謝ることと、許すこと
ずいぶん前、「家族を捨てた」という人と話をした。
あれから20年近くたち、子どものことが気になり、最近そればかり考える。連絡先は分かるが、今さら連絡できない。それに、相手からなんと言われるかも怖い。
「いつの日か、お子さんが『あの人も、弱くて未熟な一人の人間だったんだ』と感じられる日が来ると良いですね」
人は、弱いから。
「そうなんです、自分が弱かったんです、未熟だったんです、それで家族を傷つけてしまった。ほんと、今さらだけど……謝ったら、許してくれるでしょうか……」
謝ることと、許すこと。
「許されるなら謝る」
「許されないなら謝らない」
こういう態度を「謝る」とは言えない。
許されるかどうかにかかわらず、「ごめんなさい」を伝えよう。
そうすれば、少なくとも、あなた自身があなたを少し許せる。
逆に、誰かに謝られたとき、それを受け容れるかどうか、許すか許さないかは、あなただけが決められる聖域だ。
謝られたら受け容れないといけない、許さないといけない、などということはない。
相手は「謝りたくて謝った」。
ただそれだけ。
あなたには、あなたがより楽になれる決定をする権利がある。
謝ることと、許すこと。
それは決してセットではない。
誰かに謝ることを怖れている人。
誰かに謝られて悩んでいる人。
そんな人たちに届きますように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?