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笑いと忘却の書

笑いと忘却の書
著者 ミラン・クンデラ
訳 西永 良成
出版 集英社文庫 2013/11/25 第1版 2020/12/21 第2版

クンデラ長編 第3作
チェコ時代に書かれ、その後フランス語訳がでたが、全面的に改定された新版として1986年に出版された。
ひとりミランクンデラ祭、6冊目となる。

序盤から、心に響く。

(歴史)がまだゆっくりと歩んでいた頃は、数少ない歴史の出来事はたやすく記憶に刻みこまれ、みんなが知っている背景を織りなしていた。その背景の前で、私生活のさまざまな冒険の、感動的な光景が繰り広げられていたものだった。ところが今日では、時間は大股にすすむ。
歴史的な出来事は一夜のうちに忘れ去られ、翌日からはもう、新しい出来事の露となってきらめく。だからそれはもはや、話者の物語のなかでは背景とはならず、あまりにも見慣れた私生活を遺景として演じられる、驚くべき「冒険」になってしまうのである。
みんなが知っていると仮定できる歴史的な出来事はひとつとして存在しない。そこで私も、数年前に起こった出来事を、まるで千年も昔のことのように語らねばならないのである。
「笑いと忘却の書」ミラン・クンデラ集英社文庫 p14


第一部と第四部、第三部と第六部が同名で第二、第五が転調して間奏となっているように感じた。各部で、笑いと忘却の主旋律が根底に流れていて、第七部でその渦に引き込まれて行く。
間奏部からのゲーテやパスカルを巻き込んでのマジックリアリズム感が俺はとても好きだ。

第一部で手紙を燃やし、過去を忘却の彼方へと向かわせたい主人公ミレックと、第四部での主人公タミナは対象的に、忘却に抗うために、手紙を手元に置きたがる。

また、第五部リートリストでは祖国の旧チェコスロバキアをなぞらえているようにも見えて、少し切ない思いを馳せらされた。

前回読んだ「冗談」とは違う対位法による変奏曲的な小説だった。

本書で確立されたクンデラ独特の七部構成と対位法による変奏曲風小説が今思えば、存在の耐えられない軽さや不滅で昇華されたのだろう。

文明という牢獄の向こう側では魂と肉体をめちゃめちゃにする社会の偽善(p372)に僕も今生きている。全てかなぐり捨てて忘れ去りたかったり、忘れたり失ったりしないように必死になってもがいたり、その境界はいつも僕の周りにあって、僕はそこを行ったり来たりする。

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