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夜を流れる船のように── 2022年を振り返って

The boat’s slow progress through the night was like the passage of a coherent thought through the subconscious.

意訳
夜を船がゆっくりと──ひとまとまりの思考が無意識の中を通過していくように──流れていた。
Watermark: An Essay on Venice (Penguin Modern Classics)By Joseph Brodsky

ひとまとまりの思考──さまざまな時代と文化背景の異なる言葉たちに出逢い、僕の心に浮かんでは霧の向こうへ消えて、また不意に現れて、を繰り返していた。

今年の春先に起こった大きな時事問題は僕ら家族を意図せぬ悩みや苦しみ、新たなひとたちとの出逢いと親しかったひとたちとの分断へと向かわせもした。

そうした中で、僕も妻も大きく価値観が変わった。

ひとは言葉によって思考し、思考によってのみならず、その思考錯誤から培った経験、他者との関係性、身を置いた風景たちによって、言葉が定着もしていく。

そうやって全体としてのひととなりというのが、緩やかに円弧の軌跡を描くようにして変化しながら出来ていくのだろう。

今年、僕に深い印象を与えたものをピックアップしてみたい。

①ジョルジュ・バタイユ
②ヴァージニア・ウルフ
③アリ・スミス
④安部公房
⑤アニー・エルノー、オルハン・パムク
⑥ブルガーコフとヨシフ・ブロツキー
⑦マルグリット・ユルスナール
⑧須賀敦子
⑨ジャン・ポール・サルトル
⑩アントニオ・タブッキ
※敬称略

今年初めて知った方はアリ・スミスさん、アニー・エルノーさん、そして、ヨシフ・ブロツキーさん。

特に、ブロツキーさんとの出逢いのきっかけとなった須賀敦子さんの全集ローラー作戦は僕の今年と来年のささやかだけれど素敵な楽しみともなっている。

須賀敦子さんはフランス語、英語、イタリア語と勉強され現地で生活をし、たくさんのすてきな翻訳やエッセイを残してくれた。

9月から毎日続けている一日一篇ずつ彼女の全集を読み続けてきて、あと10篇で第三巻が終わる。
今年中にまとめて読んでしまおうかとも思った。
けれども、それをするのは味気ない。
だから、やっぱり、一日一回、須賀さんとお話しをすることにした。

僕に寄り添ってくれたり遠くからいなしてくれたりする大切な友人のような、僕にとって須賀敦子さんはそんな存在になっていった。

彼女がイタリア語に翻訳した安部公房さんの本たち。

安部公房さんを読んだのはだいぶ前だけれど、ここへいくつか僕は持ってきて再読し続けたりもした。

彼らに共通するのは、社会に開き続けながら深く個から集団までの共通する普遍的な問題やテーマを追及している点と、彼らの生きている時間そのものがまるでいまの現代とは比較にならないほどにゆっくりと進む船のように思える点かもしれない。
そして、現代の特徴のような消耗的何かではない大事なものを持ち、プリズムのように読む角度で変わっていくところかもしれない。

良い本に巡り会えて、それが読めるというのはとても幸せなことだろう。

時間というのは、時間だけは、誰にでも公平であると言えよう。
その時間の流れをどう感じてゆくかはひとそれぞれだけれど、僕は一瞬一瞬を大事に見つめていたい。

今日の須賀敦子全集、第三巻の一篇
『となり町の山車のように』
を読んでいて、彼女の時間の感じ方に僕はとても感動した。

《「時間」が駅で待っていて、夜行列車はそれを集めてひとつにつなげるために、駅から駅へ旅をつづけている》
となり町の山車のように
須賀敦子全集 第三巻
河出文庫

色々異質な要素を、となり町の山車のようにそのなかに招きいれて物語を人間化しなければ良い物語にならないという須賀さん。

明日もまた、彼女の話をひとつ、大事に聞こうと思う。

こうした読書を世界中の子どもたちが経験できることを願ってやまない。

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