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患者さんに必要とされることがある幻聴や妄想という「痛み止め」

幻聴も妄想も、その人が脳で作り出したものである。思いつかないことは幻聴にも妄想にもならない。
どうしてそんなことを思いついたのか、そのキッカケはなにかなどを探り、(稀ではあるが)的確に捉えられれば、その人の不安や悩みをすごく理解しやすくなる。
そうすると、治療関係も良好になる。

幻聴や妄想は、その人の生活をかき乱す症状ではあるが、人によっては、それらの症状が「もっと辛い悩みに対する痛み止め」「不安から気をそらすための目くらまし」としての役割を持っていることもある。
こういう場合、その悩みや不安へのケアをしないまま治療を進めると、症状が減れば減るほど患者さんは苦しくなる。

でも、患者さんは苦しみたくない。
だから、症状はなくならない。
ともすれば、症状が消えることに抵抗しているようにさえ見える。

分かりやすそうなたとえをあげる。

田舎で一人暮らしの高齢女性が「屋根裏に誰かいる」と言うので、都会に住む家族が心配して精神科に連れてくる。彼女は「幻の同居人」に困惑し悩んでいるのだが、本当の苦悩は「一人暮らしの寂しさ」である(あえて話を非常にシンプルにしている)。

彼女にしてみれば、「幻の同居人」は不気味だが、それでも「誰もいないよりはマシ」なのだ。

精神科で薬を処方し、これがよく効いたとする。「幻の同居人」はいなくなる。ところが、一人暮らしの寂しさはそのまま残る。いや、それどころか、「幻の同居人」が去ることで、子どもたちが巣立ったり、夫が他界したりしたときの「独り取り残される不安や寂しさ」を再体験することになる。

そういうわけで、実際のところ、薬はほとんど効かない。

ところが、何らかの理由で家族の誰かが実家に帰って生活するようになると、薬を使わなくても幻の同居人はいなくなる。

いなくなるというより、必要なくなる。

このように、なぜその人にその症状が「必要」なのか、という目で見ると、患者さんたちの話を少し違った角度から検討できるようになる。

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