見出し画像

とりとめのないこと2022/09/11

最近、よく僕のレッスン中の曲を妻に弾いてみてもらう。
やって見せてくれるのはとても助かる。
当たり前のことだけど、これって何についても言える。

当たり前のような気付きを再実感する。

仕事では大工2年目18歳の見習い君がいる。彼はいつも僕の様子を観察してもいる。
僕はやってみせる側。
最近では、質問もしてきてくれたりする。
今日も、あることで彼から質問された。
答えられないことはほとんどないけれど、「俺のやり方では、」という前置き付きで、絶対これがただしい、と言い切れるか?
と、常に自問自答。
18歳はまだまだ無垢だなぁ、と痛切に感じる。
彼は邪心なく「見ている」時が多い。
彼の最大の長所かも知れない。
親父が僕に教えてくれるとき、僕は「俺だったら、」と言いはじめてしまう。
親子だから、というのももちろんあるかも知れないけれど。

2歳かそこらから高校、大学と音楽一筋で生きているピアノ歴22年の妻。
「こういう表現をしたいから、こうしている」
と揺るぎないプライドと自信を持って弾いてみせてくれる。

僕は大工歴12年。
プロ意識もプライドもある。
それでも、まだまだひよっこといえばひよっこだな、とぼんやりと思う。

教える側はやってみせること。
教わる側はじっと見聞きすること。

本質的なことは見ることを学ぶことだ
考えずに見ることを
見ているときに見ることを学ぶことだ

見ているときに考えたり
考えているときに見たりしないで
『新編 不穏の書、断章 (平凡社ライブラリー780)』
フェルナン・ペソア著

いただいたサポート費用は散文を書く活動費用(本の購入)やビール代にさせていただきます。