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良い文章ってなんだろう
僕が子どもの頃、とてつもない衝撃を受けた大文豪、志賀直哉。
彼の作品、『清兵衛と瓢箪』を子どもながらに読んで、「このひとは凄いひとだ」と感じ、家にあった全集を読んだ。
身近な物事への洞察力を淡々と模写するかのように情景描写に織り交ぜている。
同じような理由でサン=テグジュペリも好きだ。
『星の王子さま』で知るひとも多いだろう。
しかし、彼の真骨頂は、『夜間飛行』や『人間の土地』だと僕は思う。
圧倒的な夜空、夕暮れの描写に人間の抱える葛藤を無駄のない研ぎ澄まされた文章で描いている。
カミュの社会の不条理に対する反抗やドストエフスキーの濃密な人間模様と洞察、サルトル、バタイユ、クンデラの実存思想や小説……。
僕は、僕のこの文章で大文豪や偉大な思想家たちについて語りたいわけではない。
時々、読書感想文のようなものを書いたりもする。
他人の書いた文章に対する感想、それが読書感想文とも言える。
共感したこと、考えたことなどなど。
いずれにせよ、他人の書いた文章の土俵で相撲をとることになるリスクを抱えての自己表現のひとつでもある。
僕は自己表現のひとつとして、創作散文を書くのが好きだ。
その散文をどうしたら良い文章に磨けるのだろうか。
その悩みについて語りたい。
僕の好きな、あるいは、良い文章、と感じるポイントはいくつかある。
◆自然や温度、季節の中に他者とのやりとりや自己の内面を乗せて、社会問題から小さなとりとめのないことをエレガントに書かれている。
◆深く洞察されている。
◆歴史的事実をつぶさに調べている。
◆さまざまな視点を持とうとしていたり視座が高い。
◆問題意識が高く、問題提示すべき事柄について首尾一貫したストリームで思考しながら書いている。
◆自己の問題と社会問題をパラレルに考えながら比較検討しつつ問題解決に向けてもがいている。
◆背景に持つ社会風潮を探り、自身の思想哲学に基づき書いている。
◆自然をよく観察し感じ取ろうとしている。
◆根底に優しさ、労わりがある。
これら全てを満たせる文章を書いていたら、ノーベル文学賞クラスの文豪かも知れない。
凡人どころか愚かな僕は、どれも満たせていない。
文章の質には気を配りたいとは思いつつ、気まぐれに思いつきで書くときがほとんどだ。
文章の質ってなんだろうか?
文章の質は、上手い下手といったテクニカル的なことで押し測れるものではない、と僕は考える。
表面上、技巧的、あるいは、どぎついもの、あるいは一般向けに受けを狙った面白おかしい文章でも、首尾一貫性が欠落していたり、どこにでも書いてある紋切り型の一般論を薄く書いていたりすると、やはり、読み手によって厳しい目で読まれる。ただ言葉遊びしているだけなのか、傍観者的なのかどうかも文章から透けて見えて来る時もある。
首尾一貫して何に関して、どういった視点から、どういう思想で描こうとしているのか?
社会や身近なことに対して問題意識を持ち問題提示をしているかどうか?対象領域の範囲などで視座の高低も見えてくる。
文章は、そのひとの心や内面、思考力、培って来た経験と感性、思想の鏡かもしれない。
たとえ技巧的でなくとも、首尾一貫して、知的で優しさを秘めて、楽観的希望が僅かにでも持てる文章、あるいは、問題提示が明確でストリームがしっかりしており、議論の余地がある文章、あるいは、読み手に考えたり感じたりする余白が残されている文章が質の高さを持つ可能性があるのかもしれない。
なかなかそうした理想的な文章を書けず悩んでいる。
けれど、僕の倫理の上で、これは伝えなければ、と思うことに対しては、たとえ稚拙な文章、語りすぎ、自分語り、と言われても伝えたい。
戦争のこと、他者との共存を蔑ろにすること、過酷な現実に否応なく向き合わされているひとたちのこと。
希望無き者のためのみに、我々には希望が与えられている
感じたいことを感じとれる、読みたい本を読めて、観たい映画を観れて、聴きたい音楽が聴ける。それらを表現することもできる自由がある程度ある境遇。
当たり前のような自由、もしかしたら、それらを剥奪、抑圧されているひとたちの上に成り立つものかもしれない。
便利さや効率、贅沢への欲望は加速されるのに、自由であることの大切さは蔑ろにされる。
希望を生み出すこと、その光の強さは翳りを見せて、いくらでも持てるはずなのに、絶望感を募らせて、自分の頭で考えたり、感じとることを忘れていく。
希望を見出せる物語のような、そんな散文が書きたい。
昨晩、『天空の城ラピュタ』を家族で観ていた。
以前までなら、有名なパズーとシータが「バルス」と言うシーンは、感動はあっても、そこにネタ的なものを抱いたりしていた。
けれど、今年、僕たち家族に影をおとした時事問題で、僕はこのシーンで、胸がいっぱいになった。
良い文章で自己表現した先に、誰かひとりでも希望をみいだしたりしてくれたら、
そんな文章、物語をいつか書いてみたい。
古典的骨格を持つ冒険物語を、今日の言葉で語れないだろうか。
正義は方便になり、愛は遊びになり、夢が大量生産品になったこの時代だからこそ、無人島が消され、宇宙が食いつくされ、宝物が通貨に換算されてしまう時代だからこそ、少年が熱い想いで出発する物語を、発見や素晴らしい出会いを、希望を語る物語を子供達は待ちのぞんでいる。
自己犠牲や献身によってのみ獲得される絆について、何故、語ることをためらうのだろう。
子供達のてらいや、皮肉や諦めの皮膚の下のかくされている心へ、直に語りかける物語を心底つくりたい。
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