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アンダーカレント 豊田徹也 極私的批評

詳しいストーリーには触れていないのでこれを読んでからでも漫画を楽しめるはず。物語の核心には触れてませんが気になる方はリターンを。

読書が好きです。若い頃は今よりもっとずっと寝る間も惜しんで小説を読んでいました。読書の入口はドストエフスキーの罪と罰。主人公ラスコリーニコフの風貌を当時聴いていたロックバンド・ホワイトストライプスのジャックホワイトに勝手に重ね合わせて妄想し、物語の魔力に飲み込まれていきました。読後は脳天に電撃を食らったような衝撃。今までテレビとゲームと映画くらいしか知らなかったけど、世の中にはこんな面白いものがあるのかと震えた記憶があります。手始めにシェイクスピア村上春樹町田康ブコウスキー筒井康隆手塚治虫とあらゆる古典を読む事から始めました。駄作奇書ベストセラー個人的な好きにささるもの、ジャンルの分け隔てなく読んでいく内に、どうやら自分は「失踪」を題材にしたものが好みだと言うことに気付きました。失踪文学を調べてみると多いこと多いこと。村上春樹の作品に割と顕著で、主人公は作家、ある日妻が居なくなった、やれやれだぜ、途方に暮れる。的なね。「近親者の失踪・喪失を機に自身の人生を見つめ直す」という点に惹かれているのか「自身に内在している逃亡欲が透けて見えるようで」惹かれているのかは正直未だに分からない。みんな平等に嫌な事から逃げたいだろうし、現実では叶わない「逃避」をフィクションとして楽しむのもいいだろう。だが現実に近親者が失踪するほど残酷な事は無いと思う。死よりも辛いダメージを周囲の人間に与えるだろう。自死ならばまだ残酷だが結末が分かる。悲しむだけ悲しんで残されたものが辛くとも生きていくか草臥れて死を選ぶかは個人の自由だと思いますかあなたは。私は後ほど意見を述べさせて頂きます。まぁとにかく失踪は残された者に沢山の問いを投げかけるという事。

「自分が何かしたのか?きちんと愛せていなかったのでは無いか?誰か他に想い人がいたのではないか?犯罪や事故に巻き込まれたのか?最初から私を好きでは無かったのか?ならば自分が生きている意味は?暖かい場所にいるのだろうか?独りで冷たい大地に横たわっているのではないか?」

今回は極私的批評初の漫画を題材に、最近Twitterで個人的に注視している、北海道で起こっている失踪について思う事を書いていきます。

アンダーカレント あらすじ

人をわかるってどういうことですか?

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心の底流(undercurrent)が導く結末を。 夫が失踪し、家業の銭湯も手につかず、途方に暮れる女。 やがて銭湯を再開した女を、目立たず語らずひっそりと支える男。 穏やかな日々の底で悲劇と喜劇が交差し、出会って離れる人間の、充実感と喪失感が深く流れる。

2005年11月22日初版。アフタヌーンにて連載。1967年生まれの豊田徹也さんは非常に寡作で知られ、書籍となったのは本作品が初めてで、これを含めてこれまで全部で三冊しか著書がありません。全て。とても。良いです。静かで雄弁なタッチの絵。人間という生き物についての深い洞察。節目節目に度々読み返しています。アンダーカレントと珈琲時間はブックオフで100円も珍しく無いので探してみてください。まじでヤキモキしてます。新作が待ち遠しい作家の1人です。書籍としては2012年のゴーグルを最後に単発漫画がぽつりぽつりとあるだけで、もうそろそろ10年が経とうとしています。

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さらに深堀なあらすじ

2ヶ月前に夫が失踪。白昼夢の中にいるような状態で家業の銭湯をお手伝いのおばあさんと2人切り盛りする主人公かなえ。女手だけでは営業が立ち行かなくなり、紹介を受けて短期間の手伝いという事でふらっと現れた影の薄い男・堀。ひょんな事から住み込みの仮住まいとして一つ同じ屋根の下で暮らす事に。物語の所々で不穏な水のイメージが現れるも非常に抽象的。

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かなえも堀も虚ろで、何かを見ているようでこの世では無いものを眺めているかのような非常に不穏な瞳をしている。失踪当時の出来事や警察とのやり取りが脳裏を満たし、かなえはお湯が満たされ好き放題溢れ出る大浴場の前で1人佇み「なぜ居なくなったのか」について考えながら静かに沈んでいく。そして友人の紹介を受けて探偵を雇ったかなえ。風変わりな探偵とのディスカッションの中で見えてくる夫の本当のパーソナルの断片たち。探偵・山崎の台詞

「人をわかるってどういうことですか?」

口籠り沈黙するかなえ。ふと思い返し、これからの未来について夫に微笑みながら話したあの瞬間。あの一瞬。夫に沈黙のコンマ何秒かがあったような気がしたような。アレは一体なんだった。

