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ダウトーあるカトリック学校で

ピューリッツァー賞とトニー賞をW受賞した舞台劇の映画化作品です。ちなみに作者であるシャンリィ氏が自ら監督を勤めているのでコメンタリーやインタビューも見応えアリです。
それはまあ置いときまして。
メリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマン、この2人の演技対決!といった感じです。
メリル、本領発揮。これの前に見た彼女の主演作というと『マンマ・ミーア!』なんですが、改めて!彼女の演技の幅広さを実感。180度逆、と言っていい役柄ではないかと。そしてこういうややヒステリックだったり情緒不安定気味の役(というと語弊がありそうですが。繊細な心理描写を必要とする役?)でこそやはり本領を発揮する女優だと思います。
対するフィリップ・シーモア・ホフマンも素晴らしい。人間的な温かみに溢れた神父を演じています。また後ほどレビュー書きますが、これの後に見たシドニー・ルメット監督作品の『その土曜日、7時58分』での役とはがらりと違います!
とにかくこの2人の緊迫感溢れる演技が圧巻。クライマックスの2人が激しくぶつかり合うシーンの緊張感たるや!個人的に『冬のライオン』でのキャサリン・ヘップバーンとピーター・オトゥールがお互いの感情を爆発させるシーンに匹敵する火花散る名演です。
元が舞台とはいえ、十分に映画的な作品に仕上がっていて、台詞以外の部分で語る所にも満足させられる作品ですが、このシーンに関しては完全に台詞劇の様相を体していて、が、それが逆にこの名優2人の力量を存分に楽しめるシーンになっていると思います。本当にまるで舞台を見ているよう。
年若いシスター・ジェイムズを演じているエイミー・アダムズの純粋さもまた、この2人の人物像を際立たせる存在となっていて素晴らしいですね。
そして特筆すべきは黒人少年の母親役のヴィオラ・デイヴィス。彼女の出番は少ないのですが、母親の悲しさ、現状に目をつぶってでも未来を手に入れようとする強さ、それでいて何かは諦めているような虚しさ、そんな印象的な母親像。善が必ずしも良い結果を生むものではない、そんな現実をしっかりと生きているような印象です。彼女とメリルのシーンもまた素晴らしいです。
この映画はまさしくタイトル通り、人の心に沸き起こる疑念を描いているのですが、それと同時に狂信的なまでの信念と人が時として持つ独善性の危険性を描いています。
確証がなくとも一度抱いた疑惑を真実であると思い込み、対象を糾弾し追い詰めていくことの危険性。メリル演じるシスター・アロイシスにとって証拠などなんの意味もないのです。彼女が「これが真実である」と信じたことが“真実”なのです。疑わしきは罰せよ、それがシスター・アロイシスなのです。対してホフマン演じるフリン神父は善と悪が簡単には分かちがたい時代になりつつあること、これまでのような旧態然とした単一的な見方では物事の判断をすることはできないということを知っている人物です。だからこそ自分が糾弾されようとも少年を守る為に全ては語ろうとしなかった。少年が助けを必要とし、そして彼を受け入れてくれるフリン神父がかけがえのない存在であるに足る理由はあるのですが、それは偏見の目に曝されるであろうことであり、そしてカトリック(カトリックに限らずキリスト教社会)においては許されざる事柄も含んでいます。もしフリン神父が全てを語れば少年は退学させられたでしょう。そして退学させられてしまえば、母親が「殺されてしまう」と恐れている公立校に行かざるをえなくなり、大学進学への道も遠のくのです。
そしてそのことは少年の母親と話したことによってシスター・アロイシスもたどり着くことのできる真実であるにも関わらず、彼女は“疑惑”から離れられずフリン神父が罪を犯したと信じている。何がそうまで彼女を頑なにさせるのか、そしてなぜ彼女は“確信”しているのか。
彼女自身が疑惑に囚われその“疑惑”という魔物に飲み込まれ罪を犯したことに気付き始めた時、彼女の弱さと脆さが露呈するのです。そのシーンもまた秀逸。
名優2人による素晴らしい映画。ぜひ舞台でも見てみたいです。誰か日本でも上演してくれないかな。


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