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ふたつの世界



はじめに

この投稿へのスキなどはしなくても構いませんので、どうか、「おわりに」だけでも読んでください。

本文

今日は一日積算の日、外は雨が降ったり止んだりしている。
今朝、ちいさな友人に防災頭巾の作り方を説明していた。友人の名は、Sarah──14歳でガザ地区にいる。いつも家族と生き延びるために、必死だ。6月下旬から昼夜問わずの空爆と砲撃による猛攻撃のなかで、「じぶんがどう死ぬのかわからない、撃たれてなのか、飢えでなのか」とすら言いながらも、気丈にガザからの脱出を願い、生きている。空腹を凌ぐために、雑草を食べるしかない日も続いた。
七夕のときには、日本の七夕祭りについて話した。すると、「願いは本当に叶うの?」と聞かれ、僕は胸が締め付けられた。
飛べなくなった白鳥のいた、富山県、田尻池(注釈1)の写真を見せながら、願うことを忘れさえいなければ、そして、それを支えてくれるひとたちが一生懸命に支えていれば、必ず叶うよ、と答えた。

How to craft fabric helmet

Materials

Quilted fabric (26cm x 88cm) - 2 pieces

Quilt batting (26cm x 44cm) - 1 piece

2cm wide elastic band (12cm) - 1 piece

Sewing thread and needle

Instructions

Attach the batting:

Place the quilt batting in the center of one piece of quilted fabric and lightly sew it in place.

Combine the fabrics:

Place the two pieces of quilted fabric together with the batting in between, right sides facing each other. Sew around the edges, leaving a 30cm opening on one long side for turning.

Sew the corners:

Open the turning gap at a right angle and sew the corners together, rounding them off. Trim the seam allowances.

Turn inside out:

Turn the fabric right side out through the opening and shape it.

Attach the elastic:

Sew the elastic band in place at the appropriate position.

Your disaster prevention hood is now ready!

防災頭巾の作り方については注釈2参照

彼らにとっては不可能に近いと言われながらも、避難する際は出来る限りの布で頭を覆って、と繰り返した。
彼らの方がよほどそうしたことについては詳しいだろうに。

数ヶ月前、妻が娘の幼児教室で防災頭巾を作るように言われた時、彼女がミシンを買いたいと言い、僕は、はじめてミシンチャレンジし、妻の分と娘の分を作ってあげた。
妻に防災頭巾のことは細かくは説明しなかった。
万国共通のアイテムだと思い込んでいた。
それで、彼女は、「すごい」と喜んでいたと思う。
単純に僕を褒めてくれたのだと思っていた。
普段は椅子の座面に敷き、クッションにするのも、僕が子どもの頃から変わらないようだ。

その昔は防空頭巾と言われていたらしい──戦時中、空襲のとき、はんぺんを、火事の火の粉が飛んできても大丈夫なように水に濡らし、それを肩まで覆うようにして頭から被り、防空壕まで避難することが始まりだったようだ。

地震列島の日本では、戦後から今に至るまで、防災頭巾として知られている。

だから、万国共通で誰でも一度は被って園庭や校庭に避難する訓練をするものだと思い込んでいた。

フィリピンにいた頃は防災頭巾はなかったが、台風がヤバいせいか防災訓練みたいなのはあった。

友人らに説明し終えてから、僕と同世代くらいの現地の見知らぬ人のストーリーズに、僕は、ヘルメットを被った方が良いのに、と思い、呑気にヘルメットと空調服を勧めた。
Pressと書いてある防弾チョッキは着ているのに、何故、ヘルメットを着用しないのか不思議だったからだ。
防弾チョッキの上から空調服を着て、ヘルメットの上からフードを被れば、涼しいから、と。
ありがとう、とだけ返ってきた。

その彼が、救護のボランティア活動をしている人たちのことを取材し、真っ先にそうした人たちがターゲットにされることなどをポストしていた。
救護隊員の人たちも確かにヘルメットを着用していない。

その少し前にも、僕にとっては先生のような方に、ヘルメットを被って建前をしてカケヤを脇にした写真を送り、このヘルメットを友人に届けてあげたいです、だとか言ったことがある。純粋に、けれど本当にそう思っていたし、今すぐ色んな道具と水とプロテイン・バーを持ってヘルメットも友人の家族分持って、どこでもドアを使って、届けて、彼らがまだ見たことのない、誰も彼らを傷付けない土地に連れ出してあげたいと思っている。

けれど、9ヶ月救護隊員として負傷しながらもボランティア活動をしているひとたちを見て、それでようやく気づいた──ヘルメットを着用していたら、的にしてくれと言ってるようなものだ、と。大体、空から昼夜問わずのミサイルと砲撃なんてヘルメット被ったところでどうしようもないかもしれない、あるいは、単純に、ないのか。