「あなたはどうです?あなた自身のことは彼にわかってもらえてたんですか?」

そこから物語はゆっくりと動き出し、ある新たな失踪が起こる。徐々に明らかになっていくそれぞれの過去。見えなかったものは、見たくなかったものなのかもしれない。後半の展開は胸が千切れそうで、ラストページの意味は読み返してやっと理解出来る様になりました。当初は全く作品の意図を読み取れずにいましたが大人になるに連れ、しみじみと理解出来る様になりました。

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随所に差し込まれるジャズのジャケットや人物などのオマージュ。お気に入りキャラは探偵山崎です。サングラスをして菊地成孔そっくりな風貌です。本作のタイトルにもなっている、ビルエヴァンス&ジムホールによるピアノとギターがラブラブに溶け合ったALBUMアンダーカレントを聴きながら読むとまた格別。雨と珈琲があればなお良し。憂鬱と希望が平等に降り注ぐ。丁寧なディテールで何度も繰り返して読める漫画だと思います。是非お買い求め頂きたい一冊です。

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さてここからは現在進行形で北海道で起きている失踪について

3日ほど前にTwitter上で見かけた不穏なツイート。夫と連絡が付かない。携帯はオフ、職場にも居ない、車も無い。室蘭〜八雲間で事故の情報など知りませんか?との事。つい先日も婚約指輪を無くしてしまったとのツイートを見かけて、すんなり見つかるといいなと思っていた矢先だった。1日毎に妻であるツイート主から発せられる情報の内容が濃くなり現在では車種とナンバーが公開されている。これからきっと顔も公開され大々的に捜査されていく事だろう。なんでもストーリー化して消費するつもりは更々無いがやはり切羽詰まった人間の吐き出す言葉は重たくて純度が高くて見逃せない。

「前まで好きだったものもそこまで興味がないし、テレビも好きじゃなくなった」

旦那さんには10年前にうつ病を患っていた過去があり、最近は大丈夫だと言っていたが今朝上記の内容の文言をこぼしており奥さんは引っかかっていたそうだ。もしかしたら彼なりの最大限のSOSだったのかもしれない。この言葉は失踪を知った後だから重く響くのだろうか。典型的な鬱の症状にも取れるし、なんてこと無い軽口にも感じられるし、体温の無い画面越しではどちらにも取れる気がする。生身の人間から発せられた言葉を聞いたらきっと印象はハッキリしているのだろう。

これから暮らす物件を一緒に探していた翌朝に忽然とパートナーが消えているなんて、正直そのリアルには近付けない。当事者にしか分からない。丹念に旦那さんの特徴をツイートする様子からは溢れんばかりの愛情と心配と困惑が見てとれる。それが胸苦しく、数日あまり考えないようにしていた。見なければ起きていない事と同じだから。

春からようやく一緒に住める予定。
帰っておいで。

このツイートの後、ナンバーと車両が公開された。奥さんの気持ちを思えば100%帰ってきてあげて欲しい。しかし旦那さんにも言うに言われぬ事情があるのかも知れない。人でなしでも親不孝ものでも逃げて逃げて逃げてでも生きながらえ天寿を全うする事が人間の定めだと私は考えます。生き延びた先に僅かでも希望があると思います。私は自殺を認めたくない。そうしたくなる心理状態に陥ることもあるけど、友人や家族という希望の拠り所があったからこれまでなんとか踏み止まり生きてこれたと言える。

この一連の失踪に関するツイートを母も見ていたらしく連絡が来た。本件についての個人的な思いをLINEで伝え、最終的には色々大変だけどがんばろうね、ずっと一緒に生きようねと励まし合った。泣きながらiPhoneからメッセージを入力した。これも泣きながら書いている。くるぶしに涙が滴り落ちているのが見える。世の中の悲しい事が全部自分ごとみたいに思える日も多いし、生きていくのが過酷に感じられる日も多い。そこからより良く生きていくとなると輪をかけて過酷になるんだろう。逃げるのは悪い事じゃない。と私は思う。でもその代償は大きい。残された者にも逃げた者にも。それでも、それはそれということにしてあげて欲しい。断罪しないであげて欲しい。それは人間の領域ではないと私は思う。新型ウイルス後の著名人の自死。少なくなかったように思います。人は新しい環境に対応するのに物凄いエネルギーがいるんだと思います。私はロックバンド、赤い公園の津野米咲さんと俳優・三浦春馬さんの死をきっとずっと忘れません。会った事も無いのだけれど、お二人の作る芸術はとてつもなく美しかった。その事だけは忘れたくない。ただ生き続けて欲しかったという思いが胸中に広がります。著名人になると顔バレもしているし、逃げる事は難しいのかも知れない。そうなのだけど一抹の希望を持って何処か知らない土地ででも生きて欲しいと思う事は無責任なのでしょうか。

長くなりましたが、これを書いている間にツイートで旦那さんが青森で発見された事が判明しました。まだ確保はされていないそうです。これからの事は当事者2人でゆっくり決めればいい。逃げてから大切な事に気付く場合だってあるのだから。なんであれ、誰であれ生き続けて欲しい。と私は願います。

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