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とるにたらないこと2023/06/08

「寄り添う、共感」に懐疑的になる。
不幸マウントなんて言葉があるのを知った。何だかな。人の気持ちに寄り添うだとか表面的に心地良い響きを重視すると、身近で起きている間違いを見過ごしてしまう気がする。
傍観無関心モラトリアムの延長線上にあることなのだろうか。

文章というのはそのひとそのものであり、何について問題意識があるのか如実にわかるものでもある。

都合良く、聞こえの良い部分やインパクトに長けた部分だけ、上澄みを掬い流用し、「ひとを笑顔にしたい」だなんてのがもてはやされるおかしな風潮に嫌気がさしてしまう。

じぶんの生きている社会で、面倒なことから目そらし、どうやって身近なひとの笑顔を考えられるのか。

さて、僕にとって、入管法やロシアのウクライナ侵攻はとても身近なことである。

この二年、戦争のことについてたびたび触れてきた。移民難民の方々は戦争や紛争、社会からの弾圧抑圧によって、生まれ育った街を離れざるをえなくなり、新たな土地で希望を探して、生きる土地を彷徨う方々が多い。

そうした人々は、ニュースの中だけでなく、いまの日本を支えてくれてもいる。
たとえば、建設業界。

建設業界では海外実習生の方々や移民難民の方々が多く従事されている。
彼らなくして、いまの建設業界は成り立たないのではないだろうか。2020年の建設業全体の外国人労働者数のうち、約70%を技能実習生が占めている。詳しくは厚生省の統計参照

背景は違えども、彼らの生活基盤をしっかりと保証し、二世、三世と根付いて「日本人」として、建築の技術、ひいては歴史文化が受け継がれていくことを僕は夢見る。

建設業は人手不足だけでなく、「職人不足」であることを忘れてはならない。
技術を継承し、職人として育てる土壌がいまどうであるか?

後継者を残すにはあまりにも未来が見えないのが建設業界ではないだろうか。

そのような中、7割前後を占める海外からの応援者たちに対して、やはり「根付いて」ほしいと想いを馳せる。

「異次元少子化対策」と称された与党の対策と移民難民受け入れを厳しくする「入管法改正案」は矛盾していないだろうか?
超少子高齢化の日本では、根付いてもらうことを前提とし、移民難民受け入れを寛容的にすることによるメリットも大きいと思う。

世相をダイレクトに受ける建設業界。
労働賃金含め、働き方改革が一部のスーパー・ゼネコンだけのためではなく、建設業に従事するあらゆる労働者のためになってほしい。

こうした経緯からも戦争紛争は決して他人事ではない。
《不幸マウント》という言葉に少し軽薄さとそれを発するひとたちの自己中心性の高さや社会との繋がりの希薄さを感じずにいられなかった。

社会の問題は身近なことなのに、「〇〇の立場には立てない」、というのは、面倒なことに目をつぶっていることかもしれない。
身近なひとたちを大事にする先に社会がある。

縦横無尽な視座視点を鍛えながら言語化していきたい。

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