ヘルメットどころか布やら綿だって紛争地域の物資不足のさなかに見つけるのだってかなり難しいだろう。
人口200万人のガザ、一ヶ月に人道支援物資を届けるためには少なくとも15,000台のトラックが入らないといけないのに、この9ヶ月で入れたトラックは数千台。
そんな状況で空調服なんてましてやあるはずもない。

ワークマンだとヘルメットなんて1,000-3,000円で買えるし空調服だって3,000円台からある。

僕のヘルメットは車の中だし、防災頭巾も持っていない──苦肉の策で生まれた防災頭巾の歴史、それすら作ることが難しい同じ空の下のひとたち、無邪気に「すごい」と妻が、どうしてそう言ったのか、僕が如何に平和な国に住んでいるのか、激しい空爆と砲撃の中、生き延びた彼らの、ただそこに在る命──ただそこにいるだけで認められ、愛されねばならない生──がいかに奇跡で尊いものか、思い知らされた朝。




おわりに

この投稿を読んで頂いた方々へのお願い

停戦合意をファシストが毎回妨害し、もはや民族浄化作戦でしかないのは誰から見ても明白です。撤退したふりをして一般市民が戻ってきたところを狙って再攻撃したり、朝の礼拝を狙って攻撃したり、国連関連機関が運営する学校を攻撃したり──子どもたちは当然ながらそのような中で疲弊しきってます。

ささやかな支援が彼らの希望と命を繋ぎます。
よろしくお願いします。

僕を友と呼んでくれるハムザ&サラさん。サミール一家のひととなりをサラたちのお父様サミールさんのご友人、ジャーナリスト藤原亮司さん(『ガザの空の下』著者)が紹介されています。
あたたかな友情が伝わってきます。


ガザ北部写真はハムザ、サラたちが撮影した空爆とドローン
写真はハムザ、サラたちが撮影した空爆とドローン①
ガザ北部写真はハムザ、サラたちが撮影した空爆とドローン
写真はハムザ、サラたちが撮影した空爆とドローン②

写真の翌日の光景

友人の支援先


Free Gaza, Free Palestine
"I am Hamza from northern Gaza.
I hate to do this, but I have no other choice. We were forced to eat animal feed in the northern Gaza Strip. We have been through the worst days of our lives.
Please help me and my family."
「私はガザ北部出身のハムです。
こんなことをするのは嫌ですが、他に選択肢はありません。ガザ地区北部では、私たちは動物の飼料を食べることを強制されました。私たちは人生最悪の日々を過ごしてきました。私と私の家族を助けてください。」
彼らが住んでいた家はイスラエル軍によって破壊されました。危険を避けるため、避難所を転々としている。彼の弟は攻撃により負傷しました。
彼らが生き残るため、クラウドファンディングに少しでもご協力いただければ幸いです。
クラファンサイト QRコード
ロロ
©Ryoll F
真ん中の妹を抱いた黄色いシャツが10年前のハムザ・スベータ。現在は22歳の大学3年生だったが、大学もイスラエル軍によって破壊された。右端は父親のサミール・スベータ(2014年8月撮影)
こちらのポスターのQRコードからも飛べます。
ポスターおよび写真は藤原亮司さんによるもの。

海外からの方や視覚障害をお持ちの方用


注釈

1.「私は白鳥」ドキュメンタリー映画

監督 槇谷茂
ナレーション 天海祐希
解説 
富山県にある白鳥の越冬地を舞台に、怪我をして飛べなくなってしまい群れに置いて行かれた白鳥と、それを見守る男性を映したドキュメンタリー。自然と人間の関わり方や、人間が自然に介入することについて、白鳥とそれを見守る男性に迫ることで改めて問い直す。

ストーリー 
秋になるとシベリアから越冬のため白鳥が飛来する富山県。
しかし、羽に怪我を負い飛べなくなってしまった白鳥がいた。
白鳥の記録を撮り続けていた澤井氏は、それに気づき、餌を与え世話をし始める。
季節は移り、手負いの野生の白鳥には過酷な夏がやってくる。

2.防災頭巾の作り方


参考文献

『ガザの空の下 それでも明日は来るし人は生きる』
藤原亮司 著 dZERO出版

僕とサラたちを繋げてくれた一冊の本。
ガザで生きるごく普通の方々の生活が、ユーモアとそして彼らの直面する現実とともに描かれています。
また、付録には、命がけで撮影されたであろう貴重な写真と映像がたくさんあり、胸を打たれました。
地図をひろげてぜひさまざまな方々に読んでみて欲しいです。


いただいたサポート費用は散文を書く活動費用(本の購入)やビール代にさせていただきます。