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とりとめのないこと2021/11/06

 資本主義と闘った男と祖父のラジオ体操


 ある日の夕方、作業場の隣にある元祖中二病でもある祖父の掘立て小屋のような古い倉庫、自称「社長室」、に呼ばれた。
部屋の中は適度な室温が適当に保たれ、可動式の本棚が並ぶわけもなく、ただ材がいくつか鉋掛けの途中のまま、並べられている。
彼は、大抵、この倉庫に篭って本を読むか、隣の作業場で無意味にラジオ体操をして過ごしている。

 祖父は大学を卒業した数年後、曽祖父から小さな建築会社を受け継いだ。
弊社の現場が自宅近くの場合は自転車でやって来て、勝手に足場から屋根に登り、彼の息子である僕の父親や僕の兄らに怒られる時もある。
僕はそんな時、笑いながら、やや心配しながらも、彼らにあまり祖父を邪険にしないよう言う。楽観的で、物知り博士な祖父と僕は何故か波長が合った。
そして、僕の中二病も恐らく祖父から引き継いだものであろう。

 そんな祖父がその日に限って、丸一日、まるでナカタさんが言葉を発せられなくなった時のように寡黙だった。
だから、僕は呼ばれた時、彼の発する言葉を不安と共に待った。

「サルトル仮称は最近ずっと経済の本を読んでいるらしいね」

「経済というより政治寄りの経済哲学のさわりだけしかまだ読めてない、あとユヴァル・ノア・ハラリとか、じーちゃん知っとる?
サピエンスとかの人。
最近おれ、そのひとの21 Lessonsとかいうやつ読んどる。
マルキスト系ばっか読んどったけど、そこから逆サイドの意見知りたくて、ハラリのその本は、民主主義こそ希望がまだ残されてると言いつつAIだとか、ビッグデータのマイニングに警鈴鳴らしてる感じなんかな」

僕は「社長室」に来る前にビールを飲んでいたせいもあって、だいぶ饒舌だった。
「ユヴァル・ノア・ハラリとか」のくだりで、薄っぺらい僕の知識を見透かしたかのように祖父は少し怪訝そうに眉をぴくつかせた。

「今の若い子は知らないかもだけどね、ベトナム反戦とか成田空港の運動で闘ったひとが昔いたの、経済学者で」

「闘った」と言う時、かつて安田講堂で闘った老戦士の拳にわずかながら力が入るのを僕は見逃さなかった。
自称社長室が1969年のモノクロームに包まれた。

「闘った…なるほどです。そのひとも学生運動かなんかの全共闘側の指導者だったのです?あるいは、、、」

「そうじゃなくて…宇沢先生は、資本主義と闘った…」

鈍器みたいな本を大事そうに撫でて、老戦士は窓の外の夕焼け雲の方に視線を向けた。

 倉庫の外から空高く旋回するトンビたちの声がわずかに聞こえる。
学生運動はもはや老戦士にとっては淡い青春の1ページでしかなく、今は2021年を孫たちやひ孫たちとのらりくらりとやり過ごす日々。
もう誰も体制にバリケードを張り巡らせて闘ったり、内ゲバで揉めたりしない。
彼の横顔はどこか寂しさと穏やかさを語るように見えた。

「全ては社会風潮に変わって風化していく、か…。まあ、気が向いたら、読んでみなさい。ちょっとトレーニングしてくる」
と言うと、祖父は彼の読みかけの小説と一緒に僕に本を手渡しながら、倉庫を後にした。

 隣の作業場からは大音量でラジオ体操の音楽が流れてくる。
僕は渡された本、かつて資本主義と闘った男の伝記、を抱え、老戦士の眺めていた11月の夕暮れをじっと見つめた。

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