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とりとめのないこと2024/01/17

吐く息は白く、街灯が点々とする夜の中へと消えていく。
夜を見上げると、灯りと灯りのあいだから、星々が小さくところどころに輝いている──マドリードの北の方へ出張でやってきた。バルセロナよりも寒々とし、時折降る雨や雪で出来た水たまりと雪の塊は、夜の光に照らされて、アスファルトの上で滑らかな冷たさを放っていた。

ヘッドホンで聴く親しみ深いはずの遠い島国のニュースはどこかよそよそしくまるで見知らぬ外国のニュースのように思えた。

住んでいなければ、結局、誰かの不条理による現実は、物語の断片のようになってしまうのだろうか。

街の灯りは、それよりいっそう、よそよそしく、寒さをくっきりとさせている。

僕は、ホテルまでの帰路を滑らぬように注意深く歩いた。

とりとめのない日常は、ある日、突然、社会や自然が振るう猛威の不条理によって、理不尽に消え去る。現に、僕が1994年に生まれてから、阪神大震災、中越地震、東日本大震災、そして能登半島地震と、少なくとも四度、日本では大きな地震があり、また、少し目を遠く見据えて見れば、戦争や紛争は相変わらず絶えない。

時事にしろ天災にしろ、個であれ集団であれ、不条理にまみれている。
天災の不条理は自然の摂理であり、人間もその中のひとつにすぎないと人間に知らしめてくる。
その都度、その都度、助け合ったり、工夫したりして乗りこえられるとしたら、それは、人間の文明の叡智だろう──田舎ではどうだろうか。
田舎であればあるほど、高齢化と過疎は進んでいるのは、僕が言うまでもない。だから地元で助け合うにも限界があり、国からの迅速な支援が必要だが。

記憶の奥底のキャンプ場は珠洲市にあった。そこで僕は兄たちと貝を取ったり、父が中古車販売店から格安で譲ってもらった車のタイヤチューブを三つ浮き輪がわりにして海を楽しんだりした。

父が素潜りでサザエ、トコブシやアワビを取ってくるのを楽しみに待ちながら、砂浜で遊んだ。
アワビではなく、サザエだと皆ガッカリとし、「なんだ、サザエだけ?」と言うと、父は照れくさそうに笑いながらウエットスーツの錘をほどき、母と僕らで貝を焼く。
志賀原発があることにも、そこが活断層だとも考えたこともなかった。

それから何年も経ち、学生の頃の北陸出身の亡くなった友人の墓参りをしたり、僕は 仕事で石川、富山県へと出張で何度も訪れ、そこで知人や友人ができ、昨年もお世話になったり。

昨年、訪れたとき、冬の人気のない静かな漁村や農村は、高齢者の方々がほとんどで、寒々としていた。雪の降る中で、緑の公衆電話ボックスを見つけ、物思いに耽り写真をとってみたり。

また、ゴールデン・ウィークには、家族を連れて金沢の泉鏡花記念館を訪れたり、夏には単身赴任先に家族が来てくれて、花火を見たり。

──これらは、とりとめのない、誰にでもある日常の記憶だろう。

寒さのなかで、いつ、どうなるのかわからぬ不安を抱えて、じっと誰かの助けを待つしかないひとたちのことを考えると、キャンプ場の想い出が甦る。

安堵に満ちたふつうの暮らしをするひとたちが片手を差し出して、その不安に満ちた夜の闇に灯りを灯すことで、不安を耐えるひとびとに何らかのちいさな希望を持ってもらえるかもしれない。

──ここまで、書いていて、僕はじぶんのエゴイズムに満ちた尊大な態度に呆れ、書くことを中断した。

滑らぬように用心深く歩いたのは、前日に滑って転んだからであり、もっぱらの心配事は年末年始に来ていた仕事のメールの処理とその納期や家族のことだ。

結局、じぶん以外のことは、物語の断片として扱い、想像力を使って手繰り寄せる優しさ、つまり寄り添うことの難しさにため息をつき、ただ、ただ、知人らが無事であったことだけが救いだと思えた。

反戦を訴えながらも、日常に忙殺されていると、片手を差し出すことすら忘れて、下手をすれば物語化してしまう。

あるいは、大声で、虚無のエデンに向かって、僕だって苦しいんだ、と叫びながら、ランチに三千円を使い、iPhoneを開いて、SNSで美しいものを投稿しようとする。

現代社会は、おそらく、僕のような〈おとなこども〉が社会構造のピラミッドの上から中間くらいまでを埋めていて、そんな〈おとなこども〉同士で利権にまつわる権力や覇権争いに忙しい。

「それじゃ、ダメなんだ、とわかっているだけ、あいつらよりはマシだ」、と他人を遠くから見て、どこかでじぶんを肯定する。

かつて、日本でも学生運動があった──いきなり、どうして学生運動の話になるのか、というと、能登半島地震での政府の対応があまりにも他人事に見えてならないからだ──けれども、それは政治へとつながることなく、ひとつの社会風潮になってしまい、当時の彼らにとっての青春の一頁は、次の世代へ引き継がれることなく遠い水平線に浮かぶヨットのように、ちいさくぼやけて、やがてだれも気に留めなくなってしまった。

政治家はどこにもおらず、いるのは〈ピーター・パン症候群〉的な政治屋が何十年と政権を握りしめている。

市民の疲弊は、彼らにとって、やはり、物語の断片でしかない。
経験と教養を用いて想像力を働かせて、支援する〈おとな〉が少ない、あるいは、不在の国なのかもしれない。

厳寒のなか、見通しのたたない非現実を生きるひとびとへの対応がそれを如実に表しているように思える。

日本で学生運動が政治へとつながらなかったのは、この国がいかに民主制から程遠い権威主義的な封建制度の社会構造をいまだ引きずっているか問えるかもしれない。

けれど、他者を裁くとき、裁く側も同時に裁かれている。
僕はまだ改悛者などではなく、ただのエゴイストでしかないかもしれない。

ふと、僕はどこの地点に今いるのだろうか、とふたたび東の夜空を見上げた。

── エデンから人としての人生へ転落したのか、それとも、人生の転落した先がエデンなのか。カミュを引用すれば、エデンは「自分と人生の間になにも介在していない」空間、幻想、絵空事の世界かもしれない。
死んでしまえば、塵になり、形而上下的なことは一切関係ない。それら死者のあとに生きるひとたちのあとづけの言い訳にすらなる。
人生にしがみつかざるを得ない人間の業は、モノが便利になればなるほど、深まり、また、すべては生きていてこそである。

よそからやって来て、この輪をひとつひとつ踏み越えていくにつれて、人生が、従ってその罪がより分厚く、より不透明になる

『転落・追放と王国』カミュ著

僕は傍観者ではいたくないのに──裁きに慄き、赦しを忘れ、誰かのために不条理の中で神に平穏を祈るのもまた人間であろう。

無垢な心からの願いが踏みつけられ嘲笑される現代において、祈りは二重性の忘却か信仰からか?

それでも、片手でも差し伸べていたいのだ。
博愛と平和と、自然への畏怖に。



どうか、少しでも、寒さが和らぎ、復旧がすすみますように。
祈る日々。


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