕間 10 ある富豪の館にて


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 ヘクター・ハドルストンはすらりと伸びた両足を機敏に動かし、赤絨毯の廊下を歩いていた。緑衣の老人の歩みは風を切るほどに速かった。

 歩きながら、彼は羊皮紙に目を滑らせる。貸し付けている鉱山の収支報告書である。地霊銀の採掘量が減少しているのが気にかかるが、おおむね満足のいく数字だった。来期はさらに人件費を抑えるよう、再び鞭を打つ必要はありそうだ。

 進む先の壁際で、壮年の執事が頭を下げた姿勢で待っていた。ハドルストンが羊皮紙を差し出すと、執事は流れるような動作でそれを受け取り、斜め後ろに追随した。

「旦那様。ご報告したいことが」

「うん。手短にな」ハドルストンは振り向かないまま答える。

「グラスフェルト様がお亡くなりになられたそうです。馬車で街道を移動中、小鬼の群れに襲われたようで」

「そうか。可哀そうにな」老人の歩みは変わらない。「ご子息に悔やみの文を出すとしよう」

「すでに用意できております」

「流石だなオーリク。いつもながら、まるで分かっていたかのような手早さではないか」

「恐縮です」

 ハドルストンは鼻で笑う。我ながら白々しい。こんなやり取りを交わすのも何度目だ?

「ご子息はまだ若い。あの広大で肥沃な土地はさぞ手に余るだろう。この老いぼれが助けて差し上げねばな。他にはあるか?」

「はい。例の女についての調査結果が届いております」

 執事が筒状に巻いた一枚の紙を差し出す。ハドルストンは振り返ることなくそれを受け取り、さっと目を通した。

 それはメイウッド商会の率いる《ユニコーン騎士団》に新しく入団したという冒険者についての調査だった。ハドルストンは商売敵の情報はできるかぎり収集することにしている。特に《ユニコーン騎士団》は、ハドルストンにある種の損失を与え続けている存在であり、重要監視対象だ。

 レイチェル・マクミフォート。二十代半ばほどの娘。出身地は不明。光珠派の修道女らしき格好をしているが、教団に所属している様子はなし。根無し草の冒険者と思われる。一年ほど前からリディアを拠点に活動しているとのこと。他の冒険者の証言によると、腕の良いヒーラーだが、危機的状況に陥ると凄まじい戦闘力を発揮するという。その際には髪色が白く変じ、まるで狼のごとく……。

「狼か」

 報告を読み終え、ハドルストンは呟く。

 普通ならば、雇われの冒険者ひとりの調査にここまで熱を入れることもない。そういった情報がハドルストンまで上がってくること自体が稀だ。この娘の名前を目にしたのも偶然だった。そのときに抱いた危惧は、どうやら当たっていたようだ。

 おそらくこの娘は白き森の神官の一族。十年前の事件で死んだものと考えていたし、法的にもそう処理させていたはずだった。

 もし本当に生きているのであれば、ハドルストンにとっては利害関係者だ。それがメイウッドの小僧の手中にある。

 多少、厄介な状況……いや、これから厄介になると予想される状況、といえる。それはつまり、先手を打てるということだ。

「交信の準備はできておるな?」

「はい、いつでも」

 ハドルストンは頷く。目指す部屋が近付くと、執事が小走りに追い越し、その扉を開けた。

 薄暗い部屋である。北東側の壁に一ヶ所、メダル程度の大きさの窓があるくらいで、採光性については極めて乏しい。中央の台座に白く拍動する光珠が設置されていなければ、ほとんど何も見えぬだろう。見えたところで、この部屋にはその光珠以外に何もないのだが。

 背後で執事が扉を閉める。ハドルストンは光珠の前の椅子に座った。

「聞こえますかな、司教殿?」

『ん、んん、ん! お耳汚し失礼。聞こえておりますぞ、ハドルストン卿』

 裏返った咳から始まる男の声が、光珠のなかから響いた。

 それは光珠に封じ込められた魂の声……などでは当然ない。はるか何十里も隔てた地から、光に乗って運ばれてきた声である。

 光珠派の技術の粋を凝らして開発されたこの交信光珠は、遠隔間の会話を時間差なく交わすことを可能とする。普及すれば世の中を大きく変えるほどの技術だろう。これひとつで城を買えるほどのコストをどうにかできればの話だが。

「手短にいきましょう。ここ数ヶ月、そちらから採掘される光珠について、質、量ともに低下しているとの報告があります。弁明はおありか?」

『んむ、むう……それは……』男はもごもごと唸る。『その、この地の霊珠はただ掘れば良いというものではないのです。然るべき儀式によって森の霊脈を健全に保たなければ、質も量も担保できません。ですから、その……』

「それは前にもお聞きした」

 男はまた唸った。ハドルストンは口の端に嘲笑を浮かべる。この男は未だに良心の呵責に喘いでいるらしい。霊珠の違法採掘など及びもつかない大罪に手を染めておきながら、何を今さら苦しむというのだろう。

 短い沈黙のあいだに、ハドルストンの頭脳はいくつもの策謀を絡め合わせた。この男の利用価値。レイチェルという女。目障りなメイウッドの小僧。そして……《ベルフェゴルの魔宮》。

 短い思案のすえ、彼はとるべき手を決めた。

「まあ、その件については良いでしょう。実は解決の糸口になりそうな情報を入手しました」

『そ、それは……どういうことですか?』

「レイチェル・マクミフォート。どうやら生きているらしい」

 男の返事はない。ハドルストンはその沈黙から、呻くこともできない衝撃を受けたことを感じ取った。

「司教殿が執心なされていたリアという女の娘。彼女ならば、然るべき儀式とやらの手順も知っているのではありませんかな。美しい女性に育ったそうですぞ」

 男が生唾を飲み込む気配がした。




→ 【豚が狼を喰らうのか?】 #1

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