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趣味で詳しくなれないのと、それにくやしくならなくなったこと

書籍の著者はエキスパートタイプ、マニアックな性格の人が多い。特定のテーマを突き詰めて研究する、その成果をまとめる、人に伝える。好奇心、集中力、根気強さ、折れない心とかより深く探求するモチベーションの高さとかがあってこそ第一人者として著者のオファーがあったり、持ち込みが通ったりするわけです。逆にいえば普通の知識や見識では本は出しにくいですね。

もちろん書籍だけじゃなくてテレビもそうですよね。私も「マツコの知らない世界」や「クレイジージャーニー」とか好きでよく見ます。やっぱり突き詰めて好きすぎて極めちゃう人の話というのは見てて痛快だし、遠くの変態は愛でることができます。趣味でも仕事でもなくその辺の次元をすっ飛ばして、ほぼイコール人生になっちゃってる。そりゃ面白いです。

そんな熱量はそもそも持ち合わせていませんが、私は個人的になにが好きかというと、たとえば樹木の皮を眺めて面白いなあと思ったり、苔をぼーっと眺めているのが好きなんです。趣味といえるのかよくわからないですが。

じゃあだからといって樹木の皮の一部分を見ただけでその木の名前が分かるかといえば全然わからない。松とか白樺とかサルスベリぐらいしかわからない。また一目見ればすぐどの苔か判別できるかというと全然そうではない。そもそも苔の名前自体もよく知らないです。ゼニゴケとか、あとなんだ、わからない。ただただ眺めて楽しいというだけなんです 。べつに盆栽もやろうとも思わない。さかなクンとはえらい違いです。水族館で魚を眺めるのも好きですけど、もう詳しくなれない。そしてそれでいいやと思ってる。

で、そんなことを話題にすることもほとんどないんですが、たまにfacebookに「苔がすき」みたいな投稿をすると、渋いですね、お詳しいんですねみたいなリアクションが返ってきてそうか、世の中的には趣味=極めるものみたいな風潮があるのかもなーと思った次第。自然と詳しくなっていくことも徐々にあるのかもしれないけど、あまり理屈で楽しみたくなくて。たとえば新緑は一瞬の季節のものだから目に焼きつけとこう、みたいな感じなんですよねえ。写真も撮りますけどあまり見返したりはしないし。その時の風情ですよね。

ニワトリが先かタマゴが先かわかりませんが、ブログをはじめ個人が情報を発信できる時代にグルメ情報もそうですけど、何が好きで何のログをアップして愛好家が集ってオフ会でまた詳しくなって、みたいのが循環するとやっぱりマニアックになっていくのかな。

フィールだけでいいじゃないですか。で、別のこと考えながらでも目で楽しんでいたらいいと思います。休日のスジなしオチなし意味もなし投稿。

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