見出し画像

私はなぜ読みもしないプログラミングの本を買ってしまうのか

意識が高いのか、それとも低いのかわからない話をします。 私は昨日大きな書店に行って2時間ほどうろうろさまよい立ち読みをしてきました。 そして、結果的にプログラミング関係の本を2冊購入しました。私は仕事目的ではパソコン・テック系の本を買うことが多いです。仕事で作業をどうやればいいかを知りたい時には検索して答えを得ることができますが、今私は何の仕事をすべきか分からなくなった時は、検索のしようがありません。ChatGPTに聞いたらおそらく親切で私の気持ちに寄り添ったアドバイスが返ってはくると思います。あたたかい気持ちになると思いますが、それが答えではないような気がします。

その前に、「今私は何の仕事をすべきか分からなくなった時」がツッコミどころかと思います。私も同意するところです。50も半ばに差し掛かったおじさんが「仕事何したらいいかわかんないって何?」っておかしいですね?わかりますよ。現実逃避なのか窓際なのかわかりませんが、よくその状況に陥ります。もう少し具体的にいうと、今こんなことやってていいのか、もっと他のことするべきなんじゃなかろうか?っという感じでしょうか。ちょっと現実逃避ぽいですかね。頭も現実頭皮になってきましたしね。

そんな時、プログラミングとか新しいテック系の書籍を購入することが多いです。ちなみに私はプログラムの知識と経験はゼロです。中学生の時にゲームを作りたくてN-88BASICの入門書を読んだぐらいで、当時の言葉でいうところのマシン語からは全く仕切りがわかりません。見ても英単語で察するぐらいで、このコードをどこに入れるとどうなるの?ということもわかりません。そんな書籍を手に入れても、宝の持ち腐れではないか、全くそうなんですけれども。

そのような書籍には、これを使うとこんなことができる、問題が解決してとてもよいことになるというようなことが書いてあります。これまでこんなに大変だった作業がこんなに簡単にできるというようなテクニックが並んでいます。まずそういうポジティブなトーンの文面をじっくりみるということが自己啓発的に、マインドフルネス的にもよいことなのではないでしょうか。またそれはこれまでこんなに大変だった。やらなければいけない事の実例集でもあります。そんなことやったことなかった。確かにこれは必要だ。 という気づきを得ることがあるのですよ。多くの場合、効率化できるといっても、切り分けるとそれぞれのタスクのボリュームは大したことがないことが多いです。 プログラムで効率化はいいことですが、根性でやれば根性でできることです。ということは、いつかプログラミングができる ようになった時には、本文を読めば、それが効率的にできるようになることになります。夢のある話ではないですか。

できることからやるべきことを考えるのは邪道だという考え方もあるでしょうし、最短距離ではない可能性もあります。ですが、たくさんのできることからこれやってなかった。ウチでもやるべきというネタ探し・アイディア出しにはこのようなプログラミングの本はありなのです。同じようなことをビジネス書の棚でやろうとすると、難しい 経営者になってしまうか、あるいは細分化された各ジャンルに広がってしまいます。ですので、門外漢のジャンルの棚の前をウロウロして目次を眺めることが多いのです。そして、未知の知識が詰まった本を嬉々として持って帰るのです。

結果として基本目次しか読みません。できることのリストをじっくり眺めるためなので、目次だけで充分なのです。だったら、アマゾンで目次だけ見ればいいじゃないか、出版社のホームページに詳細があるではないかと思われるかもしれません。それは確かにそうなのですが、ただ目次の先には条件が揃ったらできるかもしれない夢のような効率化の魔法の呪文が謎の言語で綴られているのです。夢があるではないですか。私は夢を買っているのですよ。

この本は実務なのでちょっとニュアンス違いますが、もう一冊は恥ずかしいので内緒です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?