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一年生に「すきな ほんは なんですか」と聞かれて返答に困った話

生活科の授業の中に、「学校の先生にインタビューをする」という単元がある。前日に一年生担任から、明日の休み時間にインタビューをお願いしますという連絡があり、私は楽しみに待っていた。

三人の一年生児童が、私のもとにやってきた。

一人目の問い。「すきな いろは なんですか」
(それを聞いてどうするんだろう…)と思いながらも、きちんと6歳児の目を見て、「みどりいろです」と、誠実に答える。

質問に答えてもらった一年生の目は、きらきら、うるうるしていた。みどりいろが好きという答えが嬉しかったのか、インタビューの役目を終えたことによる安堵が溢れ出たのか、なぜかはわからない。

二人目。「すきな たべものは なんですか」
我々教員は、授業において「評価」をしなくてはならない。つまり、この一年生のインタビューも、評価の対象になっている。今も真横に一年生担任が立っていて、様子をつぶさに観察している。残念ながら、教員生活16年の間に一年生の担任をした経験が一度も無いため、詳しくはわからないが、おそらく「言葉に出して聞くことができたか」「聞いてきた内容をメモしたか」等、なんらかの評価をこの子たちは担任から受けるはずなのである。

だからあんまり難しいことを言うのはどうかと思った。「六花亭のマルセイバターサンドです」とか言いたいところだったが、複雑なことを言って6歳児を混乱させ、この子だけわたしのせいで成績が下がる…なんてことになったら大変だ。分かりやすい答えを自分の中に探し「やきにくです」と答えると、とびっきりの笑顔を見せてくれた。なんか、いい加減に答えてしまったような気がして、申し訳ない。

さあ、三人目。最後の問い。
「すきな ほんは なんですか」

…ほう。
この問いに嘘は使えない、と思った。なぜならわたしはいずれ教員を辞して本屋になりたいと思っている身だ。ごまかすわけにはいかない。そしてわたしが愛している本は、間違いなく「司馬遼太郎」だ。歴史小説だ。

「伝えたい」と強く思った。一年生児童になんとかして司馬遼太郎を、歴史小説を伝えたかった。いやしかし「六花亭のマルセイバターサンド」を伝えるよりはるかに難しい。

「うーんとね、シバ…、レキシ…、うーんと」
歯切れが悪いおじさんに、ぽかんとする一年生。

「…あぁ!侍!おサムライさん、わかる?!」
そうだ、司馬遼太郎はわからなくても「サムライのお話」という説明ならイケると思った。突破口を見つけ、歓喜した。が、

「…わかんなーい。」
ちくしょう!!!令和に生きる一年生、サムライを知らない!!司馬先生!!!

「じゃぁ、ちょんまげ!ほら、こういう髪型の!知ってる??(頭頂部で手をパカパカパカパカさせるわたし)」


なんとかして伝えたいという一心。
こっちはもう必死である。

「…わかんなーい。」
そうだよね、申し訳なかった。わたしは手で作ったまげをゆっくりとおろしながら、なるべく誠実に答えた。

「すきなほんは『たべもののえほん』だよ。ありがとうね。」


難しい。



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