見出し画像

サンダカン8番娼館ー望郷

日本の女性史の暗部を描いた熊井監督の傑作です。
この映画、やはりすごいのは田中絹代。映画だと知って見なければ、この日焼けしたすすけた小さな老女を見て、日本映画の代名詞と言うべき大女優だとわかる人がどれぐらいいるでしょうか。
戦前の日本の暗部として葬り去られたからゆきさん。そのからゆきさんの生き残りとしてひっそりとあばら家に暮らすおサキさん。その貧しさは今の私達からは想像できないような暮らしです。苛酷な経験を経てなを、優しさを持ち、人としての暖かみを失わないおサキさん。ひっそりと暮らしながらも、自分の過去を隠し捨て去ることも叶わず、実の息子からですら忌むべき存在とされる彼女の悲しさ。栗原小巻と2人で障子と襖を張り替え、畳の上敷きを引いた後に、子供のように無邪気に「御殿のごたぁる」と跳びはね突っ伏すシーンは圧巻としか言いようがありません。無邪気な言葉や仕種とは裏腹に、その一瞬に“おサキさん”という人の人生と人柄と、そして感情の全てが溢れ出しているのです。
この映画に限ったことではありませんが、なんということのない仕種、ふとした時の目付き、全身で語る女優ですよね。台詞を話しているわけでなくとも、アップで撮られているわけでなくとも、ただそこに彼女が“存る”だけで圧倒的に語りかけてくる“何か”のある女優。さすが病に倒れながらも「目が見えなくてもやれる役はあるのかしら」と宣うほどの役者。
そしておサキさんの娘時代を演じる高橋洋子もまた素晴らしいです。何も知らない田舎のおぼこが倦怠感を纏った一人前の娼婦へと変わっていく様。初めて客をとらされた夜、雨にうたれながら呆然と座り込むシーンはとても美しくて哀しい。恋を知り、恋を失い、歯を食いしばって異国の地で必死で生きていく彼女の辛さ、そして日本に戻っても居場所の無い彼女の孤独。世の中から疎外されるどころではない、もはや彼女達からゆきさんは存在すらしなかったとして“抹殺”された者なのです。その切々とした悲しみを演じた彼女もまた素晴らしい女優だと思います。
サンダカンでマダムとよばれたおキクさん役の水ノ江滝子の凄みもまた印象的。置屋の女将とも違う、男と真っ向から渡り合って相手を圧倒する迫力はもうさすがとしか…。
そして女性史研究者役の栗原小巻。彼女の戸惑いながらもおサキさんの優しい人柄に惹かれていく様には見ているこちらの気持ちが重なっていきます。無理に聞き出すのではなく、相手の孤独と傷に寄り添うことで心を通わせ、そして語り始めるのを待つという誠実な姿に胸をうたれます。彼女だからこそおサキさんは話したのだ、そんな説得力を感じさせる名演です。
全ての役者達の素晴らしい演技によって浮かび上がる日本の女性史の暗部。そこにあるのは蔑みなどではけしてなく、彼女達の苛酷な運命への哀悼なのです。
ラスト、日本に背を向けて眠る女達の共同墓地。彼女達の故郷とはどこなのでしょう。帰る場所を失くした彼女達の哀しさが見る者の胸を締め付けます。
様々な問題提起を含みながらも蔑まれ歴史の闇に葬り去られようとしている女性達への熊井監督の愛情のような優しさすら感じられる視線がそこにはあるのではないでしょうか。社会派の監督らしい人間の人間らしさを描いた素晴らしい作品。ドキュメンタリーから出発した監督だけあって、独特のリアリズムのある重厚な人間ドラマです。
そして結局ここに戻ってきてしまうのですが、やはり全身女優と言うような田中絹代の存在あってこそ撮りえた名作。
ずっと見たいと思っていた作品を見ることができて幸せ。


この記事が参加している募集

#映画感想文

68,576件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?