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読書メモ:勉強の哲学 来たるべきバカのために


現代思想入門』が面白すぎて悶絶しました。勉強になった、とかではちょっとぬるいな、痛快な一冊だった。基本難しい本を書いている人がたまたま入門書を書いた、ということなのだと勝手に思っていた。だからもう自分に読める本なんてないだろう、さらにはオーディオブック版なんてないであろうと。ありましたね、うれしい。

『勉強の哲学 来たるべきバカのために』というタイトル、どう思います?買いたくなります?来たるべきバカって見込み読者のことだよね?失礼じゃない?そもそもタイトルとサブの関係がわからない。というわけでとても、面白そうだ。

突然ですが昭和プロレス世代の私は、小学生の頃毎週テレビでやっている新日本プロレス、全日本プロレス、世界のプロレスを楽しみに見ていて、さらに本や雑誌を買ったりして詳しくなった。特に技の名前とかけ方の所作、そしてプロレスラーのぶっ飛びエピソードを特に好んだ。この知識は単純にただただプロレスが大好きで無意識に身につけたものだが、その後世代的な共通言語としてとても便利かつ仲良くなるきっかけとして強力なツールだということを自覚するようになる。たとえとしての「猪木ーアリ状態」「お前平田だろ!って感じだよね」といえばどのようなことを意味しているか、わかる人にはありありとわかる。わからない人には全くわからない。

ざっくりと団塊ジュニアの(特に)男子はまあまあの割合で同じものを見ていて同じように歓声をあげていたわけだ。これは共通言語になりますよね。なので、大人になっても世の中のことは大概プロレスで語ることができる、と折に触れ喜んで使っていた。「それはいっちゃえばレッグラリアットとフライングニールキックの違いみたいなもんですかね」「カワズ落としはどっちが痛いか問題でしょうね」「これが彼にとっての飛龍革命ってとこじゃないですかね」という、それは伝わることの喜びとその価値観の共有という仲良し生成ツールとしての機能もついている。

そんな世界に心地よく安住していたのだが、数年前あるネット記事の見出し(だったと思う)を見てハッとした。なんでもプロレスに例えるおっさんは自己中かつオワコン、みたいな書かれ方、だったと思う。記憶はあいまいなのだが、少なくとも自分にはそのような意味に受け取られた。芸人の話だったかな。おじさん同士でわちゃわちゃ話すのは勝手にやって、としてもバラエティで老若男女がターゲットになっているのに昭和プロレスのたとえとかはね、さらにボケだと二重に分からなくなっちゃう可能性がありますね、確かに。ちなみに、くりぃむしちゅーの有田哲平氏は生まれ年同じです。

『勉強の哲学』は、40年も前の熱狂の記憶を今でも引きずって若者に「は?」と言われるこんな私たち(一人称にはしません)に響く一冊である。私たちは共通言語の中で居心地よく、できたら穏やかに生きたいと思っている。でもさ、そもそも言語ってでたらめな意味世界だぜ、言葉のすり合わせに気を遣ってすり減ってたら世話ないよ。同じもの見て同じ言葉しゃべって「わかるわかる〜」っていってたらそりゃ同調圧力かかるっしょ。それはそれでキツくない?勉強っていうのはそこから距離とって居心地悪くなることなんだよ、もう、ノリを変えちゃうわけですよ、ずれちゃうのよ。と、言葉の用法は間違っていると思うが、そんな感じでお誘いしていただける。

いやいや、本のタイトル見てね、東大出て立命館で哲学教えているいわば「勉強の達人」が教える勉強とはなんぞやの本、って思うじゃないですか。大人向けだというならライフワークとしての勉強とか、今でいうところのリスキリングとか、そういう勉強とキャリアとか、あるいはアカデミックな厳密さであったりリベラルアーツだったりそういう話かと思うわけじゃないですか。そのどれかではないかと思うわけじゃないですか。どれでもない。それであれば「来たるべきバカのために」なんて副題はつかない。

勉強の哲学は「勉強を哲学する」ということでしょう。「勉強ということを哲学の言葉で考察してみました」。YouTubeだったら「勉強を哲学してみた」。みたいな感じか。

哲学という場所に勉強をしにいった著者が、勉強というテーマについて哲学の言葉を用いて紐解いた、といえばいいのかな。そのような立ち位置の本だと思う。孤高だよ。それがしっくりくるまではなかなかに読んでいて不安というか、これはなんだ、トリックがあるのか、壮大な実験なんだろうか、とザワザワし続けていた。あとで電子版を読んだら最初にちゃんと書いてあったのだけれどオーディオは頭出しが苦手なのでね。。にしても、専門書はその本が置かれた立ち位置を把握するといいよとかいってましたが、本書はなかなかトリッキーですよ。

オーディオブックで聴きながら、無性にレビュー(批評ではなくて雑多な感想)を読みたくて、たまらなくなった(基本私はレビューを見ずに本を選ぶ)。みんなこのぶっ飛んだ本を読んでどのような感想を書いているのか、知りたくなった。哲学の本だという意識がなくて読んだら相当面食らうだろうからである。で、聴き終わってからみてみたのだけれど、普通に高評価で、よかったですという感想が多い。難しいというコメントもあるにはあったが、え?みんなあたり前に読めるの?難しいの前に、何だこれは!?ってならないの?心の中でわあわあ言いながら聴いていた私は何?すごいなあ。

また内容にほとんど触れない感想文として終わってしまいそうだが、メモということでよしとしましょう。こりゃ分からんからやめよう、ではなく何か起きるかもしれないからしばらくついてってみよう、というのはプロレス的な感覚もあるかもな。そもそも「哲学する」ように「プロレスする」のも一緒だね。私が生まれる前に書かれたロラン=バルトの「プロレスする世界」という論文があるが、まさに何でも飲み込むプロレスの自在なところではないだろうか。結局プロレスで締めてしまいました。

利用サービス:audible,kindle
カバー画像:いつかいったプロレスのスナップ。ASKAの入場シーン





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